年を取り、もう、神様にささげるものが、何もなくなってしまいました。
そこで、自分の部屋を「祈りの部屋」にしました。
自分が終日、ここで祈るのです。
もちろん、祈りたい方々と集まって祈れる場所にしました。
狭くて小さなところです。
しかし、神様は世界中のあらゆるところに遍在しておられるかたですから、
この粗末な部屋にも臨在してくださって、祈りにこたえてくださるというのが、
聖書の神様を信じるキリスト者の希望です。
でも、聖書を知らない、イエスなど信じないと言われる方も、入っていけないのではありません。それは、教会と同じです。
聖書の神様は、私たちすべての人間をお造りになったお方です。
まだ神さまを知らない方も、神様はあなたを存知なのです。
● ◎ ○
人は祈る存在だと言われます。
祈らないではおれない存在です。それはやっぱり、私たちを作ってくださった神様に、お話したり、お願いしたくなるように、造られているからです。
儀礼的に、若いカップルに、「これからの結婚生活のさいわいをお祈りいたします」と書くときでさえ、
大きな前途を、自分の理性を超えた方にお願いしたいと思っているのではないでしょうか。
むずかしいことを、あれこれ考える必要があるでしょうか。
神様の前に、静まって祈れるように、
この小さな空間を、神様におささげしたいのです。
私には、神様にささげるものは、何もありませんが、
神様は、人との会話(お祈り)を、何よりもお喜びになるということですから。
ただ、無駄話を聞いていただくだけかもしれませんが、
どんな話も、いやな顔一つされずに聞いてくださる方をお迎えできるこの部屋は、
じつは、とても、大きくて豪華な部屋なんです。
設営費は、ほとんどかかりませんよ!