おでかけ大好き!ピースくん

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上野国分寺跡と妙見寺(2024年8月)

2024年08月08日 | 群馬におでかけ
ピースくんだよ😊
毎日酷暑が続いてやんなっちゃうねぇ💦
昼間のおでかけは、とても出来ないから、朝少し早起きして、ちょびっとおでかけしたよ😌

「国指定史跡 上野国分寺跡」😊
天平13年(741年)聖武天皇は仏教の力による国家の安泰を目指し、国ごとに僧寺と尼寺を建立する詔を発したそうだよ😌
上野国分寺もそのひとつとして、上野国の中央部のこの場所に建てられたんだって😊
その後は次第に衰微し、14世紀後半には廃絶したと考えられているらしいよ😌

…ってなことが、駐車場のある入口付近の「史跡 上野国分寺跡」の説明板に書いてあったんだ😃
大正15年(1926年)に僧寺跡が国の史跡に指定され、昭和55年(1980年)から発掘調査、そして昭和63年(1988年)から史跡整備が進められてきたそうだよ😌
向こうに見える国分寺橋(こくぶのてらはし)を渡った奥が、国分寺跡だったよ😊

橋を渡って歩いてゆくと、広い空間が見えてきたよ😃
僧寺は東西約220m、南北約235mの広さをもち、周囲は築垣(土塀)で囲まれていたんだって😊
その中央には本尊の釈迦像を祭る金堂と高さ60.5mもある七重塔が建てられていたそうだよ😌
正面が、南大門跡みたい😊

築垣(復元)😊
版築で復元された築垣は、創建当時の工法と同じなんだって😃

大きな木の近くに「史蹟 上野國分寺趾」の石碑が建ってたよ😊
これはずいぶん前からある石碑みたいだったなぁ😌

なんか復元されてるものが見えるね😃
七重塔基壇(復元)だったよ😊
ここに高さ60.5mもある七重塔が建っていたんだねぇ😌

この場所に、七重塔の基壇と礎石の一部が、1200年以上の間残ってたんだって😲
すごいロマンだなぁ😌
発掘調査で判明したことに従って、土の部分は版築で、化粧石は榛名山から採った石を用いて再現したそうだよ😊

こっちは、金堂基壇(復元)😊
ここに御本尊の釈迦像が祭られていたのかぁ😌
お釈迦様は、どこかに移されたのかしら😌

築垣の外側に、ガイダンス施設上野国分寺館があったよ😊

朝早かったから開館前で、中には入れなかったけど、ガラス越しに展示されてた模型を眺めたよ😊
あんな感じのお寺だったんだ〜😃

上野国分寺跡近くの畑越しの赤城山😃
国分寺があった頃も、赤城山はよく見えたんだろうなぁ😌

このあと近くにある妙見寺にお参りに行ったよ😊
道から見える門柱みたいなとこ、右に「妙見寺」、左に「妙見尊」って刻まれてた😌
どんな違いがあるのかしら?

入ってゆくと、鐘楼の奥に本堂が見えたよ😊

スロープの参道のとこにも門柱みたいなのがあったよ😊
こちらには、右に「天台宗」、左に「三鈷山 妙見寺」って刻まれてた😌
案内板には、「妙見社及び妙見寺」ってなってて、説明読んでも難しくって、ぼくにはさっぱりわからなかったよぉ〜😅
とりあえずお参りしていこっと😌

こちらの建物は歴史がありそうだなぁ😌
後で調べたら、妙見社本殿で、高崎市指定重要文化財だったよ😃
妙見社は日本三妙見のひとつとして知られ、伝承では千年以上前に創始されたと言われているんだって😊
中世には有力武士の信仰も集めたそうだけど、度重なる火災で往時の面影は残していないそうだよ😌
現在の本殿は、天保年間(1830年代)に再建されたもので、前橋市総社神社拝殿と同じ彫工の手によるもので、代表的幕末寺社建築と言えるものらしいよ😌
日差しの影になってて写真に写ってなかったけど、彫刻とっても素敵だったよ😊

まだまだ酷暑は続きそうだから、当分は早朝の「ちょびっとおでかけ」だけになりそうだね😌
ぼくとしては、せっかく早起きしておでかけするんだから、おいしいモーニングなんか食べに行きたいなぁ😊

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