M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

「チェルト君のひとりごと」は電子ブックへ移りましたhttp://forkn.jp/book/4496

北斎展と発見

2019-03-03 | エッセイ


 今回、六本木森アーツギャラリーで開かれた「新・北斎展」を見てきた。



 <地下の北斎展のポスター>

 実は、率直に言うと、あまり浮世絵は好きではない。美女とか、役者絵とか、名所とか、花鳥図とか、武者絵や、妖怪などが、どうも好きにはなれないからだ。

 さらに、悪い印象も残っている。2011年、東京国立博物館で開かれた「写楽展」での印象だ。写楽にはとても興味があって、並んでまで見た。しかし、思ったより作品が小さくて(後で知ると、昔の版木では大きなものは少ないのは当然だったのだが…)、僕の写楽のイメージとはピッタリとはこなかった。さらに音声ガイドを使っている人たちが、小さな絵にへばりついて、自分のペースで作品を見られなかったことも悪影響。

 もちろん例外の浮世絵もある。北斎の「冨嶽三十六景」や、広重の「大はしあたけの夕立」などは、素晴らしいと思う。動機は不純かもしれないが、フランスの印象派の画家たちにジャポニズムとして影響を与えた原画を、影響を受けたゴッホなどのフランスの絵と比べて観るのは、とても楽しい。



 <広重 大はしあたけの夕立>

 今回は、北斎をまとめて見られる数少ない機会だと知って、六本木まで出かけた。六本木ヒルズは、地下鉄の駅から直結しているので、楽ちん。

 今から170年も昔(1760~1849年)、マンガや、劇画や、読み本の挿絵などを北斎が描いていたとは知らなかった。80歳で亡くなるまで、すごく活発な制作活動を続けていたようだ。この展覧会は、年代順に6期に分けて作品を展示していた。画風がどのように変化して行ったのかがよく分かり、作者の年齢との関係でみると、フムフムと納得できたりする。最晩年の「弘法大師修法図」などは、もう地獄は近い狂いの境地だと感じさせてくれる。

 僕にとっては、やはり風景が素晴らしいと思った。



 <絵葉書たち>

 技法の説明では、有名な青い波と富士山の「神奈川沖浪裏」(左上)は、六枚の版木を使って、八色を、八度に分けて刷って、あの波頭と、波間に浮かぶ遠景の富士山を現しているのだと知った。大変な集中力だ。

 構図的には、大きな樽の中で働く樽職人の遠方に、富士山が見える「尾州不二見原」(左下)などは、本当に天才の遠近法だと恐れ入った。これらの冨嶽三十六景は70歳代の作品とある。後年に、ここまで来るには長い試行錯誤があったのだと、作者の心を思いやった。

 この展覧会で、今まで、北斎の作としては、あまり取り上げられなかった非常にモダンな構図の絵を見つけて、僕はちょっと興奮した。彼の画業の丁度真ん中の40歳の時期の絵だ。「大仏詣図」という縦長の絵だ。



 <「大仏詣図」の全体像 118.5cmx26.4cm>

 とても近代的だ。シュールといってもいい。でかい東大寺の大仏殿をどうすれば、絵を見る人に分かってもらうかと、よく考えて、こんな構図にしたのだと思う。その発想は素晴らしい。現代美術の若手たちにも見てほしいと思う。

 上半分には、大仏殿の屋根から、瓦、大仏の顔と、大仏殿の建物の下端までの風景を描いている。よく見ると大仏様の顔が、金色に見える。



 <「大仏詣図」の上の部分:屋根の突端から、屋根、大仏のお顔、建物の基礎まで>

 下半分には、描ききれない巨大な大仏殿と距離を、意識的にすっ飛ばして空間を作ってっている。その下端に、大仏殿を見上げる詣でた人々を、遠近法を使って巧みに、しかもユーモラスに描いている。



 <「大仏詣図」の下の部分:大仏殿の建物の基礎から、空間、詣でる人たち>

 こんな構図を、1800年頃の江戸時代に発想することは、驚きだった。40歳の北斎は、この手法を発明した。やはり、天才だ。僕には驚嘆だったし、発見だった。一巡りした後、会場をさかのぼって、この「大仏詣図」を何度か見直してみた。やはり、ユニークだった。

 帰りのミュージアム・ショップで、この絵の絵ハガキや写真を探したが、残念、売っていなかった。


 54階建ての六本木ヒルズまで来たのだから、東京の街を見下ろしながら昼飯をと考えていたが、時間がずれ込んで、昼時間に入ってしまった。ビルで働く大勢の人が、数少ないレストランで食事をするのだから、どこも混んでいる。仕方がない、少しずらすかと53階を歩いてみると、懐かしい神宮の森が斜め下に見えた。250mの高さから、揉めていたオリンピックのメイン競技場も姿を現していた。



 <神宮の森と新・国立競技場>


 後日、北斎展の主催者の日本経済新聞社に電話して、「大仏詣図」の絵について聞いてみたら、高価で分厚い立派な図集には載っているとのことだった。ただ、重要な情報が得られた。もともとこの絵は、島根県立美術館の永田コレクションのものだとわかった。しかも、東京での展示は、僕が見た翌日には、架け替えで島根に戻っていったと聞いた。本当に奇遇としか言えない出会いだったのだ。




 <ヒルズのシンボル、ルイーズ・ブルジ作「ママン」>


 簡単にはあきらめないぞと、島根県立美術館の学芸員さんと連絡を取った。その結果、「大仏詣図」は、島根県立美術館のショップで、永田コレクションの図集にあると教えてくれた。構図の話をすると、確かに北斎の絵の中では、数少ない縦型の構図の一枚だという。とてもモダンではないですかと畳みかけると、そうですねと、お墨付きをもらった。早速、ショップに連絡を取り、永田生慈コレクションの図集を入手することができた。



 <永田コレクション画集>

 永田コレクションとは、津和野生まれの永田生慈が、2000件の自分の北斎のコレクションを一括して、2017年に島根県立美術館に寄贈したものだという。彼はその翌年、2018年に没している。散らかってしまった名画が多いなかで、これだけのコレクションを塊で残されたのには、感謝だ。

 今回の北斎展は、とても素晴らしい僕の思い出となった。画集を開いて、新しい北斎を探そうとしている僕がいる。

P.S.
六本木の新・北斎展は3月24日までです。「大仏詣図」は島根県立美術館に展示されていて、六本木では見られません。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿