michigan's

〜my everyday life, とりあえずの日常〜

2025年 明けましておめでとうございます

2025-01-01 11:25:00 | 日記2024
12/23より実家滞在。
書くこといっぱいたまったまま、
2025年になりましたf^_^;

皆さま新年おめでとうございますm(_ _)m

既にご存知の方も多いことと思いますが(?)、
私は「お節をお重に詰める」という作業がなぜか大キライf^_^;
特にそれを12/31に焦ってやらなければならないことが…。

(何か因縁でもあるのでしょーか?)

今年(もう昨年)は幸い、
娘に荷物を送る都合に合わせ、
全てが前倒しで運びました。

12/28(土)時点で既に自作した3品↓



今年、黒豆煮には、これ↓が活躍しました。



母の鉄分摂取のために、妹が実家に買い置いてくれてある鉄製遮光器土偶(^◇^;)


そして、大晦日の母との夕飯が既にお節f^_^;



実家伝来の(大した値打ちはないが古いは古い)角皿鉢に、
大丸(卵入り蒲鉾)の色がややケバしf^_^;

夏に剪定したあと元気に育ちまくりの玄関の南天は、
年に一度の活躍どきです^_^






今年の我が家のお節は、「信州色」強めでした。




門松は、うちの県での昔からの定番、
「紙の門松」。



松材保護の観点から、印刷会社さんが始めたものとかで、
毎年デザインを変えて印刷。
自治体やスーパーなどで無料でもらえます。


2025年が良い年でありますように♪


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実家へ〜12/19-12/24の覚え書き

2024-12-27 18:00:00 | 日記2024
12/19(木)

怒涛のうちに2学期終了。

その足で、Y叔母(亡父の妹)の家に回り届けものなど。
Y叔母は、「戦争中やし自分はちゃんと勉強もできてない」と卑下することが多いのですが、
私にとっては料理の師匠であるのみならず
家や家族のことについて少ない言葉でバッチリわかってくれる、
親戚中では最も頼もしい人生の先輩です(^^)v


12/20(金)

しばらくぶりに家の(チョット)片付け。


12/21(土)

最後の婦人科。
娘の出産からお世話になった先生。
いつも病院は混んでいるし、
シャイな感じで口数は多い方ではなかったけれど、
この日は意識的に時間を取って?、
今後の治療方針の見通しなどを丁寧に話して下さいました。
用意していたお礼の品(社会人となった娘もちょっと一役買っている)もお渡しできた。

午後、とある用事の人と近くのカフェで会う。
(なかなか気詰まりだったが、これで私の年内の懸案事項はほぼ終わり。)


12/22(日)

午後、幼馴染Yちゃんが来てくれ、家でお茶。
シャトレーゼのケーキで一足早いクリスマスをしました^_^


12/23(月)

買い物の用事を途中済ませながら実家へ。

年末年始は家族の誰も帰省せず、
私一人が母のお相手です。

帰ったこの日の夕飯は、
豚しゃぶ風のみぞれ鍋。
(のつもりが、生協で買った豚しゃぶ肉が思いの外硬くてちょっと予定外(ー ー;))




  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

さて、
早速「事」が起こった帰省翌日の12/24(火)朝。

この日は実家のごみ収集日でした。

前夜にだいたいのゴミをまとめ、
ゴミ箱から庭を横切った収集場所(家の角だけど)までは距離があるので、
母には私がやるよ、無理して早く起きなくて良い、
と言って休んだ前夜。

寝るのが早すぎたためか、私は夜中の4時に目覚めてしまい、
起きたら起きたで、ふとあれこれ考え出すとそれなりに考え事も増幅するお年頃f^_^;

かと言ってそのまま朝まで寝ずにいるのも翌日堪えるので、
ゴミ出しには十分間に合う7:30に目覚ましをかけてウトウト、7割くらいの覚醒具合で布団に入っていました。

すると、7:20、
隣の部屋で寝ている母が、
ドカッと言う音とともにベッドから飛び起きるのが聞こえる。

そして、テレビのスイッチを付けたらしく、
前夜にバラエティ番組を見ていた時のままの大音量でNHKのアナウンサーの声が。

な、何ごとっ!??(;゜0゜)

(前夜良い睡眠を取れていない頭にズンズン響くよ(;´Д`A)

普通なら母、
まだ隣で私が寝ているとなれば、
起こさないようにテレビを「消音」またはごく小さいボリュームにして字幕でニュースを見るはずなのです。

なのにこの朝は、、、

いつボリュームを下げるのだ!?と思いながら私は我慢して起きるタイミングを考えているのに、
母はいっこうにテレビの音量を下げません。

それどころか、

「遅いっっ!!( ̄Д ̄)ノ」

と、半ば吐き捨てるように言ったかと思うと、
テレビはそのまま、転がるように廊下に出て(実家の廊下は長め)台所の方へとドカドカと走って行きました。

足腰の弱った92歳、
突然の行動はダメ、危ないから、
と、折しも前日聞いたYちゃん母の最近の転倒&骨折の話も出して再度注意したばっかりなのに、、、

そもそも、確かに動きも鈍った92歳が、
一からゴミをまとめて出すには焦る時間だったのかもしれないけれど、
ゴミはもうほぼまとめていて、後は口を閉じて家の角まで運べばよい状態。
収集時間まではまだ1時間以上の余裕が。
私がやるから、
と念を押してもいた。
しかも、たとえこの日に時間に間に合わなかったとしても、
年内にはまだゴミの収集日があるのを母と確認もしている。

なのになぜそれほど焦る???

「せっかちなこと」「焦ってイライラすること」をうちの地方では「イラレる」と言います。

「そんなにイラレんでも」とか、「あの人はイラレやから」という名詞的使い方も。

うちの母は若い頃からまさにこれ。
たぶんそれは根が几帳面であるが故なのですが、
歳をとってからはその若い頃からの性格が「先鋭化」。
周りはそれに振り回されて大変なことが多くなりました。

そして、普段は優しい娘の私も、
この日ばかりは思わず声を荒げました(⌒-⌒; )

いくら何でもそこまで慌てることはない、
それに朝からいきなりあのテレビの音量は何!?

と。

(「起きると言っておいてさっさと起きない私に対する当て付け?」と喉まで出かかったけれど、さすがにそこまでは言いませんでした( ̄▽ ̄;))

最近耳が遠いのもあるのか、
テレビの音については、

「え?そんなに大きかったろーか?」 

ととぼけているのか、本当にそう思っているのかよくわからない母。

そもそも、昨今言っているのは、

「最近本当に朝が弱くて困る」。

ここで母の言うところの「朝が弱い」は、
例えば低血圧で朝起きにくい体質であるとかそういうことではなく、

夜中に何度も目が覚めてトイレに立ったり、
眠れぬうちに深夜ラジオを聞いていたりするうちに、
朝方夢うつつのうちに起きると、
どうも夢と現実の境界線が曖昧になり、
コーヒーとパンを食べながら新聞を読むという、朝のルーティーンで一息つくまで、
なかなか普段の調子に戻らない、
ということらしい。

そしてそこにはやっぱり、

自分はボケかけているんではなかろーか?

という一抹の不安があるらしい(・_・;

いや普段の母は、物忘れ、特に人の名前が思い出せないのが激しい以外は、全くもって正常。
私などは全く太刀打ちできない難読漢字パズルを趣味とする「かなりの92歳」だと思うのですが、
「周囲のことを考慮に入れる余裕がない」
この朝の「大音量」に、
わたしは危機感を覚えた次第…(ー ー;)

…そしてやや険悪になりながらも、何とか徐々に関係を修復したこの日の午後。


お昼は前夜のみぞれ鍋リメイクの雑炊で、



夜は一応イブということで、



我が家の定番?チキンポットパイと、
鶏肉のマスタードクリーム焼き。

が、ポットパイは実家のオーブントースターでは高さが足らずに上が焦げた上、
パイ生地の内部はイマイチ生(⌒-⌒; )



マスタード焼きは、迷った末にもも肉の代わりに胸肉を使ったら、やっぱりちょっと固かった(⌒-⌒; )


あ、この日の午後の私のお仕事は↓

こないだ古い方の実家からサルベージして来た、なぜか家にあった古い古い(もしや昭和初期の?)学校のイス。



これの

脚をノコギリで切る

でした(^◇^;)

庭の雑草を抜いたりする時に母が使っていた低くて小さい木の椅子(息子が中学生くらいの時に学校で作ったもの)が、
小さすぎてお尻が収まらないばかりか、
傾斜のある庭では不安定で、
こないだそれごと母がこけたらしい。

(しかも、傾斜がある所だったので、妹が気づくまで、自分では起き上がれずにそこに転がっていたらしい( ̄▽ ̄;))

それよりマシだろう、
という学校の椅子!




役立ってくれると良いのですがf^_^;


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2学期終了

2024-12-20 16:50:00 | 日記2024
怒涛の2学期が終わりました。

…って、
1学期は1学期で、
やっと教材も揃い(そもそも勤務先、これが決まるのがいつも破滅的に遅い)、
生徒の部活や選択科目、レベル別授業のクラス分けなども終わってやっと落ち着いた授業体制、
となるのがGW明けならまだ良いくらいである例年。

間髪おかずに中間テスト、
そして、その年の行事予定によっては1か月足らずでまた期末テストを作る時期がやって来るのは、
いつも私が「怒涛の1学期」という言い方をしている所以です。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

2学期の高3は、
夏休みが明けるか明けないうちからの、推薦入試体制で、
明けて間も無く、「指定校推薦」枠の学内での競合の悲喜交々。

指定校推薦を含む推薦入試の形態は現在各大学実に様々で、
個々の生徒によって全く違う用意(志望理由書、小論文や面接の練習など)が必要です。
しかも1人が何か所も受けたりするから、クラス担任の事務的負担は言うに及ばず、
添削を担当する教員は、普段文章などまともに綴ったことなどないような体育会系部活の生徒の、(わけのわからん)文章の指導、手直しという、気の狂いそうなエクストラな仕事で多忙を極めます。
(はっきり言って、そこまで学校の責任だろーかと思うことも。)

ほどなく中間テスト期間になり、
しかしこの前後から既に、
早い生徒では推薦入試を受けに行ったり、その結果が出たり。
受験のための欠席(出席扱いにはなる)もこの時期多く、
提出書類の締め切りが迫っている生徒などの「内職」も多し。
はっきり言って授業の雰囲気に非ず。

以前から、ほとんど全ての生徒が、何らかの形の推薦入試で大学に入るという、
世の教育の(劣化の)先端を行っていたような勤務校では、
例年12月の頭、遅くとも下旬までに、
ほぼ全ての生徒の進学先が決まります。

この時期にどこかの大学の合格を手に入れていない生徒は、
「できる生徒」で、元々順当に共通テストを受けて国公立大を狙う「稀な数人」か、
それまで数回チャンスのあった推薦入試に受からなかったために(大抵は親や本人の高望み)、年明けの「共通テスト利用」か、私大の一般入試(当初の予定外のその状況は、大抵学力的に厳しい)に賭けるしかない生徒。

そんな中での期末テストがこないだあったかと思ったら、
自分の試験当日には既に「赤点」の生徒を割り出す必要があり(つまりその日その場で採点&大まかな成績計算)、
その日のうちに課題を用意して与え、数日間で終えさせる必要が。
(このスケジュール、今回は週末や私の休みの都合も重なったとは言え、普通は「無理ゲー」というものでしょう。)

そしてその課題の期限=もう授業最終日です。

勤務校では、高3の3学期の授業は基本的にないので、
実質この日で高3生とはお別れ。


ということで、
どうでしょうか?この2学期の「怒涛具合」は。。。


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

今年2クラス担当していた高3は、
どちらもこれまでにも増して、
良きにつけ悪しきにつけ特徴のあるクラスでした。
普段「120%の私」でやっている私が、
「130%」にテンションを上げて、
それで授業がうまく運ぶことも、
全くの徒労に終わってヨレヨレになっただけで帰って来ることも。

個々の生徒とは、常にかなり悪くはない関係を保っているつもりでしたが、
全体の授業となると、
良い時もあればそうでない時もあり。

「とにかく強烈だった」という点で、
今年の卒業生は、これまでの中でも私の記憶に残るでしょう。
(生徒の名前は、授業がなくなるとすぐ忘れるけどね(^◇^;))


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

ということで、
2学期終了直後、
今日はまだ頭に血が上っているのか、
血圧高い気がする私ですf^_^;


この間大した写真もないけれど、
何も絵がないのも寂しいので、

こないだ「ひっっさびさ」に行ったケンタで会ったカーネルおじさん↓


(本当の人かと思った^^;)

そして、この間トライしてみた、
ちょっと本格的な「青汁」↓



(伊藤園の2倍くらいは濃かったけれど、全く大丈夫でした^_^)


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青汁

2024-12-09 20:39:00 | 日記2024
あることで、頭クラクラ吐きそう、
で帰宅した先週金曜。
(先述。)

とりあえずそれを鎮めることができそうなのは、
普通ならヤケ食いとかヤケ酒とかなのだろーなと思いながらも、
この日私の体が求めていたのは「それ以上」の何か。

それは何?

帰りに寄ったスーパーで、
その時の自分にフィットしそうなものを吟味した結果、
買って来たのはこれでした↓



普段こういうものは飲まないのに、
その日のヨレヨレの私を、シャッキリ現実に引き留めるには、 

ガツンと一発何か普段と違うもの

が必要な気がしたからf^_^;


本当は、
かつて俳優の八名信夫さんの、

「まずい!」

という台詞で有名になった、
あのいかにも濃そうなやつ。
あれが欲しかったのですが、
生憎スーパーでは扱っていなさそう?

実は、日本の元祖青汁はそれでもなくて、
わが県発祥の「遠藤青汁」であるのは知る人ぞ知るところなのですが、
しかしそれも、スーパーなどで扱っている商品ではないのかも。

(これまでそういうものを自ら求めたことがなかったので、どういう販路のどういう商品なのか、全く以て無知。

で、代わりに買って来たこの伊藤園。

ガツンとした苦みが、何とかその日の私を現実に〜、

と期待した割に、

なんだ、なーんて飲みやすい(*゚∀゚*)
これなら健康のために毎日でも飲めるゎ♪

と思う美味しい商品で、
拍子抜けしてしまいました〜ヽ(;▽;)


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

あれこれ考えながら何とかやり過ごした週末。

今朝職場の駐車場で見上げた空は、



なぜか異様にたくさんのトンビが喧しく輪を描いていました。
(画面には2羽しか入ってないけど。)

こないだ私の車に、あり得ない大きさの◯◯を落としたのはこいつら?


試験期間の変則時間割。
期末まで、
明日は束の間の「安息日」です^_^


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レスポンス!

2024-12-07 18:38:00 | 日記2024
大学1年の時、 
専攻の授業担当にそれはそれは恐い教授がいました。

今思えば、
当時はまだ大学と言えども定年は普通に60歳だっただろうから、
もしやあの時「ものすごいおじいさん」に見えたその教授は、
今の私とあまり変わらないくらいのお年だったかもしれない。

(後から先生のプロフィールを調べて計算したら、モロ今の私の年かも( ̄▽ ̄;))


言語学の権威で、
私たち新入生が教わっていたのは、
その科の学生としては避けて通れない「概論」(入門)のような授業。

そしてそのH先生の授業中の口癖は、

レスポンス!!

小さな教室での、科を半分に分けた、ひとクラス35人くらいの少人数授業でしたが、
先生の言っていることは難し過ぎ、
脈絡も感じられなくて、
皆何が何のことだかさっぱりわからない。

(後から考えれば、それは私たち学生があまりにも未熟で、先生の思考のレベルに付いて行っていなかったから。)

地方から出て来てまだ大学生活の右も左もわからないような学生も多かったから、
90分の授業は、緊張でコキンコキンの空気の中で行われる「苦行」のよう。

それで、先生が何を言っても、皆黙って聞いているばかり。
いつ指名されて質問攻めに遭うかとびくびくしながら座っているので、
その授業中に自分から何か「言葉を発する」余裕のある人など誰もいない。

あるクラスメートは、授業中に突然指名されて自分の名前について尋ねられ、
親から聞き知っている命名の由来を答えたところ、
先生は、

いや、それはおかしい。
それは中国の歴史書のこれこれから来ているはずで、
そのような意味ではない。

と、親からもらった名前からして断罪されていた( ̄▽ ̄;)

それくらい先生が、
英語言語学だけでなくあらゆる方面の学問に造詣が深かった、
ということです。

(と、後からわかったf^_^;)

そんな具合で、
ビクビク授業を受けていた私たちに、
先生が突然大声で発するのが、

レスポンスッ!!
(「反応」!)

先生のおっしゃるに、

君たちは、目の前で人が君たちに向かって喋りかけているのに、
それを聞いて何も思わないのか?

ああそうか、と思えば、「あ、そうだったのかー!」と思ってそれが表情に表れたり、
知らなかったことを知ったら「へぇ〜」と感心して、
それが思わず口をついて出るとか、
何か心に動きがあるのが人間というものだろう。

言葉というもの、コミュニケーションというのはそういうものだ。

…先生が伝えたかったのは、もちろんこの最後の部分であるわけで、
語学生だった私たちはもちろんそれが大事だとはわかるものの、
先生が言う通りに、その時思ったことを素直に表せる勇気のある者などなかなかいなかった。

けれどそうこうするうち、
私たちもある程度「処世術」を見出して、
皆で実行するようになって来ました。

名前の由来までイジられた先のMちゃんのあたりから(開き直ったのか⁉︎)、
先生が何か言うたび、

へぇ〜〜、そうだったのか〜〜!
初めて知りましたぁ〜(゚∀゚)

などとわざとらしく声に出す人が出て来て、
他の皆も、わざとらしいことを重々知りながらもそれに唱和。

先生が何か言ったりするたび、
皆出来るだけ大きくうなづいて「反応」を示したりするように。

普段まさに「苦虫を噛み潰したみたいに」厳しい表情で前に立っている教授も、
その表情を変えはしないものの、
その裏側でチラッと、

「しょうがないなぁ(⌒-⌒; )」

と1パーセントくらいの笑いを堪えているのが、
学生のこちら側にもわかるようになって来ました(^◇^;)


それでも授業内容に感しては、
他の先生の授業と比べても、
私たちにはチンプンカンプン。

そうこうしているうち、
あっという間に1年次が終わりました。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

私が、遅ればせながらその先生の凄さに気づいたのは3年生くらいになってから。

私は一応、
物心ついた頃からの

「言葉とは何ぞや」

などという壮大な疑問を抱えてわざわざその大学に行ったマジメな学生だったのでw、
学年が上がり、ある時ふと1年次のH先生の授業のノートを取り出して見直していた時のこと。

もしやこれは、、、
長年の私の疑問を解く鍵のようなものではないのか?

いかんせん、
ノートを取った当時はその授業の内容が本当にわかっていなかったので、
脈絡のない部分などがたくさんあります。

でもそこに断片的に書かれていることは、
どれもすべて私のモヤモヤを晴らすパズルのピースのよう!

私はなんて馬鹿だったんだろうかと、
自分を恥じたことは言うまでもありません。
(まあ結局、未熟なこと、そこから勉強してモノを知るってことはそういうことなのですねf^_^;)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

3年の終わり、
卒論を書くゼミを選ぶことになった、とある冬の午後。

寒くて暗い研究棟に私が訪ねたのは、
H先生ではなく、当時まだ30代だった助教授S先生でした。
(H先生は大御所すぎて、卒論ゼミなど持っていらっしゃらなかったから。)


このS先生がまた、
2年次くらいに授業を受けた時、
やってる内容がチンプンカンプンだった人。

最寄駅からは広大な墓場を横切るのが近道だった通学路。
友だちとおしゃべりしながら大学に向かっていたある朝、
ふと気づくとそのS先生が、
ジーンズに使い込まれた革製リュックという、学生と変わらないラフな出立ちで、
私たちのすぐ後ろを黙々と歩いているのに気がつきました。

そしてその時私たちが喋っていた内容というのが、

ねぇS先生の授業って、
何がやりたいのかさっぱりわからないよね

という「ほぼ悪口」。
(距離から言って、絶対聞こえてる( ̄▽ ̄;))

…でも、お分かりのように、
この2年の時にはまだ私たちにチンプンカンプンだったこの先生の授業も、
ある時ふと気づいてみれば、

自分たちがわかっていなかった

だけだったということ。

しかもやがてそれが、

自分の求めることそのもの

なのではないかと気づいた時の衝撃。


とにかく、
卒論を書くためにS先生に相談に行った時、
思い詰めていた私はさぞ暗い顔をしていたことだろうと思います。

けれどお話ししている中で私が、

1年の時、H先生の授業は何をやっているのかさっぱりわからなかったのに、
後からノートを見直すと、全て自分の疑問を晴らしてくれるようなものでびっくりしました

と言ったところ、
S先生は平然と、

そうでしょう。

とおっしゃる( ̄▽ ̄;)


レスポンス!の恐いH先生は言語学の権威、
片やS先生はアメリカ文学やポップカルチャー論というような一見全く違う分野の研究者だったのに、
お二人の先生の研究の元の元はたぶん同じ
私が求めたものもどちらとも分野を区切るようなものではないはずで…

…と、まだその時点では本当に漠然としていたものの、
とにかく私は無事S先生の元で卒論を書くに至りました。

(そのつい1年ほど前、墓場の道で悪口言っていたのが私だったことに、先生が気づいてないのを祈りながら過ごした4年次(^◇^;))

S先生はS先生で、
結局私はこのためにその大学に行ったのだ
と思える、私の生涯の師です。

私たちが卒業して間もなく、
ご自分の出身大学に帰られ、
そこの「全学一斉の英語授業改革」をされました。

H先生の方は、
ご退官後、「琉球方言」の研究のために沖縄に移られ、そこでも名誉教授となられたとか。
 

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

昨日の最後の授業は、
これまでの私の授業の信念みたいなものが揺るがされ、本当に消耗するものでした。

まだ完成させてないテストも残っているというのに、
とりあえずここまでのことを整理して考えるためにも、
まず書いておくべきことは、
私にとってはなぜかH先生の

レスポンス!

のことでしたf^_^;

授業についてはまた整理がついてから。

長くなりましたm(_ _)m



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学期末;(実はそれどころじゃないけど)お弁当のこと

2024-12-07 08:16:00 | 日記2024
最近朝焼け、日の出が見られるようになった。

これは、一昨日の画像。







昨日も同じようなお天気でした。


私、早起きになった?

わけではなく、
時期的に日の出が遅くなったからですね(^◇^;)

一番上の画像で6:17、
次が6:35、
そしてご来光7:06。

「ご来光」と言っても、私が見るのは建物から覗く時なので、
実際のこの地域の「日の出」はもっと早いと思います。
(本日12/7で6:57だそう。)


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

前回日記での食生活振り返りで、
何かと難のあるおひとり様生活の中で、
どちらかと言うと私がまともに料理をしているのは朝のお弁当ではないかということが再確認されましたf^_^;

(だって何か持って出ないことには、買うところも買いに出る時間もないから。)

朝の時短のための用意は我ながらできてるんでは、
と思います。

例えば翌日、
私の定番「中華飯」にしようと思った前夜の準備はこんな↓



夕飯の時に一緒にちょちょっと切った野菜類と、
冷凍室から冷蔵室に下ろして朝までに解ければいいや、
という小分け冷凍の食材(この日はえび、木耳、豚薄切り)ちょっとずつ。

容器はもう何年も、小分け冷凍などに重宝して使っているセリアの4分割タッパー。

翌朝、これまた冷凍のしめじをちょっと足して、
中くらいのフライパンでできる中華飯の具はこれくらいで↓


これでも一人分のお弁当には多め。
小皿に取り分けて夕飯用?に冷蔵庫に入れ、
持って出るお弁当はこんな感じに落ち着きます↓



食材の使い回しという点で言うと、
特にこの時期の「鍋物」「シチュー」系などと、
「中華飯」「八宝菜」「餡かけの麺類?の具」等はすべて同じ野菜で切り抜けられると言っても過言ではないのでオススメですf^_^;

この前の農業高校の文化祭で買ったハムは、
「ハムカツ」と「チャーハン?」用に下ごしらえしていて↓





これでこの先約4回分のお弁当または食事が賄える計算。

で、翌朝は、



そのハムを使ってチャーハン弁当↓



そしてその翌日↓



メイン?がそのハムカツ、
前日いきなり食べたくなって作っていた「大根のそぼろ煮」↓



その時出た皮で作った「きんぴら」
「焼き鮭」、
そして違う味のものも入れたくなってこれまた急遽作った、冷凍小イカと冷凍わけぎの「酢味噌和え」。

この「小宇宙」にこれだけ入っていれば文句は言わせない。
(誰に?(^◇^;))


農高のプレスハムはやはり、
70年代頃にはこれが主流だったとか言うだけあって、
馴染みのロースハムなどとは違う、「味のよくついた」やや「ワイルドな」お味でした。
炒めれば焼き豚のような感じになるかと期待してチャーハンに入れたけど、
それでもその主張がやや強すぎる感じでした。

でも「ハムカツ」というのは、
その特長を一番生かせていたのではないかしらん。
(実際、ハムカツには今でもプレスハムが使われることが多いとか。)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

昨日のお弁当↓



私には珍しい「天津飯」風。
前夜に「ケンミンショー」でやっていて美味しそうだったから。
(影響されやすいワタシσ^_^;)

大阪では、チャーハンと天津飯なら、
天津飯を頼む人が絶対的に多いのだとか。
そして、食べたことないけど大阪の天津飯は東京などのと違って、出汁が効いて絶対的に美味しいのだとか。

私個人的には、天津飯は「始めから終わりまで甘い」というイメージがあるのでほとんど自分で頼むことはないけど、
戦時中に中国にいた亡父は、その名前の響きが懐かしいのか、
中華料理店では必ずこれを頼んでいました。

…お弁当用に急遽作った少量の「天津飯もどき」は、
やっぱり卵が固まりすぎたりしてイマイチだったけどf^_^;

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

学期末。
私にとっては早くも昨日が実質今学期最後(高3生には高校生活最後)の授業でした。

そのことで昨日は、近年稀に見るヨレヨレ具合で家に帰って来た私。

実はお弁当のことなんか書いている場合でもないいろいろがあるのだけど、
ココロを落ち着けるための、
とりあえずの最近の個人的弁当事情でした〜(^◇^;)


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この間の季節の食材;チャーテと銀杏

2024-12-04 14:26:00 | 日記2024
テスト作り佳境。
こないだ中間テストが終わったと思ったら〜(⌒-⌒; )

直近実家に帰っていた11月下旬あたりからの食材の覚え書きです。

   〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

まずチャーテ。



これまでにも叔母が時々くれたりしていたのですが、
わざわざ自分では買わないので料理するのは数年ぶりかな。

正式名称はハヤトウリ
日本でこれを食べる地域は割と限られているそうですが、
かつて職場のオーストラリア人は「チョーコー」とか「チョウチョウ」と呼び、割と身近なものだと言っていた。

食感としては、
シャキシャキのジャガイモという感じで、
クセはなく、炒めたり煮たりしても崩れない。

叔母はこのところこれを、東北の「サゴハチ漬け」の素に漬けるのが気に入っているそうで、
その漬けたものと、生のこれを一個ずつくれました。


皮をむいて割ってみると、種もほとんどないみずみずしく食べ頃サイズ。


薄切りにして、
この時農業高校の文化祭で買っていたてんぷら(全国区で言うところの「さつま揚げ」)の細切りと一緒に、
塩、出汁、薄口醤油で炒めました。



出来上がりの画像がないのはご愛嬌(^◇^;)


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜  

なーんと。
銀杏を、初めて自分で処理しました。
(と言っても、後述しますが、実は途中から妹に丸投げf^_^;)

そもそも。
スーパーの地元野菜コーナーで売られていたこの銀杏のパックの値段、
思わず二度見、いや三度見くらいしたかも。



そこに並んでいるパックが、
まあ少しずつしか入ってはいないけど全て「10円台」って、
何かの間違いじゃないのか!?


実は私は銀杏が好きではありません。
 (匂いがダメ。)
よって、自分で買ったこともなければ母との食卓にも登場させたことはないけど、
そう言えば昔実家では父などが、
季節にはどこかからもらって来てよく食べていました。

それを思い出し、ふと母に、
母は銀杏が好きなのかどうかをたまたま聞いていたのがこの数日前。
母、普通に「好きで」。

知らんかった〜f^_^;

ひとパックに入っている量はごく少ないけど、
これはちょこっと茶碗蒸しに入れたりとかのニーズに応えるものなのか? 



それとも、
銀杏って、私の中ではどちらかというとお高い食材のイメージだったのに、
こんなにも安いのは何かの訳ありなのか何なのか。
わからないまま、
とにかくその安さに惹かれて初めて買ってみた次第です。

そして実家に持ち帰り、
銀杏大好きという従兄弟の言っていた、
「茶封筒でレンチンする」
というやり方で下処理してみることにして、
ここまで用意したのは良いけど↓



よく考えたら銀杏の殻って硬いよね、
封筒の口を「しっかり折る」ってことは、
中で何かが飛びはねるってことよね?ね?

ネットで調べるとやはり、
レンジにかけて「2、3粒がはじける音がしたら云々」などと書いてあります。

怖くなったので、
妹が台所に来るのを待って、
そこからは妹にパス(^◇^;)

妹がレンチンしてくれた後、
それをキッチンバサミで割り、
殻と薄皮を取り除く。



一部は焦げてしまったのに、一部まだ生っぽいところがあったりしたのでこれは味見だけに止めてこのままでは食べず、
妹が一度揚げるという手間をかけてくれた後に翌日の茶碗蒸しになりました。



私も、火を通してこんな風に茶碗蒸しの中に入っているのをひとつふたつ食べるくらいならまぁf^_^;

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

それにしても、この年になっても知らないこと、やったことがないことも多いです。

(いやたぶん、そっちの方がはるかに多いのだʅ(◞‿◟)ʃ)

通った幼稚園にはイチョウの大木があり、
秋にはその落ち葉で先生が焼き芋をしてくれた。
子供が通った小学校のシンボルツリーも大イチョウだった。
住んでいる街にも結構立派なイチョウ並木があり、
季節にそこを通る時(ほぼ車ですが)には息を凝らしてサッサと通り過ぎるようにする、
くらいの、私とイチョウとの接点はありました。


にもかかわらず私は

銀杏はこの硬い殻の状態でそこらに落ちたりしているものではない

ということを、
今回妹から聞いて初めて知りました〜(^◇^;)

(何かブヨブヨの鞘みたいなのに入ってるとか〜( ̄▽ ̄;))

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最近の食生活;おひとり様編

2024-12-01 17:41:00 | 日記2024
少し前のことになるけど、
「しろぼしマーサ」さんというライターの方を知りました。

ネット上に出ていた記事の70代女ひとりの食卓はほぼ毎日「薄味ちゃんこもどき」というタイトルがあまりにも刺さったからf^_^;

私も昨今、
小食おひとり様の食卓を今後どのように維持&推進したものかと考えているところでした。
(小食一人分は食品の種類の取り揃えや取り回しが大変。)

しかも!
その記事に出ていた女史のその「ちゃんこもどき」の画像が、
その数日前に作った私の夕飯にソックリだったから(^◇^;)

あ、これ↓は私が作ったものですが、



ちなみにこの日は、
実家で母といる時には作りにくい「辛いもの」を体が欲している時だったので、
冷蔵庫のそれらしい野菜を何でも放り込んで、
冷凍で常備しているニラを入れ忘れたので彩は悪いものの、
同じくお安い時に買って冷凍していた大きめのアルゼンチン赤エビが入っているだけで、
これでも、一人にはかなり豪華な方のキムチ鍋f^_^;

薄味ちゃんこ上等!
これで良いのでは(゚∀゚)


それとは別に、
先日かの「超絶ハズレ」だった皮膚科の女医に、人の体調不良を「全て(知識に欠ける)食生活のせい」のように言われたのも未だにシャクなので、
この辺りで自分の最近の食事をまとめ的に振り返ってみようかと思った次第です。

お目汚しの画像ばかりですが覚え書きを兼ねて、
文化の日の連休後に実家から帰って来たあたりから。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

・一人では本当に久々のカレー。
サラダはないが、カレーで煮込んでいる野菜分で良しとするw
赤いのは春に漬けた「赤らっきょう」です。

・仕事のある日はヨレヨレでスーパーのお惣菜になることも多し。
この日は串カツ。
もろ酒の肴のようf^_^;



・前日煮込んだおでんと、職場に持って出た残りのおにぎり。
私の愛読書(?)『炭水化物が人類を滅ぼす』の夏井睦医師によると、
おでんというのは練り物や野菜など、炭水化物は少なめで、たんぱく質は意外と多くてバランス良いらしい。
(私は特に食に関してラディカルな考え方を持っているわけではなくて、とにかくいろいろバランス良く、その時に自分が食べたいものを、ほどがモットー。)



・このへんから、なぜか割とお腹の調子が良くなって?、
まとめて中華おこわを炊いた日。
おこわにいろいろ炊き込んであるので、
食材数は足りている(はず)。
娘と同居の時には、「1食で12食材以上」を目指していたけど、今は「1日で12食材くらい」が目標です。



・前日おこわと同時に作り置きしたミートソースの残りのひき肉を、
トレーのままいろいろ混ぜ込んで作ったテキトーハンバーグ。
(疲れていたので、とにかく速く作りたかったf^_^;)


・この間私が一日のうち一番まともに料理しているのはお弁当ですw
メインは厚揚げの豚肉巻き。
マカロニサラダはスーパーのお惣菜だけど、
この小宇宙(笑)に12食材以上入っているのはすごくないですか?f^_^;



・マクドナルドの誘惑に負けた日。
でもなぜかどーしても、
同時に体が「ししゃも」を欲していた日(^◇^;)


・急いだ朝は「一品もの」の焼きそばです!
でも具沢山だよ(^^)v
そして、前日作った小松菜の出汁びたしは我ながらマル。



・お弁当用の作り置きがてら作った鶏のむね肉のカツ。
ポトフは、一時期市販のベーコンの味が嫌になっていたので久々。


 
・大々的にポトフが主食。
この辺りで娘に荷物を送ったため、
家にいろいろ食材がありました。
甘いおかずがあまり好きではないけど、
久々に、私にしては甘めのおから煮など。


 
・翌日のお弁当。
むねカツがメインで、
おから煮、四方竹の土佐煮も前日作ったので、食材数は多いはず。
このあたりから、
お弁当、食卓共に、自作の紅しょうがが頻出します。
なぜか体が生姜を欲しているw


ちなみに四方竹とは、この時期県内の限られた地域でしか採れない四角いたけのこ↓





・ポトフ残りと、四方竹の土佐煮、おから、
そして上真ん中は「鰯のろくやた」(おから寿司)です。
おからとピカピカ鰯が「同時に」手に入る時にしか作れない。
出来栄えの評価をもらいに、
確かこの前日、私の料理の師である叔母のところに届けたのでした。


この時の鰯↓ 


・ヨレヨレ職場からの帰り道、
なぜか無性に「ハムサンドと肉が食べたかった」日f^_^;
ローソンのサンドイッチと、 
冷凍していたとんかつ用の豚ロースをレンジ解凍→ぶった切って「とにかく速く」食べられるよう急いだので、
お皿がタレで汚いですf^_^;



・わたし的には、手間もかからず平和で具沢山な焼きそば。
焼きそばは、一袋を袋の上から包丁の背で半分に切って冷凍しているのを野菜でかさ増しするから具沢山。



・急いだ日のお弁当は混ぜご飯or丼もの系(炒飯、チキンライス、親子丼etc.)に限る。
オムライスは包む時間がやや取られるけどf^_^;



・農業高校の文化祭でゲットしたハムを、
贅沢厚切りステーキで味見。
思ったより「肉肉しい」ハムでしたが、
プレスハムってそういうものらしいですね。(知らなかった。)
この日の主食?は、祖母直伝「すいとん」の味噌汁。


・体調が悪かったわけではないけど、
作る気、食べる気がしなかった朝のお弁当はおかゆf^_^;
しかし上出来だった今年の梅漬けと、
水産高校の鰹フレーク(缶詰)が良い仕事をしてくれた。



・仕事帰り、「もちろん」作る気力のなかった日の夕飯は、スーパーの安いお寿司。(+前日多めに作ったすいとん。)



・お弁当用に冷凍していた鯖の切り身を突如解凍して鯖の味噌煮(「植野食堂」でやっていたのが美味しそうだった)と、
正義の納豆TKG。
(食材数は明らかに少ないのを認めますf^_^;)


・前夜の鯖の味噌煮と、豚肉と玉ねぎの焼肉風、定番ネギ入り卵焼き、など、
この日はたんぱく質多め。



・これまた作る気力のなかった日、
スーパーの酢豚弁当。
甘い市販のお惣菜を滅多に買わないけど、
この日はこの市販の甘さが身に染みた。
…ということは、私の体がそれを欲していたのでしょう。
(こういう食事が、偏狭独自思想の医者に「あなたの食生活が悪いから」と言われるのであろ〜、と思いながらいただきますw)



・前日作ったおでんがメインのお弁当。
青梗菜は滅多に買わないけど、
この日スーパーで安かったので久々購入。
新鮮シャキシャキで、 
ナムルにしたら我ながら美味でした^_^


・この日も「お肉と玉ねぎ」を体が欲していた。
この前から似たようなものを作っていますが、
そう言えば昔から私には、一度食べたものはあまり間を開けずにまた食べたくなる習性がf^_^;



・前日からじっくり煮込んでいた豚汁がメイン。
そして、実家では卵を入れることがほとんどだった納豆TKG。




  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

こう見て来ると、
この間の食生活に関して言えば、
それほど「薄味ちゃんこ」という感じではない。
(でも、この少し前までは本当にそうでした。)

それから、ほぼ週末ごとに帰る実家では、
母と一緒(しかもこの間はしばらく妹もいてくれた)なので、
その時の食生活は、食材数的にも栄養的にも、
私一人の時よりもはるかに良く、
普段の埋め合わせになっている、はずf^_^;


一人分の食生活、
食材を取り揃えるのも作るのも本当に大変です。
引き続き、自分なりに考えて行きたいと思いますf^_^;


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農業高校の文化祭&写真展

2024-11-27 07:15:00 | 日記2024
11/19(火)、
薬をもらいに行ったいつもの婦人科の病院がこの年末で「閉院」すると知って大ショーーックの日(;´Д`A

11/20(水)、
母および自分のこの冬買い足す服などを求めて、わざわざ遠くのショッピングモールまで足を延ばすも、
不発に終わった日_| ̄|○

11/21(木)、
仕事帰りにいつもの内科の受診。
と、この日は娘が新しい職場で初のちょっとした大仕事(?)を抱えていて、
もちろん私が何かをするわけではないけど、
夕方あたりからかれこれ気忙しかった日。

————————————————

そして11/22(金)は、
職場から直接実家に帰ることが前々から決まっていました。

何を隠そうそれは、
妹と、実家の町にある農業高校の文化祭に行くため!

その学校で作っているベーコンやハムなどはかなりの人気で、
数年前に母と行き、列に並んで大きな豚の塊肉をゲットしたことがありました。

今回は、、、
実は私たちの場合その他に、
今回そこの文化祭に「友情出店」する、県内の水産高校の「ツナ缶」が目当て(^◇^;)

全国区の番組でも紹介され、
「これを食べたら普通のツナ缶は食べられなくなる」と、私の周りでも評判なのですが、
いかんせん、作っている数が少ないので(実習船で生徒が獲って来たマグロが原料)、食べたことがある人は少ない。
どこかに出店されて売られること自体がめったにないレアもの。

その水産高校は、実は私の職場の方に近いのだけど、
そこそのものの文化祭に行くより、
遠く離れたこちらの友情出店の方が可能性があるんでは、と目論んだ結果f^_^;  

これまた何を隠そう、
実は今回の農業高校は、
うちの実家のすぐそば。
ここは「地の利」が生かせるに違いない!

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

11/23(土)

遠くに市街地を見下ろす「山全体」が敷地の農業高校。




私の勘は当たりました。
文化祭開始のまだ時間前、
駐車場のグランドが既に半分以上来訪者の車で埋まり、
ほとんどの人が豚肉などの販売場所に走る中、
私たちはその友情出店のブースに並んだ2組目。
コロナ禍を挟んで長年の念願だったツナ缶その他の水産高校の産品をいろいろゲットすることができました〜(^^)v

そのあと妹と、一か八かで豚肉販売の列に並ぶこと約2時間!



列に並んでいる間に、人気のベーコンは早々に売り切れ、
そして、私の「前の人」で豚肉が売り切れた_| ̄|○

初めて買うハムだけをゲットして来ましたf^_^;

この日の戦利品(^◇^;)


ウワサのツナ缶↓



誕生日が近い母にシクラメンも。



何を隠そう、
当時の場所こそ違え、
亡父はこの農業高校林業科の卒業生です。
(戦前の話f^_^;)
 
現在の林業科というのは、
名前自体も現代的なものに変わり、
山の間伐や測量の仕方のみならず、
レーザープリンターなど駆使するこんなハイテクなことになっているのを知ったら、
父は驚くことでしょうf^_^; 






  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

何を隠そう、この日を含む3日間は、
うちの市に数百年間続く神社の大祭。

それに合わせて行われる「市展」は、
昔は私たちの小学校や中学校の体育館であったと記憶していますが、
今年からは新しくできた市民ホールで。

今回それに、知り合いの写真撮り(自分でも写真屋を経営したりしていたので半プロくらい?)であるSちゃん(もうおじいさんだが、母はそう呼んでいるw)が出品して良い賞をとったそう。
良い機会なので母を連れて観に行きました。

作品自体は撮影できなかったけれど、
わざわざ秋田まで行って撮ったという「なまはげ」の迫力ある写真でした。

このSちゃんは、元々祖母の知り合いの息子さんで、
子供の頃の一時期、母たちとは兄弟姉妹のようにして育ったという人。
私が小さい時から、事あるごとに私たちの写真を撮ってくれるのはこのSちゃんでした。

何を隠そう(が今日は多いなf^_^;)、
このSちゃんが私の幼少期(1歳前?と3歳くらい)に撮ってこれまた何かの写真展に出品していた大きなパネルがうちに残っていたのですが、
大き過ぎてこの先の保存は難しいと判断。

先日、近く取り壊しの決まっている古い方の実家の前で、(写真の)「記念撮影」をして処分したところです。

恥ずかしながら、今日はそれでお茶を濁しましょうかf^_^;




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始まりがあれば終わりが(その2?)

2024-11-20 08:58:00 | 日記2024

いつかも書いた気がする(確か「チェルシー」終焉の時)、

「始まりがあれば終わりがある」という話。

それを改めて感じる出来事が最近2つ。

ひとつ目は、マンションの外壁工事ですf^_^; 


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

この夏に始まった工事。

事前のお知らせはあったものの、

実家での割合長い滞在から帰って来たある日、

建物全体が足場と黒い防護幕でガッチリ覆われていて焦りましたf^_^;↓



お知らせにあった、「11月まで、約4か月の予定」って、

はじめ、その終わりは遥か遠い先のように思われました。

作業員さんがベランダにも入るので、

不規則な時間に家に帰って来たりする私はカーテンもあまり開けられない。

薄暗い部屋の中で、外の天気や気温がわからない、洗濯物が干せないなどのこの期間は実際問題なかなか長かったけれど、 

思ったより大掛かりかつ丁寧な工事で、

感じの良い作業員さんたちによって当初丁寧に組まれた足場は、

この度また丁寧に、無事撤去されました。

久々に、直に見るご来光\(^o^)/




  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

ふたつ目は、

昨日行ったいつもの婦人科の病院。

仕事帰りに、ちょっと遠回りだけれど、今後の予定を考えるとここらで行っておいた方が、と思い立って行ってみた。

ところが、着いてみると時間も遅いのに思いのほか混んでいたから、

今回初めて、「診察なしで投薬だけ」をお願いしてみました。

(体調に変化がないなら、それでも良いらしい。)

ところが、薬ができて受け取る段になってから、薬剤師さんとの話が妙に噛み合いません。

薬は2か月分もらえるはずなのに、

では次は12月に、と薬剤師さん。


…と思ったらその病院、

なんとこの年末で突然「閉院」になるのだとか!

指された窓口の張り紙を初めてそこでよく見て、思わず

えええぇーーーっヽ(;▽;)ノ

と叫びました(⌒-⌒; )


ここは、娘が生まれた30ウン年前にお世話になった個人病院です。

その頃先生は、

評判の産婦人科を開院してそれほど経たない、50代くらいの気鋭。

自宅隣での個人の産院経営などさぞ大変だろうに、

昼夜厭わず対応して下さる温厚な良い方でした。

(しかも、娘が生まれたの、夜中の2時f^_^;)


その後、私の方はあちこち転勤、転居を繰り返してたまたま舞い戻って来た今の街で、

反りの合わない医者(そもそも初期の頃、私の訴える症状を更年期によるものと認識していない医者もいた)との数年間の「薬を勝ち取る」ためのバトルの挙げ句、

数十年後、今度は「更年期治療」でまたこの先生にお世話になるとは思ってもいなかった。


さすがにもうご高齢なので、こんな日もあるのかもとは思っていたけれど、

まさかこんなに急とは。


今後の予定を説明してくれる薬剤師さんに思わず、

いや〜それは、すごく困りますぅ〜、

これからどうしましょう?

カクカクシカジカとてもお世話になったのに残念ですーーー(T_T)

と、(嫌味でなく)ごく率直な感想をぶつけてしまい、

さっさとお金を払うのも忘れていた( ̄▽ ̄;)

でも働いている看護師さん、薬剤師さんたちも、こんなに急にとは思っていなかったような雰囲気です。


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

普段よりも早めの12月の後半に行ったら、

次の分の薬や、希望なら紹介状など出して下さるそうです。

考えてみれば、

何も知らずにある日行って見たら既に閉院になっていた、

ではこれ以上に困る人が出るのは間違いないので、

院長先生も仕舞いの付け方、引き際を考えられたのでしょうか。

こんなに急なのは院長先生のご体調のせいとかでないといいなぁと思いながら、

たぶんあと一回来るだけの駐車場から車を発進させる。


始まりがあれば終わりが。

有り体に言うと、その終わりは、別の何かの始まりでもあるのだろうけど、

なんだか最近、

その始まりも終わりをも、どちらも目にする、

経験することが多いのはやっぱりちょっと寂しめ( ;∀;)


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