先日、ある方の葬儀に参列してきました。同じ教会の姉妹のお母様で、十年ほど前、受洗の時に教会においでになっただけの方でした。
ご高齢の上、病気続きで、教会に来ることができなかったのです。
悲しみの中にも、希望のひかりにおおわれた式でした。
簡素な飾り付け、決して多くはない参列者。むしろ、ひっそりとした会場で、牧師のメッセージや故人を偲ばれるお知り合いの「お別れの言葉」が、ひとつひとつ美しい水玉のように現れて、消えていくのです。
讃美歌と、聖書のみ言葉が、天にとどく柱のように、高みに上って行くのが見えました。
亡くなった方のたましいが、けっして消えてしまったのではなく、今、神のみもとに召されようとしている・・・。そんな確信が、胸にこみあげてくるのです。
しめやかであっても、暗くはないお別れのときでした。
参列者は、棺の中を花で飾るときも、棺をお見送りするときも、火葬された骨を拾う時でさえ、心の内で、姉妹に語りかけるのです。
「いつか、天国でお会いしましょう!」