『聖なる医者 聖リカルド・パンプーリ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ、21
◆、ついに憧れの修道生活に(2)
かれパンプーリは次の十一月二十一日に着衣式が行われ、修道名をリカルドとなのったのです。プレシア市の修道院では、修道士たち、特に修練者たちは、病院の掃除係もしていました。パンプーリ先生は、今修道士となっていても他の修道士よりも、学識や威厳や経験があるのに、かれはこのことを忘れさせようとしていました。そのため他の若い修道士と同様に病院のいろいろの掃除をしていました。それをみると、かれを前から知っていた人々はつまずきました。
ある日のことです。リカルド修道士は、当番だったので、ほうきをもって中庭の掃除をしていました。それをみたひとりの医者は、病棟で出会った看護婦のシスターに向かっていいました、「あの人はきちがいだ、医学博士号までもっているのに、ほうきを使うなんて」と、窓から大きな声でいったので、そのシスターは答えました、「神に対する愛のあまりにです、きちがいじみてみえますが・・・」と答えました。
でもあの医者はゆずりません、「ちがう、わたしにとってあの人はきちがいだ、それ以外の何者でもない。どうしてあんなことをするのだろう」と、開いていた窓からあんまり大声でいったので、リカルド修士の耳にも入りました。
かれはこのように答えたのです、「ちがいます。神さまのためにすることは何でも、つまり、ほうきですることも医学博士号ですることも、どちらも偉大なことです」と。
それだけでは、リカルド修士はまだ満足しませんでした。罪のつぐないのために、ほかのきびしい苦業もし、むち打ちまでやっていたのでした。
当時イタリアはインフレで、みんなが生活に困っていました。中でも修道院ではなおさら貧しい生活が行われていました。都合の悪いことが重なり、食事は不足し、おまけに病人の看護は今では考えられないほど長い勤務が続くのです。こうして看護の荷はおもに修道士たちの肩にかかっていました。おまけにリカルド修士は、他の人よりもいやしい奉仕をしていたので、疲れはいっそうひどかったのです。他の修士もそれに気づきかれを助けようとしました。そして目上も特別な苦業をするのを禁じました。
◆、ついに憧れの修道生活に(2)
かれパンプーリは次の十一月二十一日に着衣式が行われ、修道名をリカルドとなのったのです。プレシア市の修道院では、修道士たち、特に修練者たちは、病院の掃除係もしていました。パンプーリ先生は、今修道士となっていても他の修道士よりも、学識や威厳や経験があるのに、かれはこのことを忘れさせようとしていました。そのため他の若い修道士と同様に病院のいろいろの掃除をしていました。それをみると、かれを前から知っていた人々はつまずきました。
ある日のことです。リカルド修道士は、当番だったので、ほうきをもって中庭の掃除をしていました。それをみたひとりの医者は、病棟で出会った看護婦のシスターに向かっていいました、「あの人はきちがいだ、医学博士号までもっているのに、ほうきを使うなんて」と、窓から大きな声でいったので、そのシスターは答えました、「神に対する愛のあまりにです、きちがいじみてみえますが・・・」と答えました。
でもあの医者はゆずりません、「ちがう、わたしにとってあの人はきちがいだ、それ以外の何者でもない。どうしてあんなことをするのだろう」と、開いていた窓からあんまり大声でいったので、リカルド修士の耳にも入りました。
かれはこのように答えたのです、「ちがいます。神さまのためにすることは何でも、つまり、ほうきですることも医学博士号ですることも、どちらも偉大なことです」と。
それだけでは、リカルド修士はまだ満足しませんでした。罪のつぐないのために、ほかのきびしい苦業もし、むち打ちまでやっていたのでした。
当時イタリアはインフレで、みんなが生活に困っていました。中でも修道院ではなおさら貧しい生活が行われていました。都合の悪いことが重なり、食事は不足し、おまけに病人の看護は今では考えられないほど長い勤務が続くのです。こうして看護の荷はおもに修道士たちの肩にかかっていました。おまけにリカルド修士は、他の人よりもいやしい奉仕をしていたので、疲れはいっそうひどかったのです。他の修士もそれに気づきかれを助けようとしました。そして目上も特別な苦業をするのを禁じました。