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宮沢賢治作 谷川徹三編『童話集 銀河鉄道の夜』あらすじと感想

2010-03-10 17:53:42 | 紙の書籍
岩波文庫 宮沢賢治作 谷川徹三編『童話集 銀河鉄道の夜 他十四篇』を読了しました。

あらすじと感想をざっくりと備忘録として書きます。
※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。




【目次】
北守将軍と三人兄弟の医者
オッペルと象
どんぐりと山猫
蜘蛛となめくじと狸
ツェねずみ
クねずみ
鳥箱先生とフウねずみ
注文の多い料理店
からすの北斗七星
雁の童子
二十六夜
竜と詩人
飢餓陣営
ビジテリアン大祭
銀河鉄道の夜
解説 谷川徹三


【あらすじ】
「銀河のお祭り」の日に起こった悲劇が発端になって、少年のカムパネルラとジョンバンニは銀河鉄道に乗って旅をする。二人の少年の友情と悲しい別れを描く。


【感想】
宮沢賢治については、あまりにもたくさんの著名な方が研究されたり、感想を述べられたりしているので、偉そうなことも書けないのだが…。私が感じたことを素直に書いてみたいと思う。
彼の作品に共通して出てくる信念、というのだろうか?これには何か違和感がある。「自己犠牲の上に成り立つ他者の幸せ」というものに、疑問を感じてしまう。
そのことと、作品自体の素晴らしさとは相反しないとは思うのだが…。妙な違和感を拭い去ることができない。
以前にTVでとある著名な方(名前は失念)が、宮沢賢治について話しているのを見たことがある。その内容にはっ‥としたのを覚えている。「宮沢賢治は人間が嫌いなのではないだろうか」と。
こんな意見は聞いたことがなく、なんだかとても腑に落ちる気がして印象に残ったのだった。大抵の意見は、「素晴らしい人間愛」とか「自己犠牲」とかに終始しているので。
彼の作品に繰り返して出てくるモチーフのようなもの。「自己犠牲」「虐げられた弱きもの」「生と死」。これらに共通している感情は、“人間愛”というより“人間嫌い”なのではないだろうか?
宮沢賢治は人間というものの持つ醜さに、辟易しているように思えてならない。彼自身の自尊心の欠如から、「自己犠牲」によって、「自己肯定感」を持とうとしているように思えるのだ。本当のところは全くわからないが…。

作品というものには、よくも悪くもその人の何かが滲み出てくるもの。著書でも演劇、映像、音楽、絵画でも。「作品=本人」というような単純なことでは決してなく、本人の意図するしないにかかわらず。表現というものは不思議なもの。
なんだか散漫な文章になってしまったが、思うところをそのまま書いてみた。
宮沢賢治の作品世界は決して嫌いではない。むしろ好きな世界なのだが、なんとなく感じていた違和感を改めて文章にしてみたかったので。


【余談】
確か小学生か中学生の頃に読んだ記憶があるのだが、その頃はあまり感慨もなかったように思う。今改めて読んでみたいと思い再読してみた。
最近こんな風に再読したい作品が増えてきて、なかなか新作にまで手が回らなくなっている。読書のほかにも、やりたいことがいろいろあり時間が足りない。
少しづつ自分のペースで消化していこうと思っている。

「銀河鉄道の夜」は1985年7月にアニメ映画として公開されていて、ビデオで観たことがある。登場人物が猫になっていて、ジョバンニとカンパネルラが可愛く、そして哀しい…。映像もとても美しい。
時折また観たくなる作品。















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