「賛美歌320番」主よみもとに近づかん
主よ、みもとに近づかん
のぼる道は十字架に
ありともなど悲しむべき
主よ、みもとに近づかん
さすらうまに日は暮れ
石のうえのかりねの
夢にもなお天を望み
主よ、みもとに近づかん
うつし世をばはなれて
天がける日きたらば
いよよちかくみもとにゆき
主のみかおをあおぎみん 「主よみもとに」讃美歌 320番
この曲は、かつて小学校の音楽の教科書にありました。
タイトルは「秋」、歌詞は賛美歌とは関係のない叙景歌でした。
夜風そよぐ 岸辺に 葦がゆらぐ、ゆらゆらと
小波さわぐ 水のおもに 月も揺らぐ、ゆらゆらと~♪
イギリスでショートステイしていたとき、プレイルームに、古いオルガンがありました。
長い夜が退屈で、鍵盤に手を置いてみました。
大昔に、バイエルくらいしかかじったことのなかった私でも、
しぜんに、メロディが弾けたのが、この曲でした。同じ曲ばかり、繰り返してひいていました。
ある夜 ドアが開いて、若いスペイン人の学生が言いました。
「それ、ぼくの国では葬式のときに弾くんだよ」
そういえば、映画タイタニックで、船が沈むときにも楽団がこの曲を演奏していました。
、
映画「タイタニック」主よ、御許に近づかん--BIWAKOオラトリウム合唱団
★★
けれども、曲の本当の意味を知ったのは、クリスチャンになってからです。
ウィキピディアには次のような紹介があります(抜粋)
原曲は元々民謡として以前より存在していたとも言われており、詩は旧約聖書・創世記28章11節・12節を基に19世紀に英国のサラ・アダムス(英語版)によって作詞された。現在知られている旋律は米国のローウェル・メイスンによって書き起こされた「ベサニー」("Bethany")である。ほかにもジョン・バッカス・ダイクスの「ホーベリー」("Horbury") や、サミュエル・セバスチャン・ウェスレーの「コミュニオン」("Communnion") がある。メソジスト教徒はアーサー・サリバン卿によって書かれた旋律 "Propior Deo" を好む。
創世記28章は、アブラハムの孫ヤコブが、父親と兄をだまし、
兄の怒りを恐れて、家から逃亡し、メソポタミヤに住むおじさんのもとに行く途中、
荒野でたったひとりで野宿をしているときに、神に出会う話です。
驚いたことに、神は、ヤコブがアブラハム家を引き継ぐものであると明言して下さり、
ヤコブが、遠い地に行っても、
「かならず、この地に連れ戻そう。私は、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決して
あなたを捨てない」と仰せになったのです。(創世記28章15節)
ヤコブは後に、神から、イスラエルという名前をいただき、イスラエル民族の名祖となります。
したたかで、あくの強い若者だったヤコブは、長年の苦労の末、人間としても造りかえられて、
カナンにもどってくることになります。
イスラエル12部族の先祖になった十二人の息子をしたがえていました。