五十代も後半になって体力低下も顕著になり瞬発力や柔軟性も失われてきた。
本来ならそれを補うべく山行を重ねるのが一番の対策なのだが悲しいかなこの年代はそれなりに忙しい立場にあって休みづらかったりで若いときほど山行日数は稼げない。
何より「イケナイ」のは山に対する想いというか「何としてもあのルートに行きたい!」と自分を駆り立てる情熱が冷めつつあるということ。
妙に諦めが良くなって来ている。
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それと共に山の仲間も少しずつ世代交代で入れ替わり嘗てのザイルパートナーなど今ではけっこう偉い椅子に座っているようで「山」どころでは無いらしいく、かといってここ数年内に入ってきた若い連中の迸るような情熱には眩しすぎて凡そついて行けない自分の不甲斐なさもあり、仲間との山行は減りつつあった。
昔のように何にも気にせずバカを言い合いそれでいて阿吽の呼吸でザイルを捌いていたあの頃。
もうあの頃は戻って来ないのだ。
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「山の友よ」は成蹊大学の虹芝寮々歌で山屋なら昔は誰でも一度は聴いた事があると思う。
僕は学生の頃から社会人山岳会に入会してたので「学生のノリ」とは違った角度でこの歌を聴いていた。
でも入会したときの同期は7人、みんな僕より年上だったが山岳会の同期として同じような経験だった。
【山の友よ】
薪割り 飯炊き 小屋掃除
みんなで みんなで やったっけ
雪解け水が冷たくて
苦労したことあったっけ
今では遠く みんな去り
友をしのんで 仰ぐ空
幕営 グリセード 岩登り
みんなで みんなで やったっけ
ルンゼで雨に叩かれて
苦労したことあったっけ
今では遠く みんな去り
友に便りの 筆をとる
前傾 外傾 全制動
みんなで みんなで やったっけ
雪が深くて ラッセルに
苦労したことあったっけ
今では遠く みんな去り
友の写真に 眺め入る
落葉松萌ゆる 春山に
みんなで みんなで 行ったっけ
思わぬ雪に ワカン履き
苦労したことあったっけ
今では遠く みんな去り
山よお前は わが心
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さてその山仲間も一人去り二人去り…
けして彼らは山靴を脱いだ訳では無いのだが、昔とは違う何か合理的というか組織にしても運営にしても山行そのものも法的責任の明確化とか、昔のような「想い」で登ることを忘れたかのように昔とは違う方向で山に向かうようになった。
目標もある者は8000メートル峰へ、ある者はセブンサミット(7大陸最高峰)へ、また静かな東北の山や沢への自分なりの山へと舵を切っている。
僕もそろそろ会の運営から離れ自分の山を大事に残り少ない岳人人生の充実を図る時が来ていると思う。
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山も空もすごく綺麗ですね。
いつか自分もこんな山に登ってみたいなと思いながら千葉の低い山をうろうろしてます。
写真もこんなに綺麗に撮れるようになりたいです。