「初めての…記憶たちシリーズ」
・けが パチンコと石 5歳頃
子供の時に、男の子はみんな、一度は「陣地」を作ったことがあると思う。仲間だけがたどりつける秘密の場所。何だか、自分たちだけの別の世界が出来たようで、嬉しかった。
僕達も、同年輩の友達3名くらいで、裏山の熊笹を刈って、小さな空間を作って、そこを陣地としていた。本当だったら、大きな木の上だとかに小屋を建てて、そこでおやつを食べたり、何かを肥後守で作ったりするんだけど、そんな木の上の小屋なんて、チビの僕たちにはできなくて、笹の密生した中に、小さな空間を作って遊んでいた。
近くの林を探検して、ターザンごっこに使えそうな蔓を探した。大きな木に巻きついている蔓を見つけるため。蔓はしなやかで強いから、それにぶら下がって、その頃、はやっていたターザンの真似をして、アアア~~と声を出しながらスイングするのだ。

<ターザン>
僕たちも、大きな木の枝にまで届く太い蔓を何本も見つけて、その木が谷間の斜面に立っていれば、谷の反対に生えている木まで、蔓にぶら下がりながら飛んで行って、その木に乗り移るって遊びをしていた。今から考えれば、とても危険なことを平気でしたいたものだ。
ある日、僕たちが選んだのは、谷の向こうに太い竹が生えている所でターザンになった。アアア~~~~と言いながら、飛び出した。
僕が足で捕まえたのは、目標の木ではなくて、隣の竹の幹だった。しかも、その竹はもう一本の竹ときつく交差していて、飛びついた僕の太ももをその日本の竹が締め付けた。自分の体重がかかるから、交わったところではすごい力が掛かってきた。痛くて、苦しくて、もがけばもがくほど、僕の右太ももは二本の竹に締め上げられていく。
もうだめだとあきらめて、友達に家まで助けを求めに走ってくれるように頼んだ。僕は、血流が竹に占めあげられて、腿は悲鳴を上げていた。もがけば、もがくほど、強く締め付ける。
運良く、10歳上の姉が家に居た。姉は飛んできて、僕を下から支えようと、僕の足を持ち上げてくれる。しかし、僕の体は竹に締め上げられたままびくともしない。最後に、「てッちゃん、私の頭に足をかけて…」と言った。竹の幹をつかんで体を固定した姉の頭を思い切り蹴飛ばして、ようやく僕は、その締め上げている二本の竹の上に出ることが出来た。やっと助かった。
姉と僕とは、荒い息をしながら、林の中にうずくまっていた。僕友達も一緒に座って、僕達を見ていた。危なかったのだ。その後、上の姉には頭が上がらなくなった。ありがとう、助けてくれて。
今から思えば危険な遊びを、もっともっとしていたと思う。
そのいちばんが、パチンコ(ゴム銃)での打ち合いだ。弾は石ころ。もちろんパチンコで打てるくらいの大きさだから、命に別状はない。しかし、石が本当に飛んでくるのだから、今考えるととても危険な遊びだとおもう。今だったら、大人から危険な遊びとしてストップがかかっている、間違いなく。

<パチンコ>
裏山に行くには、有名な寺の墓地を通り過ぎていく。その墓地で僕たちは、時々パチンコで実弾勝負をしていた。墓に落ちている小さな石を、パチンコで墓石に隠れている友達にめがけて発射する。ビュンとゴムがはじけて、小石が友達の隠れている石の墓に当る。カチンという音がする。もちろん、僕の周りでも、ピュンヒュンと小石が跳ねている。それが戦いだ。
いま思えば、目にでも当たったら、失明するような危険な遊びだ。でも、僕達は、それが面白くてやっていた。
でも、僕のせいで、この遊びは禁止になった。
僕が敵から飛んでくる石を避けて、ある石の墓の裏に隠れようとした時、敷石に足を滑らせて、ガツンと眉毛のあたりを墓にぶつけてしまったのだ。ざっくり割れた眉のところからは、大量の血が湧いてきた。友達はあわてた。彼のせいではないに。
初めて、傷口をお医者に縫ってもらった。麻酔をしてくれたから、その瞬間の痛みは覚えてはいない。いまいましい。縫合する先生の記憶があるだけだ。
これが、初めての戦いの結末だった。それっきり、パチンコでの戦いは僕の周りから消えていた。
今でも、僕の右の眉毛の中には、傷跡がある。眉毛に隠れて、ちょっと見ても分からない。それが、戦いの痕。近しいものにしか知られていない。
<ターザンの写真は、flickrからOdaarwasikさんの“tarzan”をお借りしました>

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