聖エンゲルベルト司教 記念日 11月 7日
エンゲルベルトは1187年ドイツのベルグの貴族の家に生まれ、若い時、オットー4世皇帝に武器をもって反抗したという理由で破門されたが、その後アルビ派の異端に反対する運動に参加して、その罪を赦された。30歳の時ケルンの大司教に任命されて、司祭と修道者達に厳しい生活をさせたが、彼らは常に大司教の保護に信頼を置いていた。
ところが彼の従弟のイセンベルグのフレデリク侯爵がエッセン市の女子修道院の土地と財産を奪ったので、エンゲルベルト大司教は強硬に彼を責めた。そのためフレデリクは、50人の従者を引き連れて大司教を待ち伏せ、彼を殺害した。その死体には47の傷があったと言われている。
エンゲルベルトは1187年ドイツのベルグの貴族の家に生まれ、若い時、オットー4世皇帝に武器をもって反抗したという理由で破門されたが、その後アルビ派の異端に反対する運動に参加して、その罪を赦された。30歳の時ケルンの大司教に任命されて、司祭と修道者達に厳しい生活をさせたが、彼らは常に大司教の保護に信頼を置いていた。
ところが彼の従弟のイセンベルグのフレデリク侯爵がエッセン市の女子修道院の土地と財産を奪ったので、エンゲルベルト大司教は強硬に彼を責めた。そのためフレデリクは、50人の従者を引き連れて大司教を待ち伏せ、彼を殺害した。その死体には47の傷があったと言われている。