大学時代の友達二人と横浜で会った。前回は、浅草で4年前だから、お互いに歳を取ったはずだ。しかし…。

<4年前の浅草>
一人は現役のコンサルタント。日本の建築材料に特化したノウハウで、中国ビジネスを果敢にやっている。会う前の週も、北京に出張していたという。厳しい日中関係のもとで、中国企業相手にがんばっている。でも、幸せそうだ。3人の中で、唯一の現役だからだと思う。
横浜で会うことにしたのは、彼らの僕に対する気づかい。僕の心臓の病気を気にして、本当は3人にとって中間点となる新宿を考えていたのだが、10月中旬の予定を僕が延期したから気にしてくれたのだ。その時は、体調に自信が持てなくて、先延ばしにしてもらった約束の日の、前日のドタキャンだった。その10月も、実は7月の約束を僕が延期したものだったのだが。
一人は八王子、一人は埼玉県の桶川。そして僕は横浜。二人とも1時間以上かけて横浜までやって来てくれたわけだ。感謝、感謝。僕としては、勝手知った横浜だから、楽ちん。

<ジョイナスの森>
きっと知らないと思って、会うとすぐにジョイナスの屋上の森に、二人を連れて行った。想像以上に深い林に彼らは感嘆して写真を取った。ここは、僕が何十年も前から、子供たちを連れて、アイスクリームや食べ物を持って、よく遊びに来ていたところだ。懐かしい。彼らが初めてだったのは幸いだった。
遅い昼飯を一緒に食うというのがテーマだったから、ジョイナスの森での最初の会話は何を食べるか…だった。僕が知っているのは、高島屋のレストラン街。中華も、蕎麦も、日本料理も、イタリアンもなんでもある。一応、心積りはイタリアンだった。OKが出たので、ナポリのピッツア屋、ナープレに連れて行った。ここは、本場と同じように石窯でピッツア(ピザではない)を焼いてくれる。

<ピッツア・マルゲリータ>
自慢そうに話しているが、実は、この店を教えてくれたのは、僕の娘。雰囲気と味と、ゆったり感が気に入って、その後、何度か使っている。友達に会うには、もってこいだ。昼の営業は3時までで、ラストオーダーは2時半。僕たちにとって、ピッタリだ。
ワインとサラダと、3種類のピッツアを注文して話し始める。あっという間に、4年という時がけし飛んで、昨日の続きの今日になる。不思議なものだ。これが、友達の持つ時空感なのかもしれない。タイムカプセルで、時空を飛び回って来れるから不思議なものだ。

<ナープレの三人>
僕は少しだけどイタリア語が話せるから、店のシチリア人のカメリエーレ(給仕人)、ピエロとイタリア語を話すのも楽しい。彼はシチリア人だから、イタリアといえばシチリアだ。しかし僕は、ミラノに2年ほど住んでいて、その後も何度かイタリアを旅しているが、ローマから南に行ったことがない。ピエロはそれが気に入らない。僕は、シチリア知らない。彼は、僕の知っているイタリアではないという。そこで、冗談半分、本気半分の会話が始まる。
大学時代の思い出が話題の中心だ。クラブ活動のこと、一緒に飲みに行った助教授のこと、大学祭の行事の映画のこと、話は何にでも飛んでいく。懐かしい他の友人の話にもなる。ホテルの支配人をしていたKはどうしているだろうかとか、学科で一番の美女だと言われていた女の子を射止めたFはどうだろうかとか。
共通の話題は、クラブの活発な女の子だったIさん。早く亡くなって、この世にはいない。いつだったか10何年前位に、クラブの40周年記念の会があって、そこで4人で話したことが最後になった。
そう、二人に、その瞬間、話そうと思っていたことがあったのだが、タイミングを逃して、話せなかったことがある。
それは、Iさんとアリバイ作りに、もう一人の女の子(名前も忘れている)と一緒に、夜行列車で東京から、奈良まで行ったことだ。どうしても東大寺と室生寺を見たいとIさんがいうので、僕が1年間在学した大阪市大の頃の記憶を頼りに、僕もアリバイ作りに関西のピアニスト、プラス一人の5人で、奈良を歩いたのだ。Iさんには可愛いい笑顔があった。
新しい発見も在った。岩手出身のH君が、岩手でヤンキーをやっていたという話を聞いて、自然に、そうだなーと思ってしまった。今も、そんな雰囲気がちゃんとある。古くて、新しい話を聞いた気がした。これからも、ヤンキーをやり続けてくれ。
長野出身のもう一人のH君からは、僕が頼んでおいた「入院連帯保証書」を受け取り、さらにご子息の著書を受け取った。古い友人の新しい好意を受けて、僕の入院が確定した。病院は、現役の連帯保証人を立てられない人は、入院できないのだ。変な世界だ。
食後に、ピエロのおまけで、レモンチェッロが3人にふるまわれた。小さなグラスだけど、アルコール度数の高い蒸留酒にレモンの皮を入れて風味を移す南イタリアの食後酒。楽しく飲んだら、僕の顔が急に赤くなったらしく、友達二人が心配してくれた。大丈夫?って。
一仕事、4時間の門限(?)は、なんとか守れて、横浜駅で別れたのは4時半。あっという間に、楽しい時間はすっとんでしまった。今度、いつ会えるのだろう。

<プティ・ガトー>
もっと頻繁に会おうかという話も出た。どうなるかは神様次第。二人の奥様に、僕のちょっとしたプレゼント、芦屋のH.C.のプティ・ガトーを届けてもらったが、反応は聞いていない。