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聖なる医者 聖リカルド・パンプーリ ◆、その生い立ち(4)

2017-10-16 05:14:48 | 聖リカルド・パンプーリ
『聖なる医者 聖リカルド・パンプーリ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、6

◆、その生い立ち(4)

 この同じ町で高等学校まで進学しましたが、高校生のとき休みに叔父の家に帰ったときには、喜んで村の子どもたちに公教要理を教えました。もし初聖体の準備でもまかせられると、なおさら熱心でした。

 当時は、イタリアでは若い人のためにカトリック運動が盛んになっていましたが、エミリオは、主任司祭と相談してカトリック運動のグループと、サークル「ドン・ボスコ」を設立しました。学友のなかで、いちばん善良なものを選んでこのグループをつくり、みんないっしょに毎晩聖体訪問をしていました。またかれは、しばしば黙想していましたが、高校生の時には,エジプトの布倣地にいた姉にこんな手紙を書いたことがあります。

 「わたしも、あなたといっしょにあの有名なピラミッドを見たい。それは作られてからなん千年が過ぎても、あの当時のファラオたちの勢力を知らせてくれます。あの王たちは、非常にごうまんで、自分たちのことを"太陽の子"と呼ばせていて、イスラエルの神の命令に従いませんでした。神がモイゼの口を通じてイスラエル民族を解放するように命じられたあの時です」と。

 高等学校を卒業したとき、エミリオは、修道会に入ろうと望んで、エジプトの姉のシスターにうちあけたことがありました。でもこれまで世話をしてくれた叔父に対して義理がありました。というのは、カルロ叔父のすすめが非常に強く、医者だった叔父は甥が自分と同じ道を歩くことを望んでいたからです。叔父はエミリオをパビヤの大学医学部に入学させました。こうして一九一五年から一九二「年まで勉強し、非常に優秀な成績で卒業しました。


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