教会が、とくに人をお招きする催しをしなくても、
教会のドアはいつでも、すべての人に開かれているのです。
人間的な目で見ると、確かに、教会も鍵をかけるし、昨今では、
まったく見知らぬ人がいきなり入ってくれば、警戒もします。
でも、そのような警戒は、外見的な建物である教会堂に対するセキュリティです。
教会は本来、教会堂の意味ではなく、神を信じる人々の集まりことです。
教会用語で「召された者の集まり」と言います。
同じ神を信じた者たちが集まるのは、神のご命令だからです。
また、このつながりは、「同じ主(しゅ=神、キリスト)にある兄弟姉妹」とたとえられ、
その目的は、
「たがいに愛し合う」ことです。そのためにクリスチャンたちは、教会に集います。
この喜びは、じっさいに体験してみないと、わからないものかもしれません。
ですから、やっぱり、お招きしたいのです。
ゲストスピーカーの牧師が、予定しておられるメッセージのタイトルが
夜中、私を起こしました。
「捨てる神?拾う神? いいえ、あきらめない神です。」
私は、この魅力的な言葉を、朝まで、まんじりともせず
考えつづけました。
、