朝日文庫 川上弘美『七夜物語』上・中・下巻を読了しました。
あらすじと感想をざっくりと備忘録として書きます。
※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。
※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。
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【目次】
上巻
第一章 図書館
第二章 最初の夜
第三章 次の夜
第四章 二つの夜
中巻
第四章 二つの夜(つづき)
第五章 五つめの夜
下巻
第六章 最初から二番目の夜
第七章 最後の夜
第八章 夜明け
解説 異世界の記憶 村田沙耶香
【あらすじ】
小学4年生のさよは、母親と二人暮らし。ある日、図書館で出合った『七夜物語』というふしぎな本にみちびかれ、同級生の仄田くんと夜の世界へ迷いこんでゆく。
七つの夜をくぐりぬける二人の冒険の行く先は?
【感想】
小学校四年生のさよは、母親と二人暮らし。離婚した父とはそれ以来、会っていない。
ある日、町の図書館で『七夜物語』という不思議な本に触れ、物語世界に導かれたかように、同級生の仄田君と共に『七夜物語』の世界へと迷い込んでゆく。大ネズミ・グリクレルとの出会い、眠りの誘惑、若かりし両親、美しい子供たち、生まれたばかりのちびエンピツ、光と影との戦い。七つの夜の冒険を通して二人の子供たちは、心も体も成長していく。
小学校四年生のさよは、母親と二人暮らし。離婚した父とはそれ以来、会っていない。
ある日、町の図書館で『七夜物語』という不思議な本に触れ、物語世界に導かれたかように、同級生の仄田君と共に『七夜物語』の世界へと迷い込んでゆく。大ネズミ・グリクレルとの出会い、眠りの誘惑、若かりし両親、美しい子供たち、生まれたばかりのちびエンピツ、光と影との戦い。七つの夜の冒険を通して二人の子供たちは、心も体も成長していく。
あらすじはこんな感じ。ファンタジーのようでそんなには甘くない。川上弘美だもの。
読後感はほこっ。。としないでもないが、夜の世界の出来事はこちらの現実の側面を如実に表していて、ちくりちくりと針を刺してくる。そして、作品を通して常に底に流れている独特の感じになんともいえない気持ちにさせられる。上手く表現できないのだが、ねっとりとした粘着質なものを感じるのだ。他の作品だと特に『蛇を踏む』とか。
この作品に限らず川上弘美の作品にはこの感じは多く、ないものを探すのが難しいくらい。思いつくのは『神様』『ニシノユキヒコの恋と冒険』くらいだろうか?
話が逸れたので戻して。
小学四年生、小学校の六年間の中でも中途半端な学年だ。低学年ほどおこちゃまでもない、一番小学生らしい三年生(ギャングエイジだが)でもない、思春期に入ってきた高学年でもない。大人が思うほど子供は子供ではない。いろんなことを感じ、その年齢なりに考えている。
さよは両親が離婚して母子家庭、仄田君は母親を亡くしていて父親とおばあちゃんと暮らしている。それぞれに欠落したものを抱えている寂しい子供だ。そのあたりも、ちくちくと気持ちに刺さってくる。
子供たちは夜の冒険を通して、傷つきもするし、怒ったり、悲しんだり、楽しんだり、いろいろな経験と感情も味わう。
そして気づく、自分の知らないことがいっぱいあること、答えは常にあるわけではないこと、白と黒だけでなく灰色もあること、自分にも目を逸らしたくなるような嫌な部分があることに。
無事にこちらに帰ってきたときにさよが感じた、懐かしいけど遠い感覚はその証なのだろう。
結局、夜の世界はなんだったのか?とか、グリクレルやミエルは何者?とか、美しい子供たちはどうしてあんな風に心が歪んでいたの?とか、解説も解決もしてはいない。
それでいいのだと思う。ただ、そうなのだ、、と。
解説の村田沙耶香の文章に、「あ!自分だけじゃなかったんだ。。」と驚いた。この感覚はあんまり共感してもらえなかったから。
>本が好きな人間は、たとえ主人公たちが図書館で出会う『七夜物語』のような不思議な本ではなくても、ふっと、その中に入ってしまうことがある。熱心に文字を追っているうちに、いつの間にか本の中に肉体があって、主人公と一緒に胸の痛みや身体の熱さを感じるようになる。それでも本にかじりついていると、すうっと、本の中の肉体に心まで吸い込まれてしまう。図書館で本を閉じて家に帰り、お母さんのご飯を食べても、今までいた物語の中を身体と心が浮遊している感覚がおさまらない。ふとした瞬間に、吸い込まれた心と身体が物語の先の世界へと進みだして、いつまでも止まらなくなってしまう。
読後感はほこっ。。としないでもないが、夜の世界の出来事はこちらの現実の側面を如実に表していて、ちくりちくりと針を刺してくる。そして、作品を通して常に底に流れている独特の感じになんともいえない気持ちにさせられる。上手く表現できないのだが、ねっとりとした粘着質なものを感じるのだ。他の作品だと特に『蛇を踏む』とか。
この作品に限らず川上弘美の作品にはこの感じは多く、ないものを探すのが難しいくらい。思いつくのは『神様』『ニシノユキヒコの恋と冒険』くらいだろうか?
話が逸れたので戻して。
小学四年生、小学校の六年間の中でも中途半端な学年だ。低学年ほどおこちゃまでもない、一番小学生らしい三年生(ギャングエイジだが)でもない、思春期に入ってきた高学年でもない。大人が思うほど子供は子供ではない。いろんなことを感じ、その年齢なりに考えている。
さよは両親が離婚して母子家庭、仄田君は母親を亡くしていて父親とおばあちゃんと暮らしている。それぞれに欠落したものを抱えている寂しい子供だ。そのあたりも、ちくちくと気持ちに刺さってくる。
子供たちは夜の冒険を通して、傷つきもするし、怒ったり、悲しんだり、楽しんだり、いろいろな経験と感情も味わう。
そして気づく、自分の知らないことがいっぱいあること、答えは常にあるわけではないこと、白と黒だけでなく灰色もあること、自分にも目を逸らしたくなるような嫌な部分があることに。
無事にこちらに帰ってきたときにさよが感じた、懐かしいけど遠い感覚はその証なのだろう。
結局、夜の世界はなんだったのか?とか、グリクレルやミエルは何者?とか、美しい子供たちはどうしてあんな風に心が歪んでいたの?とか、解説も解決もしてはいない。
それでいいのだと思う。ただ、そうなのだ、、と。
解説の村田沙耶香の文章に、「あ!自分だけじゃなかったんだ。。」と驚いた。この感覚はあんまり共感してもらえなかったから。
>本が好きな人間は、たとえ主人公たちが図書館で出会う『七夜物語』のような不思議な本ではなくても、ふっと、その中に入ってしまうことがある。熱心に文字を追っているうちに、いつの間にか本の中に肉体があって、主人公と一緒に胸の痛みや身体の熱さを感じるようになる。それでも本にかじりついていると、すうっと、本の中の肉体に心まで吸い込まれてしまう。図書館で本を閉じて家に帰り、お母さんのご飯を食べても、今までいた物語の中を身体と心が浮遊している感覚がおさまらない。ふとした瞬間に、吸い込まれた心と身体が物語の先の世界へと進みだして、いつまでも止まらなくなってしまう。
まさにこんな感覚。現実と本の中の世界をふわり、ふわり、、と漂っている感じ。久しぶりにこの感覚を思い出した。残念なことに今はここまでではない。大人になったからだろう。日常という現実から乖離して暮らしてはいけないから。
【余談】
朝日新聞に連載中に気になってぽつぽつと読んではいたが、毎日の連載なので途中で脱落してしまい…。文庫化されてから一気に読んだ。新聞連載は読み続けるのが難しいな~。
作品中に登場する手作りのお菓子がおいしそう♪ 空腹時は危険。
【リンク】