
『他界からの火花 - 煉獄の霊魂の出現』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ
◆2-5、もうひとりの修道士
もうひとりの修道士が亡くなってから、聖女が祈っているとき、その人の霊魂が非常にいやな「がま」の形で現われ、犯した罪のために、たいへん苦しんでいるのがみえた。また腕の下に大きな重荷がかかっていて、かれは、まっすぐ立つことが出来ないほどになっていた。
「がま」の姿で現われたのは、かれが修道生活のとき、心を神にあげるのを怠っていたからだと聖女はさとった。また腕の下に感じていたあの大きな苦しみは、目上の許可なしに、よけいに財産を得ようとし、そのことを目上にかくしていたからだとさとった。この人を助けるためには、長い祈りをしないでも、熱心に短い祈りをしただけで十分だった。
これでも分かるように機械的に心をこめないで長い祈りをしても、たいした値打ちがなく、熱心にする祈りは大きな功徳があるのである。
よろしければ、フェイスブックのカトリックグループにもご参加ください。FBではここと異なり掲載が途切れることもありません。
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「がま」の姿で現われたのは、かれが修道生活のとき、心を神にあげるのを怠っていたからだと聖女はさとった。また腕の下に感じていたあの大きな苦しみは、目上の許可なしに、よけいに財産を得ようとし、そのことを目上にかくしていたからだとさとった。この人を助けるためには、長い祈りをしないでも、熱心に短い祈りをしただけで十分だった。
これでも分かるように機械的に心をこめないで長い祈りをしても、たいした値打ちがなく、熱心にする祈りは大きな功徳があるのである。
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