ノアの小窓から

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賛美歌320、主よ、御許に近づかん

2016年08月22日 | 聖書

「賛美歌320番」主よみもとに近づかん



               主よ、みもとに近づかん
               のぼる道は十字架に
               ありともなど悲しむべき
               主よ、みもとに近づかん

               さすらうまに日は暮れ
               石のうえのかりねの
               夢にもなお天を望み
               主よ、みもとに近づかん

               うつし世をばはなれて
               天がける日きたらば
               いよよちかくみもとにゆき
               主のみかおをあおぎみん    「主よみもとに」讃美歌 320番




     この曲は、かつて小学校の音楽の教科書にありました。
      タイトルは「秋」、歌詞は賛美歌とは関係のない叙景歌でした。

      夜風そよぐ 岸辺に 葦がゆらぐ、ゆらゆらと
      小波さわぐ 水のおもに 月も揺らぐ、ゆらゆらと~♪



     イギリスでショートステイしていたとき、プレイルームに、古いオルガンがありました。
     長い夜が退屈で、鍵盤に手を置いてみました。
     大昔に、バイエルくらいしかかじったことのなかった私でも、
     しぜんに、メロディが弾けたのが、この曲でした。同じ曲ばかり、繰り返してひいていました。
     ある夜 ドアが開いて、若いスペイン人の学生が言いました。
     「それ、ぼくの国では葬式のときに弾くんだよ」


     そういえば、映画タイタニックで、船が沈むときにも楽団がこの曲を演奏していました。


     、
 映画「タイタニック」主よ、御許に近づかん--BIWAKOオラトリウム合唱団


            
     
      けれども、曲の本当の意味を知ったのは、クリスチャンになってからです。
      
      ウィキピディアには次のような紹介があります(抜粋)
原曲は元々民謡として以前より存在していたとも言われており、詩は旧約聖書・創世記28章11節・12節を基に19世紀に英国のサラ・アダムス(英語版)によって作詞された。現在知られている旋律は米国のローウェル・メイスンによって書き起こされた「ベサニー」("Bethany")である。ほかにもジョン・バッカス・ダイクスの「ホーベリー」("Horbury") や、サミュエル・セバスチャン・ウェスレーの「コミュニオン」("Communnion") がある。メソジスト教徒はアーサー・サリバン卿によって書かれた旋律 "Propior Deo" を好む。
  


       創世記28章は、アブラハムの孫ヤコブが、父親と兄をだまし、
       兄の怒りを恐れて、家から逃亡し、メソポタミヤに住むおじさんのもとに行く途中、

       荒野でたったひとりで野宿をしているときに、神に出会う話です。

       驚いたことに、神は、ヤコブがアブラハム家を引き継ぐものであると明言して下さり、
       ヤコブが、遠い地に行っても、
       「かならず、この地に連れ戻そう。私は、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決して
       あなたを捨てない」
と仰せになったのです。(創世記28章15節)

       ヤコブは後に、神から、イスラエルという名前をいただき、イスラエル民族の名祖となります。
       したたかで、あくの強い若者だったヤコブは、長年の苦労の末、人間としても造りかえられて、
       カナンにもどってくることになります。 

       イスラエル12部族の先祖になった十二人の息子をしたがえていました。



             











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