8/16 戦争に思う人々。

 昨日は終戦記念日でした。

 前後のニュースでは、今の若い世代は、その日がいつなのかを知らないという人が調査対象の半数近くという結果が報じられ、それは信じがたいわ…と思ったり。

 その反面、自分自身も、子供の頃のほうがそのことを重く受け止めていたような気がします。楽しい夏休みの真ん中で訪れる8月15日(6日も9日も)は、ばあちゃんやじいちゃんから戦争の頃の話を(言葉は悪いけど)聞かされ、高校野球の合間に黙祷の時間があり、さらにお盆でお墓詣りなんかも重なって、重苦しい空気から逃げられない…、空気がとどまったような記憶がぼんやりと残ります。

 思うのは、身近にそれを伝えてくれる人がいて、そういった様子をリアルにイメージすることが出来たから、重く受け止めることができたのでしょう。実際、じいちゃんは赤紙をもらって戦地に行き、そこで終戦を迎えて、生きて帰って来ましたし。その時の様子は、本当に何度も何度も繰り返し聴く機会がありました。話の後で、ばあちゃんが作ってくれたご飯を前に、とても食べる気になんてなれなかったし…。

 そんな機会も記憶も遠くなって、今となっては、それを伝えてくれる人はまわりにはいなくて、当然、さらに若い世代においては私以上に戦争についてリアルに知る・聴く機会なんてないだろうし。そんな状況で「終戦記念日はいつですか?」なんて聞かれても、なかなかすぐに出てくるわけなんてないわけです。

 施設にて。

 昼前にラウンドしていると、いつもは私を見かけると明るく声をかけてくれるマダムは、テレビを前に神妙な表情。大好きなご飯を前に、箸も止まってました。話しかけても、私など全く視界に入ってない。

 別のユニットに行くと、大声を張り上げ、涙を流す利用者さん。その先のテレビでは、終戦特番みたいなものが放映中。泣きながら、「生きては帰ってこれません!」と。朝からずっとこの調子で…とスタッフ。

 私にとって遠ざかっていく戦争にまつわる印象や記憶。それは、祖父母から聞いた内容から膨らむイメージの中にだけ生きているものだから。
 でも、利用者さんにとって、それは、実体験で10代20代の頃に体験した痛烈な記憶。68年経って、認知症を抱える今、その間の記憶は抜け落ちてしまったとしても、当時の悲しみや苦しみはずっと残っているのだと思いました。忘れたくても、忘れることなんて出来ないのでしょう。

 私から遠ざかっていく戦争にまつわる想い。あの、ご飯を食べる気になんてなれない…という思いが、久しぶりに戻ってきました。


 人生の大先輩から得ることって、やっぱりものすごくあります。

 
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