ノアの小窓から

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伝道者の書23 わざわいなことよ。あなたの王が子どもであって、あなたの首長たちが朝から食事をする国は。(伝道者の書10章16節~20節)

2020年05月29日 | 聖書
 聖書は、人々が権威にしたがうことを勧めています。「支配の構造も権力も、神様が人に与えて下さったもの」との視点に立っているからです。

 イスラエルの歴史の中でも、北イスラエルは、つねに王が殺されて別の王朝に政権が移っています。北イスラエル王国自体は、神が預言者を通じて、ソロモンの能吏であったヤロブアムにイスラエル十部族をお与えになって始まった王朝でした。しかし、ヤロブアムは、民が(南王国の首都である)エルサレム神殿に礼拝に上ることに危機感を覚え、領内に金の子牛を造って礼拝させました。これは偶像礼拝ですから、神のみこころを損なうものでした。神は、ただちに預言者を派遣して警告しますが、地上の権力に執着するヤロブアムは、すでに堕落していました。
 以降、北イスラエルは謀反が繰り返されて、王家がいろんな家に移って行きました。最終的には、BC722年、アッシリアに滅ぼされ、民は捕囚に連れ去られました。

 南ユダ王朝の王たちも、間違いを犯す者が後を絶たなかったのですが、辛うじて、ダビデ、ソロモンのユダ王朝を保ちました。しかし、こちらも、BC586年、バビロンに滅ぼされ、以後、イスラエルの民は捕囚民として、広く中東域に散らされてしまいます。

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 神様から権威と地位をいただいた者は、責任も果たさなければなりません。とはいえ、どのような政権も、神からの負託にこたえることができないのは、歴史に見るとおりです。

 わざわいなことよ。あなたの王が子どもであって、あなたの首長たちが朝から食事をする国は。(伝道者の書10章16節)
 幸いなことよ。あなたの王が貴族の出であって、あなたの首長たちが、酔うためではなく、力をつけるために、定まった時に、食事をする国は。(17節)

 たしかに、子供(成熟しきれない者)が、上に立っていれば災難です。支配者が朝から宴会をしていては国は乱れます。

 「貴族の出」の意味は、高い地位にふさわしい教育と訓練を受ける機会があったということでしょう。今日でも、一般的に学歴が人を測る基準になっているのは、学びは、人をふさわしく整えると信じられているからではないでしょうか。

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 なまけていると天井が落ち、手をこまねいていると雨漏りがする。(18節)
 食事をするのは笑うため。ぶどう酒は人生を楽しませる。金銭はすべての必要に応じる。(19節)

 地位が上でも下でも、「勤勉であれ」というのが聖書の命じるところです。楽園では、アダムもエバものんびりと園の管理をしていればよかったのです。けれども、楽園の外は、「顔に汗を流して糧を得なければならない」(創世記3章19節)世界なのです。
 苦しんで得た糧には、けれども、報いがあります。おいしいものを食べる時、自然に笑顔になります。少しのお酒も楽しいものです。お金で多くのものが買えるのも事実です。

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 王をのろおうと、ひそかに思ってはならない。寝室でも富む者をのろってはならない。なぜなら、空の鳥がその声を持ち運び、翼のあるものがそのことを告げるからだ。(20節)

 日本でも「壁に耳あり、障子に目あり」と言います。誰が聞いているかもしれないから、不要に陰口や批判をしてはならないと戒められています。けれども、ここで伝道者が戒めているのは、壁の向こうや障子の陰で立ち聞きしている人間のことではありません。人間も含めて、もっと大きな力、目に見えない存在のことです。
 私たちは、因果がかならずしもはっきりしない出来事に囲まれています。身に余る祝福に巡り合うこともあり、身に覚えのない非難を受けることもあるのです。

 伝道者が終始私たちに語っていることは、「神を恐れよ」だと、覚えるのです。(伝道者の書12章13節)







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