私的音楽雑記帳
FOLK ETYMOLOGY
5/12 「音楽の遠近」 を読んで思う
産経新聞で連載中の「続・灰色の記憶覚書」。
毎月1回、演出家の長塚圭史さんが書いているんだけど、文体が何とも古めかしくて、味わいがある。日々、彼の身の回りに起きる出来事と共に、幼少期や子供時代の記憶を呼び起こし、その時の行動や心情が淡々と綴られる、というもの。
世代も同じせいか、綴られる情景もイメージしやすいものが多く、あぁ、あるあると、深く共感してしまったり。
先日掲載されていた「音楽の遠近」もまたそう。
今ほど音楽(の入手方法)が多様で便利ではなかった子供の頃。「いいなぁ」と思った曲は、ラジオとデッキを向い合せて(時にはマイクを傾けて)録音したりしていた。今みたいにラジオを聞いていて「いいなぁ」と思った時、Webでチェックすればすぐ曲やアーティスト名がわかる、なんて事はもちろんないわけで、大好きなラジオ番組を聴く時は、聞き漏らさないように一生懸命だった。
カセットとCDの移行期が思春期だった我々。その便利さはかなりの衝撃だった。アルバムを聴く時だって、勘でテープを早送りすることなく、好きな曲にすぐジャンプ出来る!なんて嬉しがったりしたもの。
MP3が出た時だって、それはそれで便利になったなぁ、なんて思った。こんなちっちゃな機械にたくさんのCD情報が入って持ち歩けるなんて、すごい便利、とか。
確かに「便利」にはなったかもしれない。忙しい人にとっては(ムダとも思える)余分な情報(捨て曲など)を飛び越え、必要最小限の情報(聴きたい曲)をかいつまむことだって出来るわけだし、欲しいと思った時にかいつまんで購入することだって出来る。
それが別に「音楽の使い捨て」みたいなものを加速させている、などとは思わないけれど、なんか「大切に聴く気構え」みたいなものが失速したとは思う。
(地元の)レコード店に行って、大好きなアーティストのアルバムを予約する。発売までのドキドキワクワク感といったら!今は、予約方法一つとっても、ネットだったりモノだったり配信だったりさまざま。完全になくなったワケではないけど、ドキドキワクワクは……いつでも手に入る感覚がそれを鈍らせる。
音楽の聴き方が多様になる=便利になる=豊かになる ではないと改めて思う。
決して昔のほうが素晴らしい、ピュアだというわけではない。
けれど、自分自身の中でフワフワとした落ち着かない感覚と何ともいえない後ろめたさ。
大好きなレーベルオーナーにインタビューした時、彼が言った言葉が頭をよぎる。
「大好きなコレクションが手のひらに収まったらつまらないだろ?」
手のひらに収まらない私の(音楽)思考とコレクション。便利さに慣れてしまうのではなく、自分で自分のコレクションに対する向き合い方を選ぶ必要性を強く感じています。
さ、ウッドコーンで大音量だ♪
毎月1回、演出家の長塚圭史さんが書いているんだけど、文体が何とも古めかしくて、味わいがある。日々、彼の身の回りに起きる出来事と共に、幼少期や子供時代の記憶を呼び起こし、その時の行動や心情が淡々と綴られる、というもの。
世代も同じせいか、綴られる情景もイメージしやすいものが多く、あぁ、あるあると、深く共感してしまったり。
先日掲載されていた「音楽の遠近」もまたそう。
今ほど音楽(の入手方法)が多様で便利ではなかった子供の頃。「いいなぁ」と思った曲は、ラジオとデッキを向い合せて(時にはマイクを傾けて)録音したりしていた。今みたいにラジオを聞いていて「いいなぁ」と思った時、Webでチェックすればすぐ曲やアーティスト名がわかる、なんて事はもちろんないわけで、大好きなラジオ番組を聴く時は、聞き漏らさないように一生懸命だった。
カセットとCDの移行期が思春期だった我々。その便利さはかなりの衝撃だった。アルバムを聴く時だって、勘でテープを早送りすることなく、好きな曲にすぐジャンプ出来る!なんて嬉しがったりしたもの。
MP3が出た時だって、それはそれで便利になったなぁ、なんて思った。こんなちっちゃな機械にたくさんのCD情報が入って持ち歩けるなんて、すごい便利、とか。
確かに「便利」にはなったかもしれない。忙しい人にとっては(ムダとも思える)余分な情報(捨て曲など)を飛び越え、必要最小限の情報(聴きたい曲)をかいつまむことだって出来るわけだし、欲しいと思った時にかいつまんで購入することだって出来る。
それが別に「音楽の使い捨て」みたいなものを加速させている、などとは思わないけれど、なんか「大切に聴く気構え」みたいなものが失速したとは思う。
(地元の)レコード店に行って、大好きなアーティストのアルバムを予約する。発売までのドキドキワクワク感といったら!今は、予約方法一つとっても、ネットだったりモノだったり配信だったりさまざま。完全になくなったワケではないけど、ドキドキワクワクは……いつでも手に入る感覚がそれを鈍らせる。
音楽の聴き方が多様になる=便利になる=豊かになる ではないと改めて思う。
決して昔のほうが素晴らしい、ピュアだというわけではない。
けれど、自分自身の中でフワフワとした落ち着かない感覚と何ともいえない後ろめたさ。
大好きなレーベルオーナーにインタビューした時、彼が言った言葉が頭をよぎる。
「大好きなコレクションが手のひらに収まったらつまらないだろ?」
手のひらに収まらない私の(音楽)思考とコレクション。便利さに慣れてしまうのではなく、自分で自分のコレクションに対する向き合い方を選ぶ必要性を強く感じています。
さ、ウッドコーンで大音量だ♪
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