実家では、やることたくさん(⌒-⌒; )
こないだの「もちきびの茹で汁入りパン」でピザトースト。
…しようとしていたら、
それを、うちの実家の柿の葉で包もうとしたら、
まず、しっかり一日二食の食事の用意。
私は基本朝食は食べず、
母は早く起きて必ずパンとコーヒーなので別々です。
「お昼なんか作らずあり合わせで良い」と母は言いますが、
まず母と私の「あり合わせ」の感覚が少し違うのと、
何より食材を回すためにも、「あり合わせ」の材料を使い回して何らかのものを作り足して出す方が、
私に言わせれば効率が良いのです。
そしてなんと言っても実家での(extraな)お仕事は、、、
家の中の、母が何年(何十年?)もテキトーなままで放置して来た部分の掃除や整理整頓…。
そこを掃除しなかったからと言って、日常生活にはさほど影響しないとも言えるのですが(私たちが帰った時、ダニ埃でアレルギーが起こる以外)、
母も、「いろいろやらなくて良い」という割には、
「次はあれを」「今度はそこを…」と、
(断捨離の番組を見て?)焦るが故の「要求」は、意外と多い(ことに本人気づいているのだろーか(⌒-⌒; ))。
今母に言われて困っているのは、
裏庭の柿の木を切れ( ̄▽ ̄;)
葉っぱに虫が付き、植木屋さんに入ってもらって消毒をしたものの、
(普段から数個しか生らない)実が、
今年は結局全部途中で落ちてしまった。
世話(いや、そんなにしてないような気がするが)とお金ばかりかかる、と母が言うので、
「なんなら切ってしまえば」と私が口を滑らせたのも良くありませんでした(⌒-⌒; )
せっかち母の中では「要らない木→即切らなければ」となってしまったようで、
すぐ部屋を出て行くので何をするかと思えば、
こないだ私が片付けたばかりの廊下の隅の道具類のコーナーに行き、
「ノコギリはどこ置いた?」と言って探している。
ちょっとちょっとちょっと、
やめて下さいよお母さん。
私がやらなければ、
帰った後にまた母が、暑い中一人で何日かかけて無理矢理な作業をし、
「今日は柿の木を切って、何杯かのゴミ袋をゴミに出した」
などと報告をして来かねないので、
それを阻止するためには「私がやる」と言わざるを得ません。
ただ、「いずれ」「その他の事情が許す時に」私がやるよ、
というこちらの「つもり」と、
母の感覚とでは違うので、
ここはよほど具体的に「今の時期は暑いので無理」「早くても冬休みになるかもしれないよ」と釘を刺しておかなければなりません。
そもそも。
裏庭の柿の木は「大木」ではないとは言っても、
父が生まれ故郷から持って来て数十年はそこに生えている木。
「手動」のノコギリで、腕の痛い女が切り倒すようなものではないと思うのですが(⌒-⌒; )
カクカクシカジカ。
母は、「呆けている」わけではないけれど、
人間歳をとると、それまでの人生でのその人の拘りが強く出るようになるとも聞く。
母の場合はそれが「せっかち」(ー ー;)
実家滞在日数が嵩んで、
実は結構それが「体に来ている」感のこの頃です(⌒-⌒; )
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8/13(土)。
なんだかんだでお盆の入りでした。
お昼ご飯が↓
こないだの「もちきびの茹で汁入りパン」でピザトースト。
このパン、思ったより色がモデラートに焼き上がりましたが、
それをトーストすると、なぜかピンクが濃くなる気がします。
(端切れを試しに焼いたので変な形です。)
この日お盆の入り。
今年お墓掃除はバッチリなので安心です。
その安心にかまけていて、
肝心の、家に飾るお盆の花を買いそびれたことに後から気付きました(⌒-⌒; )
庭に咲いていたわずかな花を採ってお供え(⌒-⌒; )
…しようとしていたら、
私のサンダルに来て止まったりしていたこの日の来訪者↓
初めて見ますが、黒と黄色でちょっとカッコいい。
お盆だし、
もしや姿を変えた父?
と一瞬思いましたが、
調べたら「キバラヘリカメムシ(黄腹縁亀虫)」(そのまんま!)。
カメムシだしな。
父ではないということにしておこうf^_^;
お盆の「迎え火」は早くに焚くものだというから、
まだ昼間と言っても良い明るさの5時頃に母と。
松を焚く土台になる石は、
以前は父の拘りの、「ちょうど良い河原の丸石」を使っていたはずでした。
あれはどうした?
と母に聞くと、
「私はずっとこれよ」と。
母の拘りはこの「ブロック」らしいf^_^;
この日の夕ご飯↓
伯母の好きだったちらし寿司でお盆のお迎え。
他には茶碗蒸しの残りなど。
新たに作ったのは鮭となすの南蛮でしたが↓
母が生協で取っていた、
規格外(大きさバラバラ)の骨とり鮭の身(冷凍)とやら。
これは何のために存在しているのだろうと思うほど、
解凍時に水分(とたぶん旨味)が流れ出て、
とても味気ない身しか残らない代物でした。
何か別の解凍方法にすれば違ったのだろーか?
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8/14(日)。
この日のお昼の課題は、
「ちらし寿司のリメイク」。
よく考えたら、これは元々入っている具と付いている味が決まっているがために、
リメイクしにくいものの部類かもしれない。
いや、でも何か方法があるはずです。
世の人々も困っているに違いない^^;
ネットを探すと(少ないけど)ありました。
主だったものは、
「オムライス」か「チャーハン」
でした。
「天津飯」という手もあるらしい。
確かに、
既に付いている「酢」と「砂糖」の味に違和感がないものと言えば「オムライス」か「天津飯」でしょう。
ここで少し問題なのは、
うちの方の「ちらし寿司」と言えば、
ただの酢飯に具を乗っける「ばら寿司」のようなものではなく、
あらかじめ細かく切って味を付けた具がご飯に混ざっているのです↓
(この日はあり合わせで、人参、こんにゃく、油揚げ、しいたけ、かまぼこ、生姜、ごま。)
オムライスの中身としては、紛れてどうってことはなくなるのかもしれないけれど、
天津飯の卵の下がこれでは、ちょっと違う気がします。
具が、一番似ているのはチャーハンか!
(こんにゃくと油揚げ、ごま以外は普通のチャーハンの具と言える。)
ということで、
この日はちらし寿司はリメイクチャーハンになりました。
強いて言えば、
元の酢飯を私にしては甘くしてしまったので、
その甘さが余分のチャーハン。
そしてこれ↓
“雰囲気”柿の葉寿司。
(“雰囲気”イケメン、みたいな!?(^◇^;))
前日柿の葉寿司を作ろうとしたのに生の鯖が入手できず、
仕方なく買っていたのがこれ(市販の鯖寿司)で↓
それを、うちの実家の柿の葉で包もうとしたら、
季節を超えた柿の葉が、大きすぎ、また硬すぎました。
威力がありすぎるので平和に包むことができず、
上からラップで補強してタッパーに詰めておいたもの(⌒-⌒; )↓
いや、とても普通に「柿の葉寿司」と呼ぶのは憚られるものになってしまいました(⌒-⌒; )
中身のお寿司も甘すぎて口に合わなかったし。
次は、ちゃんと自分で作った鯖寿司でトライしたい。
食卓全体はこうでした↓
そして昨日の午後、
大変な作業が私を待ち受けていたのです。
「裏庭の柿の木を切れ」の他に、母が私に水をむけていたのが、
和室押し入れの天袋の整理。
ちょっとそういうのがサ、
一番私にとって大変な仕事。
何年、何十年そのままのそんなところを開けて物を動かしたりしたら、
ダニ埃の鼻炎発生で、私はその後数日間は日常生活が送れない「廃人」となりますョ。
そこんところをちゃんと理解して言ってるかな>母。
数日前、そう言って母に牽制をかけていたところだったのだけど、
やっぱりここで私がそれをやらずに帰ると、
後から母が一人でいろいろやってしまい、
やれ脚立を踏み外した〜、それ腰が〜、
ということにまたなりかねません。
そこで、この日意を決し、
そして母には申し訳ないけれど、
「絶対に私のペースでやるから」、
「こっちに来なくて良い」、
「手も口も出してはくれるな」
と宣言して予め険悪な雰囲気になる中、
いざ作業を始めました。
(幸い母は今、届いたばかりの漢字パズルの雑誌に夢中^^;)
和室の天袋を開けて見ると、
うっわ。
右半分だけでこんな。
しかも、ここはしっかり一間分、
奥の深い押し入れなので、
この天袋にも奥までぎっしり物があるとすると、いったいそれはどれだけの量なのだ?
その後は、一人で脚立や椅子を登ったり降りたり。
奥から発掘される
えーーーナニコレ( ̄◇ ̄;)
なものの数々に発狂寸前になりながらの作業。
結局そのほとんどが、
父が集めたり、人からいただいたりした、
私では由来のわからないものだったため、
途中からは母を呼んで巻き込むしかなかったのですが(⌒-⌒; )
父は別に骨董趣味とか蒐集家というわけではなかったけれど、
中には地元由来の「やや文化的価値があるやもしれない」ものがあったりなどし、
無下にはできず、またすぐには判断がつかないのでとりあえずそのまま置いておくしかないようなものも多いです。
とりあえず、全てを出して「分別」はしました。
何をやめてほしいって、
整理下手の母、
「中身の割に包装が無駄」とか、
古い包装紙や障子紙など、
それ自体がダニの巣窟でありそうなものを後生大事にしまってあることでした。
そんなものを取っ払って、
とりあえず出たゴミ、
市指定の大きな袋に、まず5個。
まだその素性を確かめられないとか、
とりあえず置いておくものが、
床の間の半分を占めるこれら↓
この日発掘されたものの中で、一番すごかったのはこれでしょうか。
「中国天津」と書いてあります。
箱を開けると、同じものがたくさん入っているので、
はじめ何か「ばら撒き用」のお土産のお菓子かと思いましたが、
「DRUG MANUFACTORY」って、
薬か!?
父は終戦間際に2年間ほど上海に、
70年代に旅行で2回ほど中国に行っているはずです。
90年代に香港に住んでいた妹に聞くと知らないというので、
これは父が旅行に行って買ってきた?、
70年代の中国の薬の可能性が高いです。
翻訳機にかけることまではしていないけれど、
どうも、血行を良くするとか、関節に効くとか、
そういうサプリ系か?
なぜ全く使わずに仕舞われてあったのかは謎。
にしても、今となっては何だか恐ろしげな丸薬ですf^_^;
50年近く前のこれを飲んだら、
返って体調悪くなること、まず間違いなさそう…(⌒-⌒; )
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夕飯の準備をする体力気力が、
さすがに残っていませんでした。
完全手抜きの夕ご飯。
母、「赤いきつね」で、
私、TKG ( ̄∇ ̄)
駆け込みで「鎌倉殿」。
今週は比企さん(佐藤二朗さん)がぁ〜(;´д`)
頼家の最期は病床ではなく、
幽閉後に暗殺とは聞いていたけど、
本当にあんなふうな「奇跡の回復」だったのか気になります。