『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 8
テレジアは、8才と6か月で、姉さんたちと同じシスターの学校に通学します。セリーヌもいっしょです。テレジアは、仲よしになった友だちに、「ねえ、イエズスさまを喜ばせるために徳の花をささげましょうよ。」もれ聞いて、おどろくシスター。
成長していくテレジアに、少しずつ分ってきたことがありました。それは、当時まだ、ちゃんとした学校にゆけなかった田舎の子どもたちのことです。
さっそく子どもたちを集めて小さな先生は、教理を教え、祈りをさせます。教会にも、告白にも導いてあけます。こうしたある日、ふたりの女の子の貧しいおかあさんが病気になりました。それから、長いあいだ、テレジアの訪問がつづいたのです。病人の看病を子どもたちの世話!
でも、子どもたちは、なぜかイエズスも、マリアも、天国も知りません。それでもやがて、テレジアの教える教理のお勉強に、かわいい質問がはじまりました。テレジアに教えられて、イエズスを喜ばせるための徳の花まで!
1882年10月2日、おかあさんがわりだった姉のポリーヌが、父と姉妹に別れをつげてカルメル会にはいります。《一生涯を神にささげ、イエズスのことだけを考え、イエズスだげを愛し、イエズスのためにだけ生きたい。イエズスの苦しみに、わたしのぎせいをたくさんそえて、罪人の救いのために祈りたい》と前から考えていたからです。
「そんなら、わたしもいっしょに修道院にはいりたい」と、テレジアがどんなにいっても、まだ9才になったばかりです。満16才にならないと、と断られてしまいました。いろいろとつもる悲しみに、とうとうテレジアは病気になりました。とても不思議な病気です。もうなおるみこみはありません。
でも、必死に祈る家族の願いに、聖母のご像は、大きぐかがやいて、テレジアに近づいてきます。そのはほえみの甘美なこと! このしゅんかん、テレジアは、もう完全になおっていました。
テレジアは、8才と6か月で、姉さんたちと同じシスターの学校に通学します。セリーヌもいっしょです。テレジアは、仲よしになった友だちに、「ねえ、イエズスさまを喜ばせるために徳の花をささげましょうよ。」もれ聞いて、おどろくシスター。
成長していくテレジアに、少しずつ分ってきたことがありました。それは、当時まだ、ちゃんとした学校にゆけなかった田舎の子どもたちのことです。
さっそく子どもたちを集めて小さな先生は、教理を教え、祈りをさせます。教会にも、告白にも導いてあけます。こうしたある日、ふたりの女の子の貧しいおかあさんが病気になりました。それから、長いあいだ、テレジアの訪問がつづいたのです。病人の看病を子どもたちの世話!
でも、子どもたちは、なぜかイエズスも、マリアも、天国も知りません。それでもやがて、テレジアの教える教理のお勉強に、かわいい質問がはじまりました。テレジアに教えられて、イエズスを喜ばせるための徳の花まで!
1882年10月2日、おかあさんがわりだった姉のポリーヌが、父と姉妹に別れをつげてカルメル会にはいります。《一生涯を神にささげ、イエズスのことだけを考え、イエズスだげを愛し、イエズスのためにだけ生きたい。イエズスの苦しみに、わたしのぎせいをたくさんそえて、罪人の救いのために祈りたい》と前から考えていたからです。
「そんなら、わたしもいっしょに修道院にはいりたい」と、テレジアがどんなにいっても、まだ9才になったばかりです。満16才にならないと、と断られてしまいました。いろいろとつもる悲しみに、とうとうテレジアは病気になりました。とても不思議な病気です。もうなおるみこみはありません。
でも、必死に祈る家族の願いに、聖母のご像は、大きぐかがやいて、テレジアに近づいてきます。そのはほえみの甘美なこと! このしゅんかん、テレジアは、もう完全になおっていました。