『身体障害者の聖人 聖ヨゼフ・コトレンゴ』アロイジオ・デルコル神父、16
「まあユーモラスな神父さま!あんなことおっしゃって!」
と見ている人が笑ったのですが、すぐ驚いて口をつぐみました。まるで女学生ででもあるかのように、鳶鳥が命じられたとおりに従っていたのです!
"み摂理の小さな家"には、はいりたい人がどんどんふえて、もう場所がありません。新しい建築をたてようにも一リラも。それでもコトレンゴは、かわいそうな人を断わりたくないのです。ついにかれは、ある日、ひと晩じゅう祈りとおしました。
翌日、"きまった!新しい建築をすぎしる"と決心したコトレンゴ'は、ただちに建築技師を呼びました。でも、建築の杭打ちをすることに定めたその日は朝からひどい土砂降り、労働者はしりごみしました。かれは承知しません。「断じて新しい病院を建てます。だれもじゃますることはできません。どうしても、きょうからはじめます」と。やがて、雨のなかで正式の工事がはじまりました。でも、できあがってみると、なんと200台ものベットが楽に入れられたのです。
イエズスはかつて、生まれながらの盲人について問われたとき、「神の光栄が現われるため」とおおせになりましたが、このみことばの謎をとくかのように、身体障害者の保護の聖人と呼ばれるようになったコトレンゴは、すばらしい活躍で神の光栄を現わすのです。
かれは、"小さな家"に、各種の身体障害者をうけいれました。まもなく男子と女子の部に分け、そのための新しい男子と女子の修道院を設立して世話を願いました。
みずからも手のない子どもに足で書くことを教えて希望を与えたり、ほかのものにも、出来る仕事を考えてやったりしました。ついにかれは、あの当時想像さえできなかっ
たことをしたのです。すなわち、各身体障害者に合う設備したうをそなえ、トリノ市の諸会社から仕事の下請けを貰い、身体障害者が自分の手で生活費をかせぐ道と喜びと、誇りをつくり出したのです。
よろしければ、フェイスブックのカトリックグループにもご参加ください。FBではここと異なり掲載が途切れることもありません。
「まあユーモラスな神父さま!あんなことおっしゃって!」
と見ている人が笑ったのですが、すぐ驚いて口をつぐみました。まるで女学生ででもあるかのように、鳶鳥が命じられたとおりに従っていたのです!
"み摂理の小さな家"には、はいりたい人がどんどんふえて、もう場所がありません。新しい建築をたてようにも一リラも。それでもコトレンゴは、かわいそうな人を断わりたくないのです。ついにかれは、ある日、ひと晩じゅう祈りとおしました。
翌日、"きまった!新しい建築をすぎしる"と決心したコトレンゴ'は、ただちに建築技師を呼びました。でも、建築の杭打ちをすることに定めたその日は朝からひどい土砂降り、労働者はしりごみしました。かれは承知しません。「断じて新しい病院を建てます。だれもじゃますることはできません。どうしても、きょうからはじめます」と。やがて、雨のなかで正式の工事がはじまりました。でも、できあがってみると、なんと200台ものベットが楽に入れられたのです。
イエズスはかつて、生まれながらの盲人について問われたとき、「神の光栄が現われるため」とおおせになりましたが、このみことばの謎をとくかのように、身体障害者の保護の聖人と呼ばれるようになったコトレンゴは、すばらしい活躍で神の光栄を現わすのです。
かれは、"小さな家"に、各種の身体障害者をうけいれました。まもなく男子と女子の部に分け、そのための新しい男子と女子の修道院を設立して世話を願いました。
みずからも手のない子どもに足で書くことを教えて希望を与えたり、ほかのものにも、出来る仕事を考えてやったりしました。ついにかれは、あの当時想像さえできなかっ
たことをしたのです。すなわち、各身体障害者に合う設備したうをそなえ、トリノ市の諸会社から仕事の下請けを貰い、身体障害者が自分の手で生活費をかせぐ道と喜びと、誇りをつくり出したのです。
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