カスケットリスト(バケットリスト)の重要項目の一つ、八ヶ岳から軽井沢にかけての3泊4日の旅をやっと達成できた。
元々は新幹線で軽井沢まで行き、そこからレンタカーのはずだったが、今度は小回りが利くように自分で車を転がした。行きが240km、八ヶ岳高原で1日60km位、八ヶ岳から、小諸、追分、軽井沢往復で130km。そして横浜までの帰りが200km。合計630km位を運転したことになる。燃費16km/L。3年落ちの中古車は、よく走ったと思う。
幸い心臓君もご機嫌よくて、天候にも恵まれて幸運だったといえるだろう。そうそう、一度、スコールにあった。軽井沢に行った日の朝、八ヶ岳の農業用の大型トラクターが何台も畑の泥を振りまきながら走る農道を、僕も走らされて車は泥んこになった。田舎に行ってきたという印だが、まだ洗ってはいない。

<八ヶ岳が見えない>
八ヶ岳でよかったのは、フィトンチッドのあふれた森の空気を堪能できたことだ。野兎にも出会った。自然があった。

<横岳>

<野兎>
この周りでは、時間と体力があれば、回ってみたい場所が他にもいろいろある。
やはり一番は、5月初旬、追分で落葉松の芽吹きを、露の滴と共に見たいと思っている。
軽井沢から、北軽井沢、上野原経由で、懐かしい六合村の野反湖にも行ってみたい。何時だったか、伊豆から10時間かけて訪れた時に見た白樺に囲まれた残雪の水面も見てみたい。また中軽井沢から子供たちを連れて行った、草津、万座、横手山、志賀高原あたりにも足を延ばしてみたい。
まだ信越線が、渋川から軽井沢までつながっていた頃、渋川から尾根道を歩いて登った碓氷峠の見晴らし台。そこから、浅間と妙義を見てみたい。
北軽井沢で、独居しているカウンセラーの先輩女史と、彼女の作った花園で話を聞いてみたい。きっと、庭から別の浅間も見えるだろう。
冬の軽井沢プリンスでスキーをやって、子供たちとの時間を思い出してみたい。プリンスのロッジにも泊まってみたい。また、中軽井沢のリス庵を訪ねて、昔、子供たちと見たリスを見てみるのもいいだろう。
くたばるまでに何とか…という気持ちはあるが、あまり無理はしない方がいいと自戒している。みんな、車でしか行けないところだ。今回の旅が、僕の最後の長距離ドライブの記録になるだろうと思う。
逆に言えば、僕もだいぶ体力を取り戻しているってことが実感できたのは、とてもうれしいことだ。6、7年前、心臓病の発作とペットロスで、家に引きこもっていたことを考えれば、精神的にも元気になったと実感している。
これは、カスケットリストのおかげかもしれない。目的をリストアップして、心の準備をして、実行するのだから、達成感がある。元気でなくてはできないからだ。

<旧軽井沢銀座>
今回の旅で、一番残念だったのは、旧軽井沢の変わりようだ。懐かしい旧軽井沢銀座は全く、チンケな観光地の商店街になってしまっていた。もとは車が走ってもいたから、人々は歩道を歩き、店の中を覗き込んで、各々の個性のある店を楽しんでいた。しかし、歩行者天国になって、人々は道のど真ん中を悠々と歩く。何のことはない、個性あふれる店と人との距離を遠くしてしまった。
結果、魅力ある小さな店は見落とされることになる。行ってみたいと思っていた茜屋コーヒー店などは、カラフルなショピング・ビルに埋没して、入ってみようという気持ちにもならない。旧軽井沢の落ち着いた雰囲気は、カラフルな煉瓦の舗装と遊園地への変貌を受けて、魅力を失くしてしまっていた。
東洋系の外国人の喧騒、わが物顔も目をそむけたくなる。昔、ヨーロッパで顰蹙を買った日本人グループのようだ。集団で、大声で話しながら歩き、人にぶつかりそうになっても、道を譲ろうとはしない。ぶつかっても平気だ。商売の人たちには金離れの良いお客だろうが、町の質を変えたことは否めない。旧軽井沢銀座の人たちは、町の価値をどう考えるのか、考えてもらいたい。
も一つ残念だったことは、信州の蕎麦の味だ。期待値が高かったからだろうけれど、八ヶ岳一と言われた三分一湧水の蕎麦屋の十割手打ちそばや、小諸の草笛の蕎麦も、蕎麦の味がしなかったことだ。おそらく、蕎麦自体の味が落ちているのだろう。残念なことだ。

<夕暮れの高原>
総括すると、楽しい旅だった。そして、一つの宿題が終わった感じだ。
<旧軽井沢銀座の写真はwikipediaから633Highlandさんの“旧軽井沢“をお借りしました>

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