ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

至高の作者と無限の愛、高原剛一郎牧師のお話2

2018年04月09日 | 聖書






2018.04.01

至高の作者と無限の愛
             伝道者:高原剛一郎

おはようございます。高原剛一郎です。

私の子供の頃、藤子不二雄のアニメに『怪物くん』という作品がありました。
怪物ランドの王子が三人のお供を連れて人間界で活躍する物語です。
この三人のお供の中に一人だけ「フンガァー」としか言わない継ぎ接ぎだらけの巨人がいました。
その名もフランケンです。これはホラー映画の元祖『フランケンシュタイン』からとったものです。
ところで、私は随分昔にこのフランケンシュタインの小説を読んで驚いたのです。
実は、フランケンシュタインというのは怪物の名前ではなく怪物を作った博士の名前なのです。
博士は少年時代から科学が大好きで、いつの日か死体からパーツを集めて人造人間を作りたいと考えていました。
そして、博士号を取った後、墓場に行って泥まみれになりながら死体を継ぎ接ぎして2メートル50センチの体を作り、そこに命を吹き込むことに成功するのです。

作者は愛せなくなった

しかし、予想もしないことが起こります。
それは博士自身が自分の作ったものを愛することができなくなったということです。
自分で作っておきながらあまりの醜さに耐えきれず、実験室に怪物を放置したまま逃げ出してしまうのです。
どうして怪物に名前がないんでしょう。作者から名前を付けてもらえなかったからです。
怪物は自分を愛してくれなかった作者に復讐するために次々と殺人を犯し、遂に博士を殺し号泣するのです。
映画ではグロテスクな外見ばかりが強調されていますが、小説では怪物の繊細な内心がヒリヒリするタッチで描かれていました。



フランケンシュタインの作家

ところでこの小説を書いたのはメアリー・シェリーという人です。つまり女性なのです。
しかも、書いた当時19歳でした。
そんなに年若くしてどうしてこんなに人間の孤独な心や葛藤を描くことができたんでしょう。自分の生い立ちを小説に焼き直して書いていたからです。
彼女は誕生して10日後にお母さんを亡くしてしまいます。産後の肥立ちが悪かったのです。
それで成長するに従い、自分が生まれなければお母さんは死ななかった、自分が母を殺したと考えるようになるのです。
お父さんは後日再婚します。しかし、この新しいお母さんが典型的な継子いじめを繰り返し彼女は大変寂しい少女時代を過ごすのです。
愛に飢えた彼女は16歳で妻子ある男性と駆け落ちし、翌年17歳で長女を産みますが程なくその子は死んでしまうのです。

苦しみの中での著作
次の年には姉が自殺し、18歳の時には不倫相手の妻が投身自殺をします。
彼女は愛されないことに苦しみ、愛してはならない人を愛して苦しみ、自分の蒔いた種で他の人を苦しみにあわせ、いったい何のために生まれてきたんだろう、人間存在とはいったい何なんだろうともがく中でこの作品を書いていったのです。
この小説には本物の愛で愛されたいという魂の絶叫が響いているように思うのです。

神のことは神のことばで考える

さて、聖書の中に次のような神の言葉があります。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

もし、人生の出来事や自分の実感から神をイメージすると神は無慈悲で冷血で厳しい存在でしかないと思い込んでしまうことでしょう。
しかし、神様のことは神の言葉で考えるべきなのです。
神とはどんな方でしょう。3つのポイントでお話しします。

神に似せられている

第1に、あなたのことを尊い存在だと評価してくださる方です。
最も尊い方である神の本質に似せて造られているという点であなたは尊い人なのです。
人間には他の動物と違って創造性がありますね。道具を作ったり、芸術を楽しんだり、何か創意工夫して生み出していくという能力があります。
人が創造性に富んでいるのは創造主の本質に似せて造られているからです。
また、人は自分が死んだ後のことを考えます。絶対に手の届かない世界の果てのことや宇宙の果てについて、また、時間ということについて考えるのです。
つまり、永遠ということを考えずにはおれない存在なのです。それは、永遠の存在である神のかたちに似せて造られているからです。
また、あらゆる生き物の中でただ人間だけが信頼したり、祈ったり、信じたり、宗教的感覚を持つ存在なんです。
それは、信頼関係の中に生きる神のかたちに似せて造られているからです。

愛の対象として造られた

第2に、あなたを愛の対象として造られた方です。
神様はあなたを愛しています。フランケンシュタイン博士は自分が作り出したものの醜さに耐えきれずに顔を背けて放り出してしまいました。
しかし、あなたをお造りになった神はたとえあなたがどんなに醜いことをしでかしたとしても、あなたに対する愛をやめない、いや、やめられない方なのです。
人は自分でも軽蔑してしまうようなことをやってしまう時、もはや愛される資格などないと思うものです。
しかし、神はあなたが愛されるにふさわしいから愛するのではありません。神のご性質が愛なので愛するのです。
そして、あなたを愛の対象としてお造りになったので愛されるのです。

神にとって高価であるとは

第3に、あなたを高価なものとご覧になる神です。
ところで、この世界の価値あるものは全部神が無から創造されたものです。
太陽エネルギーも空気も希少金属もすべて神が創造なさったものです。
何の苦もなく価値あるものをいくらでも造りだすことができる神にとって高価であるとはいったいどんなものなのでしょう。
それは、ご自分のひとり子の神イエス・キリストです。
神はあなたの罪を赦すために神にとってもかけがえのないイエス・キリストを犠牲として払ってくださったのです。

神は正義である方

神という方は確かにあなたを愛する方です。しかし、同時に正義の神でもあられるのです。
正義とは罪を憎む性質です。悪を嫌う性質です。不正に憤る性質なのです。
神はあなたの罪に対しては怒っておられる方です。
この罪に対する怒りを完全に晴らした上で、しかも罪人に対する愛を完全に表すために神はご自分のひとり子イエス・キリストをあなたの身代わりとされました。
罪人に罪の責任を求めるかわりに、全く罪のないイエス・キリストに罪の責任を問うて裁きを振りおろしてくださったのです。
神がそうされた理由はあなたを愛しておられるからです。
キリストはあなたの罪を完全に帳消しにし、死後三日目によみがえられました。

無かったことにする

昔、会津藩のお殿様に加藤嘉明という方がいました。
この家には天塩皿という10枚1組のお皿の家宝があったのです。
ところがある日のこと、この皿の1枚を側近の若者が不注意で割ってしまうのです。
価値があるものを欠けさせてしまったんですね。
側近の若者は打首を覚悟したといいます。
しかし、嘉明公は意外な行動に出たのです。残った9枚の皿も若者の前で全部打ち砕いてしまったのです。
やけを起こしたのではありません。残りの皿をそのままにしておいたらこの皿が使われる度に失敗を思い出し、また、周りの者も白い目で見ることでしょう。
ならば一層の事すべて無くしてしまっておいた方が良い。そうすれば、そんな皿があったということすらもいつの間にか忘れてしまうだろうと言われたのです。
神はキリストの犠牲によってあなたの罪を完璧に赦してくださいました。それによって、罪の記憶は跡形もなくひとかけらも残らず完全に忘れ去ってくださったのです。
そんなことが可能になったのは、神が高価で尊いイエス・キリストをあなたの代価として支払ってくださったからです。
「わたしの目にあなたは高価で尊い」と呼びかけておられるこの真の神様にどうぞキリストを信じて立ち返ってください。心からお勧めしたいと思います。



今日のみことば

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
(イザヤ43:4)







死に打ち勝つ信仰、高原剛一郎牧師のお話

2018年04月08日 | 聖書


「聖書と福音」というラジオ番組をご存知ですか。
 関西と福島にあるラジオ局です。
    ■ラジオ関西 毎週日曜 朝 7:45-8:00 558Khz
    ■ラジオ福島 毎週日曜 朝 8:30-8:45 1,458Khz

 ネットでも、FBでも見ることができます。
 わかりやすくて、温かいお話満載のこのサイトを、最近は忙しくてあまり開かなかったのですが、
 今日は、一つご紹介させてください。
 メッセンジャーは高原剛一郎牧師です。 
このメッセージは、2012年のものです。今も放送されていますので、明日は18年4月の放送分を掲載します。


   ❀ ❀ ❀



「死に打ち勝つ信仰」

 おはようございます。高原剛一郎です!

 さて、今年2012年は、アメリカの大統領選挙の年です。今の大統領はオバマさんですね。そして、この、オバマ大統領が生まれた年に大統領に就任した人物にジョン・F・ケネディという人がいました。実は、彼のお父さんは大変な野心家であったのです。四人いる息子の誰かをどうしても大統領にしたいと常々思っていました。しかし長男は、飛行機を操縦中空中爆発で亡くなります。


 次男のジョン・F・ケネディは史上最年少で大統領になりますが、ダラスというところで暗殺されてしまいます。三男のロバート・ケネディは、その五年後大統領予備選挙の最中に暗殺されてしまうのです。末っ子の、エドワード・ケネディは、脳に得体のしれない腫瘍ができて亡くなります。ジョン・F・ケネディの息子は、飛行機が墜落してなくなり、ロバート・ケネディの息子はスキーで樹木に激突して亡くなるんです。彼の一族は十三人が変死を遂げているんですね。それで、アメリカでは、悲劇のケネディ家とか、ケネディ家の呪いなどという人もいるほどです。
 ところで、このケネディ家という華麗なる一族と、わが高原家には一つの共通点があるのです。実は、私の一族も先祖はみんな亡くなってしまったのです。わが家系は、先祖代々全員、最後は死んでしまったのです。もし、一族が死んだことをもって、呪いの家系というなら、人類の中で呪われていない家系など、いないのではないのでしょうか。


悲劇が悲劇で終わらない家族

 ところでもう一つのファミリーを私は紹介したいのです。ケネディ家以上に、死に憑りつかれたかのように見える人と、その家族です。その人の名は、クラシック音楽の大家、ヨハン・セバスティアン・バッハという人です。彼のお父さんの時代、ドイツでは、三十年戦争という争いがありました。ドイツの国内で、ドイツ人同士が、三十年間戦争したんです。三十年というのは、太平洋戦争の七倍です。その間、国中に戦死者があふれかえりました。国土が荒らされ、ペストという伝染病が蔓延し、なんと国の人口が、五分の一になるのです。バッハの家族も例外では、ありませんでした。バッハが、九歳の時、お母さんが亡くなり、十歳の時には、お父さんを亡くします。八人兄弟の末っ子だった彼は、上にいた四人の兄弟たちを亡くします。十三年間連れ添った、妻は彼を残して、他界します。再婚した妻と先妻との間に生まれた二十一人の子供たちのうちの十人は、彼の目の前で死んでいったのです。親にとって、何よりつらいのは、自分よりさきに子供たちが亡くなっていくことではありませんか。彼は、それを十回も経験したんです。


悲しみの中で湧き上がる賛美
 孤児として育ち、最愛の妻に先立たれ、十人の子供を死なせた彼の人生は、一言でいうなら、死に呪われた人生のようです。ところが、バッハには人生に対する苦さというものがないんですね。それどころか、自分に人生を与え、兄弟たちを与え、妻を与え、子供たちを恵んだ神への賛美が、生涯途切れることがなかったのです。彼は毎週新しいカンタータを作曲し、音楽を神からの賜物と喜び、その作品の楽譜には「神に栄光あれ」とサインがなされていました。自分に与えられた音楽の才能をフルに活用して、彼は、死があふれかえっていた、この時代に喜びの歌を紡ぎ続けたのです。彼が、身のまわりの状況に心を折られることなく、正気を保ち続け、人生を肯定することができたのは、聖書によって、確たる死生観を確立していたからです。聖書には、死と命についてこう書いてあるんです。

「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」



聖書が語る「死」と「いのち」
 ここには、三つのことが語られています。

 第一に、死の原因とは何かです。人はなぜ死ぬんでしょう、死ぬ命を持って生まれてきたからです。では、どうして、命には、死がプログラムされているんでしょう。命の造り主に対して、人が関係を断ち切っているからなんですね。人類最初の人間が、神に反逆したために死が入ったのです。この死が入り込んだ命が先祖代々私たちに受け継がれているというのです。
 私は先日全身麻酔をして、手術を受けました。麻酔から覚めた私はふと気が付くと両足に見慣れないストッキングを履かされているではありませんか。さらに空気圧縮装置で二十四時間もの間、両足のマッサージが続いたのです。いったいなんでそんなことをするんでしょう。絶食絶飲のうえで、長時間同じ姿勢のままで寝ていると、足に血栓という血の固まりができやすくなるんですね。この血の固まりが肺静脈にまで行くと血栓が詰まってしまい、呼吸困難になるんです。小さな血の塊が肺への血管をふさいでしまうことで、死に至ることすらあるというのです。それと同じように命のルーツである神と人間との間に罪という遮蔽物が立ちはだかることによって、神からの命や祝福がせき止められてしまうのです。この神との絶縁が、人間に死をもたらしたのです。


神が備えた死の解決方法

 第二に、神は死を解決するために、イエスキリストを送ってくださったということです。
 バッハは死の原因を知っていましたが、同時に、神がその解決のためにしてださったことをも知っていたのです。彼は、自分を怒りっぽく、頑固者で人間関係においては、不器用で欠点を持つ人間だということを自覚していましたが、決して神から憎まれているとか、嫌われてるとか、呪われてるというふうには考えなかったのです。なぜなら、自分の罪や短所や悪い部分は全てキリストが十字架の上で引き受けてくださったことを知っていたからです。罪に対する刑罰はひとつ残らずキリストが、あの十字架の上で代わりに引き受けてくださったのです。だから、刑罰は、すでに全部、終わっているんです。神と自分との間に残っているのは、愛だけだということをバッハは知っていたのです。
 十人の子を失って嘆いた彼は、一層神を褒め称えるようになったと言われています。なぜなら、神もまた、ご自分の子供をあの十字架の上で、亡くしてくださったからです。大切な人を亡くしたものの気持ちは、大きな喪失を経験した者でないと分かりません。神は私たちの悲しみを理解できるのです。全知全能だから理解できるというだけでなく、神自らが大切な一人子をあの十字架の上で亡くしてくださったからです。


死を乗り越えさせる希望

 第三に、神が用意してくださったものがここには書かれています。キリストは十字架にかかって後、三日目に死を突き破ってよみがえられました。この死を飲み込む命を永遠の命というのです。この永遠の命を神は、私たちに用意してくださっているんです。キリストにあって、死んだ人は必ず永遠の命を携えて、永遠の命にふさわしい天国に行くのです。

 我が家は、同じマンションの二階と三階に住んでいます。手狭なのでそのようにしたんです。三階で食事をとったら私は二階にある書斎に降りていきます。そのとき三階に部屋を持っている子供たちは、いちいち送別会をしたり、涙に泣き崩れたりするというようなことはありません。いつでも会えるところに行くときの別れは深刻にならなくてもよいのです。クリスチャンにとって、天国とは、必ず行ける魂の故郷なのです。このように神の下さる永遠の命は人間に死を乗り越えさせる希望となるのです。
 どうぞあなたも、ぜひこのイエスキリストをご自分の救い主として信じてください。心からお勧めします。









演劇の道を生きるMくんの舞台をどうぞ!

2018年04月07日 | 観る







   豆生田めぐみさんは、M君(豆生田泰樹くん)のお母さん。
   同じ教会の姉妹です。

   豆生田家は、全員芸達者ぞろい。お父さんは落語(三遊亭遊助さん)、弟の豆生田裕洋君は音楽家。
   音学大学を出て、歌も歌い楽器もこなすので、今後が楽しみです。


   広報がちょっと遅すぎた?
   でも、まだ、間に合います。ぜひご観覧ください!!