M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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都電荒川線で鬼子母神へ

2016-01-31 | エッセイ

 久しぶりというのには、少し時間が経ちすぎているかもしれない。21年ぶりに、ちんちん電車 荒川線に乗って、鬼子母神へいって来た。鬼子母神と聞けば、おそらく多くの人が、「恐れ入りやの鬼子母神」と狂歌に歌われた「朝顔祭り」で有名な台東区下谷(鶯谷近く)の真源寺を思い出されると思うが、もう一つ、東京には鬼子母神がある。



 <荒川線・大塚>

 山手線の大塚駅から、早稲田に向かう都電、ちんちん電車 荒川線に乗って、鬼子母神前で降りると、鬼子母神の参道は目の前だ。因みに、なぜちんちん電車と呼ばれるかというと、車内に大きなベルがあり、「次で降ります」と近くのボタンを押すと、「止まります」と、運転手さんが、そのベルをチンチンと鳴らしてくれるからだ。

 雑司ケ谷の鬼子母神(法明寺)に詣でるだけが、目的ではない。この境内に近い病院、鬼子母神病院で、1991年に親父が肺がんで亡くなった。一度、親父が物理的にくたばった建物を見ておきたかったのが目的だった。

 豊かなけやきの参道を歩いて鬼子母神に至る。しかし、昔のイメージとは少し違っていた。けやきの大木の数が少なくなって、数えてみると、4本ぐらいしか、大木と言える木は見当たらない。あとは、細い若木たちだけだった。うっそうとした感じが無くなっていた。土地の人に聞いてみたら、600年の年輪を持つ木が、今も存在しているが、あとは、植え替えが進んでいて、感じが変わったようだ。どうりで、どこかさびしい姿に見えたのだ。



 <けやき>

 このケヤキ並木の突き当りには、昔は、ついじ塀越しに、広い日本庭園が見え、池には中の島まであるおもむきのある大きな屋敷だった。しかし今は、イトーピアというマンションが建っている。聞けば、日本シルクの社長だった中沢氏の邸宅だった大きな屋敷は無くなって、相続の際、売られたらしい。ちょっと悲しい風景だ。イトーピアに暮らす住民たちは、目の前に、けやき並木が見えて、いい環境に恵まれたのかもしれない。

 親父は87歳で、この鬼子母神病院で亡くなった。その前日、僕は車で横浜から首都高5号線を走って親父を見舞った。その次の夜、親父は、一人、旅立っていった。1月10日、東京が初雪の日だった。親父は最後まで絵を描き続けた。病室に油絵の具を持ち込むというので、僕が抑え込んだ。その代わりに、水彩絵の具をさし入れたら喜んで絵を描いて、病院の廊下で個展を開いていた。

 僕はずっと、親父が一人で旅立っていったこの病院を、一度訪れてみたいと思っていた。記憶では、コンクリートの打ちっぱなしの黒い建物だった。そして、その窓から、鬼子母神の境内が見えていた。



 <元病院>

 行ってみると、建物は同じつくりだが、ピンク色にちかい白色で塗りなおされて、そこに立っていた。明るい感じに見えた。もし病院だったら案内を乞うて、古い人に話を聞いてみたかったのだが、残念、今は東京音楽大学のK館という文字が見える別の印象になっていた。仕方ない、時間が経ったのだから…。

 帰り道、鬼子母神を訪ねた。ここは昔とまったく変わらない。安産の願いごとで、今も、たくさんのお参りがあるようだ。僕の目的は、仏には悪いけれど、境内の昔からの駄菓子屋を訪れることだった。川口屋は健在だった。銀杏の葉に埋もれながら、店は開いていた。見ると、ブルーの服を着た幼い女の子が買い物をするために、こんにちはと声をかけている。奥から年配の女の人が顔を見せて、その女の子に対応しているのが見える。



 <川口屋>

 僕も何か買ってみたくなり、女の子が去った川口屋に声をかけた。こんにちはとおなじ言葉をかけていた。何度か呼んで、白黒の猫と一緒に姿を現したのが、元気なおばあさん。僕は、並ぶガラス瓶とガラスケースを見まわした。そこには、なつかしい駄菓子が、昔の記憶のように存在していた。

 まず選んだのは、麩菓子。黒糖でカバーされた麩(ふ)そのものの形をしている。次に、薄い、薄いウエハースのようなミルクせんべいを手に取った。軽い。おばさんに、古いものは何でしょうと聞くと、くずもちだった。全部で98円。こうでなくっちゃねと、100円玉で買い物をした。昔と同じく、うれしかった。笑顔になっている自分が分かる。

 鬼子母神のケヤキ並木に戻ってきて人に聞くと、鬼子母神病院は、今は診療所になって、並木の正面にあるときいた。何か古い姿の写真でもないかと、診療所に入り込み、受付の人に聞いてみた。2004年に移転して、病院から診療所に変わっているという。病院時代の事務長に聞いてみれば、なにか分かるかもと言われたが、帰りを待つこともなく診療所を出た。待合室には、お年寄りばかりが、20人くらい、静かに順番を待っているのが見えた。やはり、町の人たちの面倒を見ているようだ。



 <駄菓子>

 都の天然記念物に指定されたという、けやき並木を背にして、僕は都電、鬼子母神前駅に戻った。もうせん、このあたりは、ひなびた東京の町屋が続き、のんびりとちんちん電車が走っていたものだが、鬼子母神前や雑司が谷駅あたりは、大規模な道路工事が行われていて、至るところ工事中で土埃が舞っていた。その中を、ちんちん電車が、大塚に向かって走っていく。

 目を上げると、池袋サンシャインビルが、すぐそこに見えた。もう2度と来ることはないだろうと、僕は大塚駅で降りた。



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