ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

クリスマス礼拝

2013年12月23日 | 日記




   Merry Christmas!



                   

   昨日の日曜日は、クリスマス礼拝でした。
   キリスト教国と言われる国々では、十二月二十五日が休日になっていることが多いので、
   十二月二十五日にクリスマス礼拝を行いますが、
   日本では、たいていの教会は、二十五日の前の、二十五日にいちばん近い日曜日に行います。
   そのために、クリスマスイブ礼拝がクリスマスのあとに来たりします。
   今年も、明日の二十四日が、イブ礼拝です。
   この順番は、多少クリスマスの盛り上がりに水を差すのではないかと思いますが、
   仕方がないでしょうか。

   もともとキリストの誕生日十二月二十五日には、聖書に根拠があるのではないと思います。
   中東→地中海→ローマ→ヨーロッパへと広がったキリスト教が、
   ヨーロッパで古来から行われていた「冬至のまつり」に重ねてキリストのご降誕を祝ったようです。



                    ♪ 



   キリストというのはギリシャ語です。
   キリストの降誕の記事がある新約聖書はギリシャ語で書かれているので、キリストというのでしょう。

    その英語表記がChrist(クライスト)、ヘブル語でメシヤと言います。
    メサイヤは、メシヤの英語なまり? いずれも意味は救世主、救い主です。
   

   何からの救いかと言えば、罪からの救いです。
   エデンの園で神様に背いて罪を犯した人間は、楽園を追放されてしまいました。
   そのため、サタンに支配され、迷いの中を苦しみながら生きることになりました。
   神様から離れたとはいえ、人間は、神様から神に似せて作られた存在です。
   自分の罪を自覚できる霊的で知的な存在ですから、
   ひつじなどの動物を「身代わりの犠牲」としてささげたりして、なんとか神様と交わろうとしてきました。
   しかし、それは厳しく、困難な方法でした。



   そこで、神様はご自分の御子(じつは神ご自身)を世に降して、
   十字架の上で血を流させ死なせ、全人類のささげ物としてくださったのです。

   ですから、今、私たちは、キリストのこの犠牲を信じる「信仰」だけで、神様のみもとに行くことができるのです。

   クリスマスは、それゆえ、私たちにとって大きな喜びの日、救いの日なのです。


         


   この事実は、新約聖書を書いた人たちの思い付きではなく、
   旧約聖書のいたるところに預言があり、証しされています。

   

   
      それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。
      見よ。処女が身ごもっている。そして、男の子を産み、その名をインマヌエルと名付ける。
                        (旧約聖書・イザヤ書7章14節)
                        (新約聖書・マタイの福音書1章23節)     
   
   

       ※インマヌエル――イエスの別名。「神は私たちとともにおられる」の意味。  
        キリスト――姓ではなく称号。
   
     


         



      








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