ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

プロフィール画像をアップしました。

2018年04月16日 | 日記




ブログの衣替えをしたので、これまで空白だったプロフィール画像に自画像を入れました、


  
    



1998年と記されています。スイスの知り合いの家で、そこの奥様が、絵を描いておられたので、その横で、画用紙と鉛筆と、少しの絵の具をお借りして描いたのです。
サインの前に年月日が記されています。
20年も前ですから、実物は、もちろん、大いに変化していますが、面影はありますということで・・・ご容赦ください






 
 

宇宙の人間原理と創造主・ラジオ伝道者高原剛一郎牧師のお話

2018年04月11日 | 聖書


高原剛一郎牧師のメッセージの4回目です。
これは、「聖書と福音」というラジオ番組で語られています。
■ラジオ関西  毎週日曜 朝 7:45- 8:00 558Khz
■ラジオ福島  毎週日曜 朝 8:30- 8:45 1,458Khz

うまくお聞きになれない場合、ネットで文章を読むことができます。ほかに数人の伝道者が交代でメッセージをしています。楽しく軽く、真剣なお話を、ぜひお聞きください。



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17年8月6日

「宇宙の人間原理と創造主」


おはようございます、高原剛一郎です!


ずいぶん昔、朝日新聞に、明るい悩み相談室っというのがありました。そこに新潟県小千谷市の、16歳になる女子高生が相談事を投稿したのです。
「私はもう3年も悩んでいるのですが、人間は最後は死ぬのに、どうして一生懸命生きるのですか。ゴールに着いて何かいいことがあるわけでもないのに、どうして努力したり、恋をしたり、悩んだりするのですか。結局死んでしまうのに、生きることや、その間にすることに、どんな意味があるのでしょうか。友達や親に聞いても、誰も答えてくれません。」

これは人生についての根本的な問いだと思います。しかし、ほとんどの方は、明快な答えを持っていません。
わからないのです。どうしてわからないのでしょうか。人間の存在目的を、人間を出発点にして考えているからです。
私の友人に、ほとんど自力で別荘を建てた男がいます。プロではないけれど、プロ並みの仕事を何でもこなす人なんですね。
ところが彼の作った玄関扉には、下の方に高さ10㎝ほどの小さな扉が付いているではありませんか。
「何ですか、これは」と尋ねてみると、飼っている猫が出入りするための出入り口なんだそうです。私はそんなものが世の中にあるとは知らなかったので、びっくりしました。
しかし何のために存在しているかわからないものは、その作者に訊いたら、何のためのものかを説明してもらえるのです。


人間の存在の原因者がおられる

どうして人間の存在理由がわからないのでしょう。人間を存在させた神を認めないからです。
あなたを造り、あなたが生きていくために必要な地球を造り、そしてこの地球を命溢れる星にするために環境を整えておられる創造主を認めること、これが人生の目的を知る第一歩なのです。
聖書の中に次のような言葉があります。

天を創造した方、すなわち神。地を形造り、これを仕上げた方。すなわちこれを堅く立てた方、これを茫漠としたものに創造せず、人のすみかにこれを形造った方、まことにこの主が、こう仰せられる。『私が主である。他にはいない。』


過酷な宇宙環境

ところで宇宙の中で人が生きているということは、奇跡だということをご存じでしょうか。
先日「私を宇宙に連れてって」という本を読んで、私はそれを痛感いたしました。地球を飛び出して、ロシアのミールに長期滞在した宇宙飛行士たちは、狭くてうるさくて、あつくて汚い密閉空間で生活することになります。
しかし、その結果ユーリ・ロマネンコ宇宙飛行士は情緒不安定になり、アレキサンドル・ラベーキン宇宙飛行士はうつ病になって自殺を考えるようになります。宇宙船は快適とは言えないからです。

精神以前の問題として、食べ物の問題も深刻です。
宇宙船の限られた空間の中で、食料はできるだけ小さく、軽くなければなりません。それで圧縮された、歯磨きチューブみたいなものになってしまうのです。食の楽しみがなくなるとき、人間はちょっとのことでめげやすくなってしまうのです。

しかしそれ以上に大変なことは、食べたものを排泄することです。実はアポロ計画で使われた大便バッグは、透明のビニール袋でした。これをお尻にあてがってするのですが、宇宙飛行士のお尻の形状の平均的な曲線に合わせて作ったため、結果として誰のお尻にもフィットしないものができてしまったのです。
密着させるためのノリが体毛にくっついて、抜けてしまうのです。それでも何とか出したら、今度はバッグに殺菌剤を絞り入れて、封をして手で良くもむのです。そうしなと大腸菌がガスを発生させて、バッグはやがて破裂してしまうんです。
そして揉み方が十分でなかったために、実際破裂する事態が何回も起き、無重力空間をプカプカと大便がさまようようなことが起こり、宇宙船の中はパニックに襲われるということが続いたのです。
あまりの悪評に、トイレが作られるようになったのですが、凍った便が塵状になって舞ったり、ポップコーン状になって吹き上がったりする事故が起こります。
ちなみにスペースシャトルのトイレの開口部はたった10㎝です。適切な位置に肛門を持ってこられるように、肛門を写せるカメラを覗きながら、宇宙飛行士たちは排便のポジショニングの訓練をするんですね。


地球は見事に作られている

トイレだけではありません。宇宙遊泳でハイになって、宇宙船に戻りたくなくなった飛行士や、宇宙酔いで吐き気に悩まされたり、自分のあまりの体臭に苦しんだりします。実に宇宙船の中は壮絶な世界なのです。
こういう問題をひとつひとつ解決するために、各方面の専門家が世界中から集められ、人間そのものの弱さや特性が探求され、さまざまな技術を新たに開発して、居住空間の居心地を改善してきたんですね。
これらの知恵の結集なしに、人が忍耐できるような居住空間を宇宙の中に造り出すことは絶対にできなかったと、作者は断言しているのです。とするならば、この上もなく快適なこの地球という宇宙船は、人間を知り尽しておられる創造主によって見事に形造られたものだと言えるのではありませんか。


超絶なバランスで成立している宇宙

実はこの十年ほどの間で、物理学者たちが向き合い出しているテーマがあるのです。それは宇宙の人間原理です。
それは、宇宙な人間が存在できるように設計されているという考えです。つまり、人間が生きていくために宇宙があるという仮説で、1970年代にブランドン・カーターという学者が言い出すんです。
しかし、当初科学者の間では、大反発を浴びた異端的な考え方だったのです。しかし、今は違うんですね。
この10年の間に人間原理をめぐる風向きが、完全に変わりました。物理学者の多くの者達が、宇宙はなぜこのような宇宙なのか、を考えるようになったのです。本来、自然科学の世界では、「どのように」ということは問うても、「なぜ」ということは追及しません。しかし、今や最先端宇宙論や、物理学者は人間原理を無視できないのです。
例えば、地球にエネルギーを供給しつけている太陽は、水素の核融合をしています。
水素はヘリウムに変換するとき、水素の質量の1000分の7の割合で、エネルギーに代わるのですが、これが1000分の6に下がると変換できなくなり、宇宙は水素ばかりになってしまって、他は何も造り出すことがないのです。
逆に1000分の8に上がってしまうと、水素はあっという間に枯渇してしまうのです。超精密な調整された値の上に、この宇宙は成り立っているのです。このようなパラメーターは他に、40近くもあるというのです。
その40近くのパラメーターのたった一つの値が、ほんのわずか今より違っているだけで、宇宙は存在できなくなるというのです。


宇宙を作られた方が救い主として来られた

聖書はこう語っています。「天を創造した方、すなわち神、地を形造り、これを仕上げた方、人の住みかにこれを形造った方」がおられると。この神の存在は、目で見ることはできません。しかし、神が整えられた宇宙の構造を通して、充分に認められるのではありませんか。

ところで神がいる、ということを知るということは、第一歩です。この紛れもなく存在する神が、どんなご人格の方なのか、それを明らかにするために、神は人となってこの世に来られました。この方こそ、イエス・キリストです。
壮大な宇宙を指のわざで造られた方が、この世界に来てくださったのは、あなたと出会い、あなたを神のもとに引き戻し、神の目的にかなった人生に導きくためなのです。
どうぞキリストを通して、この宇宙の造り主なる創造主の神様を、あなたのたましいの親として出会ってください。心からおすすめします。










大切な君、ラジオ伝道者・高原剛一郎牧師のお話

2018年04月10日 | 聖書


2018.01.21

大切な君


おはようございます。高原剛一郎です!


作家の百田尚樹さんには、社会人になる息子さんがいるのですが、ある時、「僕は何故だか知らないけれど、名古屋と聞くと恐怖心がわいてくるんだ。」と言ったそうです。
息子さんは名古屋に住んだこともなければ、行ったこともない。名古屋でひどい目にあったことなど一度もないのに、この地名を聞くと無性に暗い気分になるというのです。

名古屋に行きたかった息子

しかし、父親である百田さんには思い当たることがありました。それは、息子さんが幼稚園に通っていた頃の話です。
その頃、百田さんはテレビの仕事で毎週名古屋に出張していたそうです。
その日の朝も、「じゃあ、名古屋に行ってくるわ」と言ったのですが、それを聞きつけた息子さんが「ボクも行く!」と言い出したのです。
幼稚園は飽きた、行きたくないという訳ですね。それより、お父さんが毎週行っている名古屋って何だか楽しそうだ。だから、自分もついて行くんだという訳です。
お母さんがダメだと言っても、「名古屋へついて行く!」と言って聞きません。

川を越えた先が名古屋

そこで、百田さんは、「分かった。お父さんと一緒に名古屋へ行こう。後ろからついてきなさい。」そう言って、近くを流れる淀川まで行ったそうです。
土手を下りると、背の高い葦が密集しています。幼稚園児の息子は必死に植物をかき分け、足元の悪い中、お父さんに食らいついていくのです。
すぐに汗だくで、靴は泥だらけ、手足は植物の鋭利な葉っぱで切り傷だらけです。
「お父さん、名古屋はまだなん?」
「うーん、もうすぐや。あの大きな川を越えたら向こう側が名古屋だ」
「どうやって川をわたるの?」
「泳ぐんや!」
その瞬間、息子さんは言ったそうです。「ボク、幼稚園にいく」くるりと向きを変えて家に戻りだしたんですね。

知らずうちにあるマイナスイメージ

この息子さんは、やがて成人し社会人となるにつれて、幼稚園時代のことをすっかり忘れています。
しかし、名古屋と聞くと潜在意識にある、あの辛い経験が引き起こした重い気持ちが浮かんでくるのです。
名古屋には何の罪もありません。ただ、名古屋の名前が悪用されたあの経験が、息子さんを名古屋嫌いにしてしまっているのです。

ところで、ある方は聖書とか、神とか、キリストと聞くと、「そんなの宗教だ。ナンセンスだ。そういう話は聞きたくない。」と拒絶反応を示されるのです。
しかも、一度も聖書を読んだことがなく、一回も教会に行ったこともなく、まだ聖書のメッセージを聞いたこともないのに拒否反応を示す方が時におられるのです。
それはおそらく、聖書に出会う前に、神とか、信仰とかいう言葉を悪用されて、マイナスのイメージを植え付けられてしまっているからかもしれません。
しかし、聖書の語るメッセージはこの世の宗教とは対極のメッセージなのです。


聖書=宗教だと思っていませんか?

ヨハネの福音書6章28,29節
聖書に次のような言葉があります。
すると彼らはイエスに言った。「私たちは、神のわざを行うために、何をすべきでしょうか。」イエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」

今日はここから2つのポイントでお話し致しましょう。

『たいせつなきみ』

第一に、ここで語られている神とは、私たちが作った神々ではなく、私たちを造られた方。この宇宙万物を造られた作者なる方のことです。人が作った神ではありません。人をお造りになった神のことです。この方を信頼することが、神のわざを行う第一歩となるのです。

私の大好きな絵本に『たいせつなきみ』という作品があります。それは、木彫りの小人たちの物語なんですね。
この人形たちの社会には一つ変なルールがありました。お互いに才能や美しさを認めると金色のシールを貼りつけるのです。
逆に失敗したり、見栄えが悪かったりすると灰色のシールを貼りつけるんです。
その人形社会にパンチネロという人形がいました。彼はどんなに頑張っても灰色シールばかり貼られて、すっかり自信をなくしているのです。

作者がどう思うかが大切

そんなある日のこと、金色のシールも灰色のシールも全然ついていない、スッキリした少女ルシアと出会うのです。
「ああ、この子のようになりたい。」と切望するパンチネロにルシアは言うのです。「毎日、エリに会いに行くといいわ!」
エリとはこの木彫り人形を作った彫刻家です。作者であるエリはパンチネロに語りかけるのです。
「お前は気にすることはないよ。金色や灰色のシールを貼りつけているのは一体誰だか考えてごらん。お前と同じ人形たちじゃないか。
仲間同士がどうレッテル貼りしようがかまやしない。パンチネロや、大切なことはこのわたしがどう思うかなのだ。
わたしはお前のことをかけがえのない宝物だと思っているんだよ。」

パンチネロのシールがはがれる

更にこう言うのです。
「シールはお前がくっつくように仕向けているからくっついてしまうんだよ。」
「どういう意味ですか?」
「お前がシールを気にしているからくっつくんだよ。わたしの愛を信じれば信じるほど、シールなんてどうでも良くなってくるはずだ。」
パンチネロはその意味がピンときませんでしたが、やがて、エリは本気でぼくのことを大切に思ってくれていると少し理解するようになりました。
その瞬間、灰色シールが一枚ポロっとはがれて地面に落ちるのです。


圧倒的な存在の前

ところで、私は寒いのが苦手です。しかし、夜空だけは冬の方がいいですね。それは、よく星が見えるからです。
寒い夜空ほど沢山の星々がきれいに見えるような気がします。
しかし、どんなに空気の澄んだ森や山に行っても、昼間には星が見えません。
それは、昼には星が出ていないからではなく、太陽の明るさによってかき消されてしまっているからです。
太陽の圧倒的な明るさの前では星々の弱々しい輝きはみな消えてしまうのです。
どうして、人からの評価を過大に気にしたり、それによって自分を損ねたりしてしまうのでしょう。
何があってもあなたへの愛を失っていない神様から離れ去っているからではありませんか。
あなたの作者であるエリの声を聞かないからではありませんか。神なき世界観の中で生きるからではありませんか。
この神様との断絶関係が、私たちに闇を呼び込ませている原因なのです。


川にはまった犬

第二に、神を信じるだけではなく、神が遣わした者を信じることが何よりも神があなたに望んでおられることなのです。
神が遣わした者とはイエス・キリストのことです。キリストこそあなたを神の前に帰らせるために、天からこの世に下って来られた救い主です。
私は先日、氷結する川を横切る途中ではまってしまった犬の動画を見たのです。
この犬は前足を氷にかけていますが、自力で這い上がることはできません。必死にもがくのですがどんどん体温が下がっていくのです。
また、犬の足は氷を歩くようにはできていないんですね。踏ん張ろうにもツルツル滑って体力を無駄にするばかりです。
そこに、消防のレスキュー隊が到着します。氷にうつ伏せになりながら、犬に近づきますが隊員は犬を掴んだ瞬間、氷が割れて犬もろとも川に落ちてしまうのです。
しかし、隊員の腰にはロープが結わえられていました。岸辺のチームが懸命にそのロープを引っ張って、この犬と隊員を救い上げたのです。


自力で戻れない、人のためのキリスト

ところで、どうして隊員がわざわざ犬のところへ出向かわなければならなかったのでしょう。
犬が自力で這い上がることができないからです。キリストはどうして天から来られたのでしょう。人は自力で神の元に帰る力がないからです。
人にはできないことを代わりに成し遂げるためにキリストが来てくださいました。
キリストを受け入れることで、あなたは罪と死の中から救われるのです。
どうぞ、イエス・キリストを心の中に受け入れてください。心からお勧めします。




今日のみことば

すると彼らはイエスに言った。「私たちは、神のわざを行なうために、何をすべきでしょうか。」6:29 イエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」
(ヨハネ6:28-29)