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浦川和三郎司教『祝祭日の説教集』(三)天国に昇る道

2025-01-24 19:10:17 | 浦川司教
祝祭日の説教集

浦川和三郎(1876~1955)著

(仙台教区司教、長崎神学校長 歴任)

十 一 月 一 日

(三) 天 国 に 昇 る 道

(1)-諸聖人の祝日に当りまして、天に昇るの路を研究して見るのは当然のことでございましょう・・・。然らば聖人等はいかにして天に昇られましたか、奇蹟を行なつてでしょうか。容易に真似もできないような驚くべき善業を果たしてでしょうか。決して然うではありません。

 なるほど数多い聖人の中には、大きな奇蹟を行ったお方もあれば、非常に驚くべき難行苦行を重ねたお方もないではないが、皆が皆そうなさった訳ではありません。聖人と雖も、やはり我々同様の人間でありました、不足もあれば、罪にも落ち易い、情欲の強い、悪魔にも強(したた)か誘(いざな)はれたお方もある、恐ろしい罪悪に汚れ果てたお方すら無いではありません。 

 聖パウロや、聖マグダレナや、聖アウグスチヌスの如きは、実に大した罪人でございましたが、しかし今日では大聖人と崇められています。して見ると、いか(どん)な人でも、天国に昇れぬ筈はない、私は不足が多いから救われ得ない、私は始終悪魔に誘われて居るから、情欲が盛んだから、到底駄目だ、私はこんなに大罪を犯して居るのに、どうして天国え昇れるか、等と思うには及びません。誰だって救われる、天国に昇れる、私は保証します、それには条件がただ一つ、聖人等の行かれた路に辿ることであります。聖人等は天主の聖寵をよく用い、信者の義務を忠実に果たすべく務められた罪も犯しましたけれども、早く痛悔しました。

 痛悔して起ち上がりました。起ち上がってからは再び罪に落ちてはならぬと、用心の上にも用心をして、罪の危い機会(たより)に近づかない様、悪い友に遠ざかる様、注意したものであります。




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