M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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最後のミラノ里帰り・フラッシュ

2016-07-17 | 2016 イタリア

 4年ぶりのミラノ里帰り、3週間のフラッシュ(断片)を書いてみようと思います。今回の旅からの各種テーマに基づいたエッセイは、僕の中でそれなりの整理がついたものから、お届けしたいと思います。



 <ボーディングパス半券>

 この旅は、心臓病のリスクを冒しながら、大きく二つの目的で、やっておきたいと思ったわけです。
 
 一つ目は、カスケットリスト(棺桶リスト:くたばるまでにやっておきたい項目リスト)の未達成のうち、一番、心の引っかかっていた項目の達成でした。それは、44年前からのイタリア人の友人ご夫妻との、14年ぶりの再会でした。僕がイタリアに駐在した1969年来の友達です。今年、彼は85歳。お互いに先が短くなったので、会って旧交を確かめて、今生の別れを告げて、感謝しておきたかったわけです。

 二つ目は、僕の心の中で第二の故郷になった街、ミラノに短時間でも滞在して、時を過ごしてみたかったのです。少年の頃からの夢、外国に住んでみたいという僕の夢の実現の舞台となった、1969~70年に住んだ街、ミラノに最後の里帰りをして、街を感じてみたかったのです。

 僕とミラノのかかわりを振り返って整理すると、こんなことになります。

 1969年~1970年、IBMの新規プロジェクトの駐在員として、2年弱を過ごしました。その後、パリやロンドン、ブラッセルなどで行われた会議や、マネジメント教育の出張の折に、なにかの理由をつけて、ミラノに顔を出すことを実現しました。これが、4~5回だったと思います。

 1996年にIBMから自由の身になって、自分で計画し、ミラノ行きを実現しました。1996年の秋、3週間。2002年の初夏、3週間。2012年の初夏、3週間。そして、今度の2016年の初夏、3週間です。最初の単行本、「父さんは、足の短いミラネーゼ」で書いたとおり、強烈な印象と影響を僕に与えたミラノに、最後の里帰りをしたかったのです。

 本当は、2014年に行くことを計画したのですが、アリタリアのチョンボでロシヤ上空を飛べず、普通は成田~ミラノ・マルペンサ間、9780㎞を12時間で飛ぶところを、15時間の世界最長ともいえるルートの直行便となってしまいました。さすがに、心臓君の問題で、この旅は中止しなくてはならなくなり、悔しい思いをしました。

 気持ちとしては、昨年(2015年)に行きたかったのですが、EXPO2015で、ミラノは人で満杯となり、異常なミラノは敬遠することにし、今年にずれ込んだわけです。僕自身の残りの時間、神様しか知らない人生の時間も、当然迫ってきているのは当たり前ですし、友人のその時間も短くなってきていることは否めないので、今回ドクターの意見を押し返し、実行してきたものです。イタリアの人口は約7000万人ですが、6か月のEXPOに、同じく2100万人がミラノを訪れた結果になったとのことで、すさまじさが分ると思います。

 今回のミラノでは、新しいミラノと、懐かしいミラノの両方の姿を体験できました。

 EXPOを契機に、ミラノには新しい風景が広がりました。街の北部に、超高層ビル群が現れました。特に、ポルタ・ヌオバあたりには、集中して新しいビルがデザインを競っています。その中でも、昨年の最優秀デザインに選ばれた、「縦の森」の二棟は、行ってみましたが、素晴らしいデザインで、超高層ビルと緑の森との融和が実現されていました。



 <縦の森ビル>

 ミラノのシンボル、ドゥオモ広場は、以前は乾燥した硬い石畳でしたが、広場の一画に森が作られ、優しい感じになりました。


 
 <ドゥオモの林>

 ドブ臭かったナヴィリオ運河とミラノの港と呼ばれるダルセナは、ポー川からの水の引き込みと、浚渫で美しくなりました。

 もちろん、逆の現象も起きていました。

 懐かしいミラノが、壊れかけている街も歩いてみました。僕が、昔住んでいたマンションに近いコルソ・ブエノス・アイレス通りは、もうせんは、ミラノの人たちの生活臭あふれる、活気のある個人商店の街並みでしたが、そこに世界的なブランドの店たちが、個人商店を飲み込んで、存在感を増していました。つまり、東京の銀座がそうであるように、ブランドの店に街の個性が飲み込まれそうになっているのです。味もそっけもない、どこにでもある街に変容し始めていました。

 しかし、約1.5㎞のコルソ・ブエノス・アイレスのうち、ミラノの中心から遠い方の、リマ、ロレートのあたりには、懐かしいミラネーゼの日常的な買い物の個人商店や、モールが残っていて、にぎわっていました。ここには、ミラノに住む地元の人の通りがありました。ホッとできる街並みでした。



 <コルソのウインドウ : シャボン屋さんの手作りのシャボン>

 偶然、サッカー大好きのイタリア人にとって、大切なユーロカップの試合が見られました。このヨーロッパの国別対抗戦は、4年ごとに行われていますが、前回の2012年にも、国を挙げての大狂乱が見られましたが、その姿は変わっていませんでした。試合も、これも偶然ですが、準準決勝で、イタリアは前回とおなじくドイツと対戦し、同じく1点差で敗れ、翌日しょげていました。

 ノーリードで歩く、しつけのできたワンたちにもたくさん出会いました。メトロの車両のドアのところに、二匹のフレンチブルが、暑さ対策でお腹を床にべったりつけて、寝そべっていました。乗客は、それをまたいで乗り降りしていました。ほほえましいスナップショットでした。

 連日、30℃越えのイタリアでしたが、心臓君も何とか頑張って、行けてよかった旅でした。もう二度とは行けないだろうなと思いながら、この文章を書いています。