僕の記憶にある最後の「いとこ会」は1971~2年位だと思う。いとこの美女、AYさんが、イタリア駐在から帰ってきた僕がプレゼントしたお土産(僕は何だったか、忘れている)を、とても喜んでくれたのを覚えているからだ。イタリア駐在が終ったのが1971年だったから、だいたい、そんな時期だと思うのだ。
このいとこ会は、僕の半血の姉、KN姉貴が発案した、主に東京にいるお袋系のいとこの集りだった。だいたいは姉貴の家が会場になり、いつも10人くらいのいとこが集まって楽しい会だった。その頃、いとこはみんな若く、これから何でもありの若さあふれる参加者だった。
僕はその頃、自由が丘に住んでいたから上の姉と一緒に何度か出席した写真が今も残っている。みんな若い。

この写真は、1964のいとこ会
あれから30~40年。みんなの人生が展開され、みんなが今に至る自分の歴史を紡いできたわけだ。つまり自分の人生を作ってきたわけだ。
今年の年賀状のアドレスで、自由が丘に住んでいるKWちゃんとメールで連絡が取れるようにになった。彼女が「飛鳥」のクルージングで描いてもらったというご夫婦の似顔絵が面白くて、僕がメールを打ったのが切掛けだ。
やり取りの中で僕が、昔は「いとこ会」なんてやっていたね、懐かしいね、会ってみたいねって、と軽い気持ちでいったことが切掛けになって、KWちゃんが動いてくれた。五月末に、彼女の自宅、自由が丘で21世紀のいとこ会が開かれた。いとこの子供たち、つまりはとこたちも集まり、11人の大パーティー。
KWちゃんが、みんなに自己紹介を促して、分かりにくいところを、自分で補足をしてくれた。お袋の姉妹の子供たちが5名と僕がいとこ関係。さらに、各々の配偶者と子供たちが集まったのだ。
なじみがないだろうと、僕の好きなイタリア・ワインの発泡酒、スプマンテ(フランスのシャンパンと同じような)の辛口の赤、ランブルースコを3本買って、前もってKWちゃんに送った。そして、それを冷やしておいてもらった。それでの乾杯のあとには、高知に住んでいる従妹が、高知からわざわざ持ってきてくれた野菜や、刺身や、フルーツが出て、おいしい、楽しい会になった。
みんなが近くにいる人と話し始めるから、会合は一つにはまとまらない。幾つもの組が出来て、あちら、こちらで自由に話している。大きな声を出さないと、隣の人と話している声だって聞こえないくらいだ。賑やか。もう遠慮のない会話になって、取り留めもない。
「本当に30年もの時間が流れていても、盛り上がり… 楽しめるのは血筋ですかネ…」と後でKWちゃんが感想をメールしてきた。
参加には僕的な目的があった。それは母方のルーツを知ることだった。
僕の母は、親父と親父の母とは折り合いが悪く、さらに、戦後の赤貧に耐え切れず、すぐ上の姉を連れて土佐の実家の係累を頼って、僕の家を出た。僕が小学4年のことだから、僕は母を身近に、肌に感じながら生活したという実感はない。つまり、母を知らないといってもいいだろう。
僕は、母の実家の兄弟とか、姉妹とか、その繋がりとかもよく分かっていなかった。母方の僕のおじいちゃんや、おばあちゃんの名前すら正確には知らなかった。つまり、遠い存在だったのだ。
僕は、どこかで書いているけれど、カスケットリスト(棺桶リスト)を作って、くたばる迄に、いろいろやっておきたいことを書き出して、出来ることから実行している。その項目の中の一つに、「土佐・奈半利の竹崎家のルーツを調べる」があった。このいとこ会で、分かる限りの情報を得たいと思っていた。
会がたけなわになってきたとき、僕は、ホストのKWちゃんに、家系図みたいなものを書いてよと頼んだ。みんなだって、分かるところしか分かってないんだから…と。
KWちゃんの娘さんが大きな紙を出してきて、曾おじいちゃんと曾おばあちゃんをまずトップに書いて、分かる人から、その系図みたいなものに自分の情報を書き入れていった。そうやって、やっと、そこにいる人のつながりが皆にわかったのだ。
もう一つ、知っておきたいことがあった。それは、僕のおじいちゃんに当る竹崎音吉と、寺田寅彦、さらには夏目漱石との関係だ。
竹崎音吉と寺田寅彦とは、高知中学(高知高校)、五校(熊本に在った旧姓第五高等学校)、東京帝大での関係が書いてある本を探していた。その本のことも尋ねて見たいとおもっていた。KWちゃんが取り出してきた本のなかに、「「藪柑子集」の研究」という高知市民図書館発行の立派な本があった。

「藪柑子集」の研究
後日、高知市民図書館に連絡して、なんとか入手できないかと問い合わせたら、幸い、図書館に在庫があった。注文して、僕の手もとに届いた。それが、この本。
なぜ、竹崎のルーツ探しを始めたかというと、父方の徳山氏の方は客観的な文書で、はっきりしたので、今度は母方の竹崎家の情報を入手しておきたかったからだ。
これで、僕の子供たち、さらには孫たちに、自分たちの系譜を残すことが出来たわけで、僕のホームページに、新たに母方のルーツの記述ができることになった。皆に感謝だ。
今回出席した、はとこたちが「はとこ会」でも作ろうかと話していた。KN姉貴の初志が次の代にも引きつがれるとしたら、それは天国の姉貴にとってもうれしいことに違いない。
しかし、音吉おじいちゃんから数えるて、同じ血を四分の一ずつ持つ「いとこ」のような繋がりを、八分の一の血を持つ「はとこ」たちが、血縁として、同じルーツとして感じられるかな…と、帰りの東横線の中で疑問がわいた。でもいいか…。
竹崎家の血の中には、いとこや、はとこ、周りの話しや、記録などから、土佐の明るい、開かれた、積極的な進取の気性が見て取れた。いとこたちは、そんな人生を生きてきたようだ。同じような血が、僕にも流れているなと思い当たるところがあった。
いいいとこ会だった。
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