おでかけ大好き!ピースくん

ぼくピースくんが色んな所に遊びに行った写真を発表しま~す!

山田堰跡(2019年5月)

2022年06月19日 | コダのダムめぐり
高知県へ戻って、香美市土佐山田町小田島の物部川にきたクワよ😊
ここには何があるクワか?😌

物部川右岸9K/600の看板のある土手の内側になんかあるクワ😊

川に向かって斜めに延びているクワよ😌

下に下りてきたクワ😊
これは山田堰跡クワ😊
物部川を横断する長さ327mの湾曲した斜め堰で、寛永16年(1639年)から寛文4年(1664年)までの26年間にわたる難工事の末、完成したそうクワよ😌
東岸に二用水と西岸に四用水を引き、香長平野の灌漑と水運に大きな貢献をしたそうクワ😌
昭和48年(1973年)上流に物部川合同堰が作られたので、その役割を終え撤去するに当り、東岸に20m、西岸に70mを残し物部川緑地公園として保存したそうクワよ😌

山田堰跡近くには石碑も建っていたクワ😊
大きい方が山田堰土功組合の碑で小さいのが高知県史跡山田堰の石碑だったクワ😌

江戸時代にこの川を横断する長さ327mの堰を作ったクワか💦
すごいクワなぁ😌

土手の外側にもなんかあるクワよ😊

ここに説明板があったクワか😌
昭和58年中井取水口裏に「山田堰記念公園」をつくり、取水口の一部を復元し「山田堰の碑」を建立したって書いてあったクワ😊
さっきのは復元された取水口だったクワか😌
そしてここが山田堰記念公園なのクワね😊

今度は立派な高知県史跡山田堰の碑があったクワ😊

そして山田堰記念公園の石碑もあったクワよ😌

ここに来るのはちょっと分かりづらかったクワけど、野中兼山や昔の人々の偉業の遺構を見ることが出来てよかったクワ😊
コダがお送りしたクワよ😌

大轟の滝(2019年5月)

2022年06月19日 | 徳島におでかけ
コダちゃんのダムめぐりに付き合って徳島県那賀郡那賀町へ😌
大美谷ダムから国道193号へ戻って、さらに奥へとドライブしてゆくと道沿いに大轟の滝が見えてきたよ😊

道路からベストアングルで見える大轟の滝😊
お水の色もきれいで素敵な滝だったなぁ😌

道路からよく見えるのはいいんだけど駐車場とかないんだよね😅
大轟の滝の石碑や看板もなし😅
唯一あるのは道路標識のこの看板😌
この看板の横に階段が😊
遊歩道になってるみたい😌

少し歩いて見たんだけど全然滝見えないし、どこに行くのか目的地もわからない😅
滝の方に下りてく遊歩道かと思ったけど違ったみたい😌

遊歩道の看板😅
遊歩道なのはわかるから道標が欲しかったよね💦

結局大轟の滝の近くへ下りてゆけなかったよ😌
そもそも下りられなかったのかもしれないね😅

大美谷ダム(2019年5月)

2022年06月19日 | コダのダムめぐり
こんにちはオイラコダクワ😊
今回は徳島県那賀郡那賀町にある大美谷ダムにきたクワよ😊
高知県物部川沿いの国道195号をドライブして四ッ足峠トンネルで県境を越え、さらに国道193号から大美谷川沿いの道を遡ってやっと到着したクワよ😅
ここは四国電力の水力発電用のダムクワな😌

那賀川水系大美谷川にあるアーチ式コンクリートダムクワ😊

堤頂長86m、堤高31.5mなんだそうクワよ😊
きれいなアーチクワなぁ😌

天端は残念ながら立入禁止クワ😞
よんでんこちゃん(オイラ命名)がダメってゆってるくわな😅
入口には年季の入った、大美谷堰堤のプレートがあったクワ😊
堰堤って刻まれていたクワから古いダムクワかも😌
後で調べたら1960年完成のダムだったクワよ😌

ダム名の石碑などはなく、大美谷ダムの手作りっぽい看板が立っていたクワ😌

注水口から勢いよく水が流れてきているクワよ😲
この水は全長12.5kmの水路によりダムへ導かれた水なんだそうクワ😌

ダム湖の水の色、きれいクワなぁ😊
奥に見えるのは右が鋼製ローラーゲートで、左は取水口で広野発電所へ送られているらしいクワ😌

ダム湖中程に吊り橋があったクワ😊

吊り橋から真正面のダム堤体を眺めたクワ😌
お天気がよければ、きっともっときれいな色のブルーだったクワなぁ😅
残念クワよ😞

堤体近くの道路沿いに階段があってダムを上から眺めることができたクワよ😊
きれいなアーチと注水口から勢いよく流れる水がよく見えたクワね😌

以上で大美谷ダムのダムめぐりはおしまいクワ😌
オイラが行った2019年はまだ大美谷ダムのダムカードはなかったクワよ😌
その後、ダムカードが出来たそうクワ😊
配布場所は小見野々ダム管理所クワけどコロナでお休みしているそうクワ😞
配布再開されて、オイラがまた徳島へ行くことがあったら貰いに行きたいと思っているクワ😊
楽しみクワね😌

宇佐もんや(2019年5月)

2022年06月18日 | 高知におでかけ
お昼は土佐市宇佐町にある宇佐もんやさんへ😌
ぼくの大好きないわしのお店だよ😊

ぼくこれにする~😊
「一本釣りうるめ尽くしの定食」宇佐もんや定食😌
「宇佐もんや」の看板メニューだって~😊

一本釣りうるめいわしののぼり😊

きたよぉ~宇佐もんや定食😊
うるめぶっかけ漬け丼、うるめの刺身、うるめスティックフライ、うるめ南蛮漬け、青物の小鉢、うるめつみれ汁とほんとにうるめ尽くしの定食だぁ~😋

もひとつは刺身定食😊

朝獲れ一本釣りうるめいわしのお刺身😊
いいものは見た目もきれいなんだよな~😌
新鮮ですっごくおいしかった~😋
いわし好きにはたまらないねぇ😊

すっごくおいしかった~😋
また食べに行きたいねぇ😌
ごちそうさまでした😊

蓮池城趾(2019年5月)

2022年06月18日 | こんちゃんのお城めぐり
再び2019年1県スペシャル「高知県」に戻ります😅
1県スペシャル「高知県」もようやく5月に入りました✋

こんにちはこんちゃんです😊
ワタシは土佐市の国道56号線沿い、城山公園入口にいます😊
ここにはかつて蓮池城とゆうお城があったそうです😌
この路地を入ると城山公園の駐車場があります😊

駐車場から階段を上っていくようです😊
それでは始めましょう😌
第104回こんちゃんのお城めぐり「蓮池城趾」です😊

見えていた階段を上りきると細長い平らな場所に出ました😊
なんとなく帯曲輪っぽいですね😌

そしてさらに上ると曲輪のような所に着きました😊
トーテムポールが建っています😌

城山公園案内図を見ると山に残っていた曲輪などの遺構を利用して公園に整備しているようにみえます😌

公園の真ん中が少し凹んでいるのも、もしかしたら曲輪を分ける堀切だったのかもしれません😌

階段のあるあの場所が主郭でしょうか?😌
行ってみましょう😊

土佐市史跡蓮池城趾の石碑がありました😊

やはりここが主郭だったのでしょう😊
現在は広場になっていて、奥にお社がありました😊
お参りしてゆきましょう😌

蓮池城の興亡とゆうお城の説明板もありました😊
それによると、
「ここに城が定められたのは嘉応2年(1170年)平氏の家人近藤家綱(蓮池権頭)が平氏荘園の守護として居城したのに始まり、その後源頼朝の討手に滅ぼされた。建久3年(1192年)藤原国信が居城して大平氏を名乗り、広大な勢力圏を形成し、文化面でも優れた活躍をした。」とあります😌
そうですか、土佐七雄の1人大平氏の居城だったのですね😊

天文15年(1546年)幡多一条氏が東進し、大平氏を滅ぼし、弘治3年(1557年)には本山氏が城を奪い、永録3年(1560年)長曽我部氏と本山氏の争いを機に一条氏が奪回、永録12年(1569年)吉良親貞が一条氏を追い、その子親実が城主となったそうです😌
一条氏や土佐七雄が奪い合ったお城なんですね😊
その後、長曽我部盛親の継嗣問題で元親の逆鱗に触れ、親実は自刃し、こうして400年余戦国武将が興亡を繰り返してきた蓮池城の歴史は幕を閉じたそうです😌

主郭から下りてきて公園の中を散策していると…
これは帯曲輪かしら?😌
と思ってみたり、

上から見て、あそこも曲輪だったのでは?😌
とか、

この急な斜面は切岸でしょうか?
などと想像してしまいました😊

最後に城山公園を別のルートで下ってゆきました😌

国道56号線に出ました😊
こちらの方が目立つ看板ですが、こちらの入口には駐車場は見当たりませんでした😌

少し入った場所にひっそりと蓮池城の石碑が建っていました😌

以上で今回のお城めぐりはおしまいです😊
江戸時代よりも前に廃城になってしまったお城ですが城山公園とゆう形で見学ができてとてもうれしかったです😌
ワタシももっと精進して、こうゆう場所でも遺構がわかるようになりたいと思っております😌
これからもよろしくお願いいたします😌
それではまたどこかのお城めぐりでお会いしましょう😊
こんちゃんがお送りしました😌