再び2019年1県スペシャル「高知県」に戻ります😅
1県スペシャル「高知県」もようやく5月に入りました✋
こんにちはこんちゃんです😊
ワタシは土佐市の国道56号線沿い、城山公園入口にいます😊
ここにはかつて蓮池城とゆうお城があったそうです😌
この路地を入ると城山公園の駐車場があります😊

駐車場から階段を上っていくようです😊
それでは始めましょう😌
第104回こんちゃんのお城めぐり「蓮池城趾」です😊
見えていた階段を上りきると細長い平らな場所に出ました😊
なんとなく帯曲輪っぽいですね😌

そしてさらに上ると曲輪のような所に着きました😊
トーテムポールが建っています😌

城山公園案内図を見ると山に残っていた曲輪などの遺構を利用して公園に整備しているようにみえます😌

公園の真ん中が少し凹んでいるのも、もしかしたら曲輪を分ける堀切だったのかもしれません😌

階段のあるあの場所が主郭でしょうか?😌
行ってみましょう😊

土佐市史跡蓮池城趾の石碑がありました😊

やはりここが主郭だったのでしょう😊
現在は広場になっていて、奥にお社がありました😊
お参りしてゆきましょう😌

蓮池城の興亡とゆうお城の説明板もありました😊
それによると、
「ここに城が定められたのは嘉応2年(1170年)平氏の家人近藤家綱(蓮池権頭)が平氏荘園の守護として居城したのに始まり、その後源頼朝の討手に滅ぼされた。建久3年(1192年)藤原国信が居城して大平氏を名乗り、広大な勢力圏を形成し、文化面でも優れた活躍をした。」とあります😌
そうですか、土佐七雄の1人大平氏の居城だったのですね😊

天文15年(1546年)幡多一条氏が東進し、大平氏を滅ぼし、弘治3年(1557年)には本山氏が城を奪い、永録3年(1560年)長曽我部氏と本山氏の争いを機に一条氏が奪回、永録12年(1569年
)吉良親貞が一条氏を追い、その子親実が城主となったそうです😌一条氏や土佐七雄が奪い合ったお城なんですね😊
その後、長曽我部盛親の継嗣問題で元親の逆鱗に触れ、親実は自刃し、こうして400年余戦国武将が興亡を繰り返してきた蓮池城の歴史は幕を閉じたそうです😌

主郭から下りてきて公園の中を散策していると…
これは帯曲輪かしら?😌
と思ってみたり、

上から見て、あそこも曲輪だったのでは?😌
とか、

この急な斜面は切岸でしょうか?
などと想像してしまいました😊
最後に城山公園を別のルートで下ってゆきました😌

国道56号線に出ました😊
こちらの方が目立つ看板ですが、こちらの入口には駐車場は見当たりませんでした😌

少し入った場所にひっそりと蓮池城の石碑が建っていました😌

以上で今回のお城めぐりはおしまいです😊
江戸時代よりも前に廃城になってしまったお城ですが城山公園とゆう形で見学ができてとてもうれしかったです😌
ワタシももっと精進して、こうゆう場所でも遺構がわかるようになりたいと思っております😌
これからもよろしくお願いいたします😌
それではまたどこかのお城めぐりでお会いしましょう😊
こんちゃんがお送りしました😌