サウル王は、悲運の王でした。
自分を選んで王位につけてくれた預言者サムエルから、見放されてしまったのです。
じっさいには、神から見放されたのです。
神の命令を聞くより、民の顔色をみる「気立ての良さ」が、彼の弱さでした。
王になる者は、民の幸福を考えるのはもちろんでしょうが、
天命を聞かなければいけないのです。
私(たち)は、神のお考えのすべてを知ることはできません。
聖書の歴史書(Ⅰサムエル記)に記されているサウルの軌跡をたどって、
また、限られた推測をするだけです。
サウルが美貌の青年でなければ、あるいは、王には選ばれなかったかもしれません。
彼は美しく、家柄も良く、気立ての良い青年でした。
王になった後は、勇敢に戦いの先頭に立ち、
多くのイスラエル人が、
「王様。ばんざい」と言えるようなオーラを備えていたのです。
「ささげ物の時期」と「聖絶の命令」において、大きな間違いを犯してしまったサウル。
「そのような欠点が内在していた青年を、どうして、全知全能の神が選ばれたのか。」
との疑問があるかもしれません。
これについては、
「人の世には、神の水準に到達できるような人材はいない」と言えるかもしれません。
歴史上、今日まで、完全に正しかった王や指導者など、一人もいませんし、
これは今日の政治家を見てもうなずけます。
選挙の時など、私たちはなるべく意見の近い人、政策に納得できる人、経歴や実績から、
信頼できそうな人を選ぶのです。
しかし、あれこれ批判に遭わない政治家など、けっきょくいないのです。
今の民主主義の世では、
神の命令はほとんどないようでもあり、民の声だけ聴いていれば良いようなものですが、
その民がめいめい「自分の要求」を持ち出すのです。
その落としどころは、多分多くの政治家の苦心するところではないでしょうか。
◎ ●
サムエルは、神のご命令通り、ベツレヘムのエッサイの家に行きました。
高名な預言者サムエルがやってきて、いけにえをささげる時に、
エッサイと彼の息子たちが招かれたかたちでした。
エッサイには八人の息子がいましたが、そのうちの七人がやってきました。
これは、とても感動的な場面です。
彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、
「確かに、主の前に油を注がれる者だ」と思った。
しかし、主は、サムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。
わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。
人はうわべを見るが、主(しゅ=神)は心を見る。
エッサイはアビナタブを呼んで、サムエルの前に進ませた。
サムエルは、「この者もまた主は選んでおられない」と言った。
エッサイはシャマを進ませたが、サムエルは、
「この者もまた、主は選んでおられない」と言った。
こうしてエッサイは、七人の息子をサムエルの前に進ませたが、
サムエルはエッサイに言った。
「主は、この者たちを選んでおられない。」
サムエルはエッサイに言った。
「子供たちはこれで全部ですか。」
エッサイは答えた。
「まだ末の子が残っています。あれは今、ひつじの番をしています。」
サムエルはエッサイに言った。
人をやってその子をつれて来なさい。その子がここに来るまで、
私たちは座につかないから。」
(Ⅰサムエル記16章6節~11節)
こうして、いよいよ、ダビデが登場するのです。
王制イスラエルの王、ダビデ王朝の最初の王として、
「神の国の歴史」の中にもっとも大きな名と事績を持つダビデ、
美貌の兄たちを退けて選ばれたダビデは、どのような容貌だったでしょう。