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志村辰弥神父著『カトリックとプロテスタント - わかりやすいその分析』、7

2016-07-10 05:08:23 | プロテスタント
志村辰弥神父著『カトリックとプロテスタント - わかりやすいその分析』

◆7、ルーテルの生涯

 ルーテルの宗教革命は政治問題とからんで複雑をきわめ、またイタリア、フランスなどの諸国にその影響を及ぼして解決は全く不可能になりました。カトリック教会は、これに対処するために、1545年、トレントに公会議を開催して、教義の確立と制度の粛正に当りました。

 ルーテルが、はじめ、教会の堕落した有様をみて、これを改革しようとしたことはもっともですが、このような結果をもたらすとは考えていなかったでしょう。ところが、教会の厳しい態度や周囲の事情が反教会的であったために、かれの熱意と相まってあそこまでエスカレートしたのではないでしょうか。

 当時のカトリック教会の態度は封建的で、誤りを責めることが主で、相手と膝をつき合わせて、ゆっくり談じ合う思いやりが欠けていたようです。もし、そうした心使いがあったら、ルーテルをあそこまで追いやらなかったでしょう。そう思うと、かれを誤らせたことには、教会にも大きな責任があります。先年、現教皇ヨハネ・パウロ二世がルーテル教会の集会に招かれたとき、教皇はそうした意味のことを述べて、会衆にわびたと言われます。

 いずれにせよ、キリスト教という立場からみれば、ルーテルのとなえた教えは、全く異端的で、宗教改革ではなく、革命といったほうが当っています。

 キリスト教は、神に仕える人の道であって、この道によらなければ永遠の幸福に達せられない真理だと、わたしたちは信じています。だから、キリスト教は生活そのものの在り方であって、アクセサリーではありません。こうしたことを考えると、人間中心の信仰は、大きな誤りであると言わざるを得ません。

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