『文芸復興の時代 世界の歴史7』社会思想社、1974年
1 「カンタベリー物語」の世界
1 物語への招待
読者よ、巻頭のひとときに、イギリス十四世紀の詩人ジェフリー・チョーサーとその代表作 『カンタベリー物語』について知られるのも、無益ではあるまい。
読者はあまり聞かれたことがたい名前かもしれないが、このチョーサーはイギリスが生んだいわば最初の国民的詩人であり、また近代的な文学の先駆者として、イギリスのみならず、ヨーロッパの文学史にユニークな地位をしめている。
十四世紀といえば、イタリアにこそルネサンスの花が咲いているが、まだ文化がおくれていた西ヨーロッパにおいて、とくにイタリアやフランスの文化のまねが多いイギリスにおいて、チョーサーははじめてイギリスの土に根がはえた文学を書いたのである。
と同時に、生き生きとした個性をえがき、当時のイギリス社会の一断面をしめす人間劇をつくりあげた点において、彼は、「イギリス・ルネサンスの父」ともよばれているのだ。
そしてチョーサーにこうしたよび名、こうした地位がささげられるのも、『カンタベリー物語』という作品のためである。
このカンタベリーはケント州の一都市で、寺院があり、いまはイギリス国教会の中心地である。
しかし当時は宗教改革以前のカトリックの時代のことで、そこには聖トマス・ペケットの墓所があり、イギリス人のもっともポピュラーな巡礼圸であった。
トマス・ペケット(一一一八~七〇)は十二世紀のカンタベリー大司教で、カトリックの勢威をかけて国王ヘンリー二世(在位一一五四~八九)と対立し、暗殺された人物であり、それ以来、殉教者として尊敬されていた。
『カンタベリー物語』の巡礼たちも、ときは四月、春の日ざしにめぐまれ、こころよいそよ風に吹かれ、小鳥のさえずりを聞きながら、やわらかい新芽がふく木々のなかを、この寺院へ進んでゆくのである。
そして巡礼たちが往復の道すがら話をするという物語の構想であったが、これは実現せず、巡礼の一行がカンタペリー寺院を望見したところで、この作品は永遠に未完に終わることとなった。
一つ一つの話のなかには、作者がすでにまえから書いていたものもあり、なかには中世から流行したいろいろな話もふくまれていて、貴族社会のラヴ・ロマンスや宗教的な信仰・奇蹟物語から、庶民的な世俗の話にまでおよんでいる。
チョーサーは全体としては一三八七年ごろに着手し、一四〇〇年の死まで十余年筆をとった。
しかしついに完成できなかったのである。
この本のはじまりは、巡礼を思いたったチョーサー自身が、ロンドンのある宿屋にとまって支度をしているとき、同じ目的の一団がドヤドヤと入ってくるという趣向である。
登場人物は三十人ばかりで(なかにはほんのつけたりの人物もある)、話をするのは二十三人、物語の数は二十四、これは巡礼の一員であるチョーサー自身が、二つの話をしているからだ。
そしてこれらの物語のうち、二つだけがふつうの文章、つまり散文で、他の話はみな詩の形式をとっている。
それらのなかには、若干の未完や中断のものもある。おもな登場人物は、巻頭についている全体の「プロローグ」、すなわち「総序の歌」のなかで(それぞれの話のまえにも、短いプロローグがついている場合が多い)、つぎつぎと巧妙に紹介されている。
そして登場人物の顔ぶれは、じつに多方面な社会層からなりたっている。
まず騎士とその息子である騎士見習い、および従者は貴族や武士階級を表わし、尼僧院長とそのお伴(とも)である尼僧と三人の僧、それから修道僧、托鉢(たくはつ)僧、免罪符(めんざいふ)売りたちは僧職をしめし、さらに司祭もいる。
知識階級からは医者とオックスフォードの学僧と高等弁護士が登場し、新興階級としては地主、貿易商、料理人をつれた五人の市民たち(大工、小間物商、織物商、家具装飾商、染物商)が選ばれ、異色ある存在としては、船長、宿屋の主人、機織りに長じたバース(地名)のおかみさんがいる。
また領主の土地などを管理する家扶(かふ)や粉屋もおれば、教会裁判所への召喚吏(しょうかんり)、司祭の弟の農夫なども顔を出し、まことににぎやかな巡礼の一行である。
そしてこの多彩な顔ぶれには、おそらくチョーサーの実生活のゆたかな体験が生かされたものと思われる。
ではこの詩人はどういう生涯を送ったのであろうか。
1 「カンタベリー物語」の世界
1 物語への招待
読者よ、巻頭のひとときに、イギリス十四世紀の詩人ジェフリー・チョーサーとその代表作 『カンタベリー物語』について知られるのも、無益ではあるまい。
読者はあまり聞かれたことがたい名前かもしれないが、このチョーサーはイギリスが生んだいわば最初の国民的詩人であり、また近代的な文学の先駆者として、イギリスのみならず、ヨーロッパの文学史にユニークな地位をしめている。
十四世紀といえば、イタリアにこそルネサンスの花が咲いているが、まだ文化がおくれていた西ヨーロッパにおいて、とくにイタリアやフランスの文化のまねが多いイギリスにおいて、チョーサーははじめてイギリスの土に根がはえた文学を書いたのである。
と同時に、生き生きとした個性をえがき、当時のイギリス社会の一断面をしめす人間劇をつくりあげた点において、彼は、「イギリス・ルネサンスの父」ともよばれているのだ。
そしてチョーサーにこうしたよび名、こうした地位がささげられるのも、『カンタベリー物語』という作品のためである。
このカンタベリーはケント州の一都市で、寺院があり、いまはイギリス国教会の中心地である。
しかし当時は宗教改革以前のカトリックの時代のことで、そこには聖トマス・ペケットの墓所があり、イギリス人のもっともポピュラーな巡礼圸であった。
トマス・ペケット(一一一八~七〇)は十二世紀のカンタベリー大司教で、カトリックの勢威をかけて国王ヘンリー二世(在位一一五四~八九)と対立し、暗殺された人物であり、それ以来、殉教者として尊敬されていた。
『カンタベリー物語』の巡礼たちも、ときは四月、春の日ざしにめぐまれ、こころよいそよ風に吹かれ、小鳥のさえずりを聞きながら、やわらかい新芽がふく木々のなかを、この寺院へ進んでゆくのである。
そして巡礼たちが往復の道すがら話をするという物語の構想であったが、これは実現せず、巡礼の一行がカンタペリー寺院を望見したところで、この作品は永遠に未完に終わることとなった。
一つ一つの話のなかには、作者がすでにまえから書いていたものもあり、なかには中世から流行したいろいろな話もふくまれていて、貴族社会のラヴ・ロマンスや宗教的な信仰・奇蹟物語から、庶民的な世俗の話にまでおよんでいる。
チョーサーは全体としては一三八七年ごろに着手し、一四〇〇年の死まで十余年筆をとった。
しかしついに完成できなかったのである。
この本のはじまりは、巡礼を思いたったチョーサー自身が、ロンドンのある宿屋にとまって支度をしているとき、同じ目的の一団がドヤドヤと入ってくるという趣向である。
登場人物は三十人ばかりで(なかにはほんのつけたりの人物もある)、話をするのは二十三人、物語の数は二十四、これは巡礼の一員であるチョーサー自身が、二つの話をしているからだ。
そしてこれらの物語のうち、二つだけがふつうの文章、つまり散文で、他の話はみな詩の形式をとっている。
それらのなかには、若干の未完や中断のものもある。おもな登場人物は、巻頭についている全体の「プロローグ」、すなわち「総序の歌」のなかで(それぞれの話のまえにも、短いプロローグがついている場合が多い)、つぎつぎと巧妙に紹介されている。
そして登場人物の顔ぶれは、じつに多方面な社会層からなりたっている。
まず騎士とその息子である騎士見習い、および従者は貴族や武士階級を表わし、尼僧院長とそのお伴(とも)である尼僧と三人の僧、それから修道僧、托鉢(たくはつ)僧、免罪符(めんざいふ)売りたちは僧職をしめし、さらに司祭もいる。
知識階級からは医者とオックスフォードの学僧と高等弁護士が登場し、新興階級としては地主、貿易商、料理人をつれた五人の市民たち(大工、小間物商、織物商、家具装飾商、染物商)が選ばれ、異色ある存在としては、船長、宿屋の主人、機織りに長じたバース(地名)のおかみさんがいる。
また領主の土地などを管理する家扶(かふ)や粉屋もおれば、教会裁判所への召喚吏(しょうかんり)、司祭の弟の農夫なども顔を出し、まことににぎやかな巡礼の一行である。
そしてこの多彩な顔ぶれには、おそらくチョーサーの実生活のゆたかな体験が生かされたものと思われる。
ではこの詩人はどういう生涯を送ったのであろうか。