中学時代の恩師が語る 八村塁の「何もできなかったバスケ初日」
7/26(月) 11:47配信・FRIDAY
「練習初日は本当に全く何もできませんでした。ドリブルもシュートも全然ダメで。あの子自身、周りのみんなと比べて自分ができていないことに気づいていて、涙目を浮かべて練習に参加していました」
NBA『ワシントン・ウィザーズ』でスタメンを勝ち取り、東京五輪では男子バスケットボール日本代表のエースとしてチームを牽引する八村塁(23)。今や日本バスケ界を代表する存在となった八村だが、意外にもそのバスケ歴は10年ほど。多くの代表選手が幼少期からプレーを始めているのに対し、中学に入ったときからだ。
富山市立奥田中学バスケット部コーチで、恩師の坂本譲二氏が当時の練習風景を振り返る。
「塁は最初、練習に来るのをとにかく嫌がってたんです。でも、バスケ部の仲間たちが彼をしつこく勧誘して練習にやって来た。嫌々来てたからバスケットシューズも持ってなくて、最初は外履きで練習に参加していました。それで『誰かバッシュを持ってないのか』って話になったんですが、あいつは中学1年生で足のサイズが30cm以上あった。誰もそのサイズを持っていなかったんですが、運良く29.5cmを持っている子がいたので、紐を外して塁に渡しました」
渋々のバスケデビューとなった八村だったが、練習初日の坂本氏の言葉ですぐにバスケの楽しさに目覚めたという。
「あの子は『やっぱり俺にはできないな』って表情を浮かべて練習を続けていたので、『八村君、ちょっと来なさい』と呼んで『お前、手が大きいな。ボールを掴めるんじゃないか』と声をかけた。すると、あの子は床からボールを掴み、ひょいっと簡単にすくいあげた。それで『お前すげぇな。NBA選手なみだ』と言ったんです。
その後ディフェンスの構えを教えると、あの子は手足が長かったから、構えた姿がNBA選手のように様になっていた。その時も『すげぇな、お前』って言って、他の部員たちを呼んで、『ディフェンスはこうやるんだ』と彼の構えを見せたんです。初日の練習はそんな感じでしたね。褒めたつもりはなかったんですが、あいつにしてみれば結果的に楽しい初日になったんじゃないですかね」
その後は朝から晩まで文字通りのバスケ漬けの日々を送っていった。
「あの子はとにかく素直。バスケ用語はすべて英語なので、練習中に私が言った言葉の意味が理解できないこともあったんでしょう。そういうときは必ず、『今、コーチは何て言った?』と仲間に耳打ちして頻繁に確認をしていました。周りの子が小学校からバスケをしているなか、あの子は中学からバスケを始めたという負い目があったから余計に学ぼうという姿勢が強かったんだと思います。
朝、体育館を開けると真っ先に来るのは塁でした。朝早く来るのはいいんですが、あいつは授業中に寝てるんですよ。だから一度、あいつに『お前、朝早く来るのはいいけど、授業中に寝てるって俺が先生に注意されるんだぞ』って言いました(笑) それでもあいつはニコニコ笑ってました。『今度寝るときは俺が目を書いてやる』って言うと、塁は『コーチ、何言ってるんですか』と笑う。
あの子はよく笑う、とにかく笑顔が良い生徒でした。放課後の練習では全体の学校掃除はサボって真っ先に体育館に来る。それで私が『お前サボってるじゃんか』と言うとあいつは、『(掃除をする)意味が分からない』って言うわけです。だから『あのな、NBA選手は体育館の調子でバスケットシューズを変えるらしいぞ。床は埃や湿度があったら滑るだろうし、床の調子を確かめる意味でもまずはモップ掛けをしてみ』って言ったら、それからは真っ先にボールを触るんじゃなくてモップ掛けから始めた。自分が納得できないことはやらない、でも理解すれば素直に受け入れる。そんな意志の強い部分もありました」
NBA『ワシントン・ウィザーズ』では203cmという身長と強靭なフィジカルを武器に、インサイドでの身体を張ったプレーも見せる八村だが、中学時代は決して恵まれた体格とは言えなかったという。
「塁は入学時170cmで、バスケ部の中ではそれほど高くなかった。線も細く、目立って体格が良かったわけではなかったです。そこで、徹底的に食べさせたのが鯖缶でした。蓋をカパッて開けて、そのまま食べれるもの。私が買ってきていつも練習場の冷蔵庫にも入れていました。大会の時もしょっちゅう持って行ってたね。
うちのバスケ部は鯖缶食べ放題。練習場にゴソッと置いて部員全員で好きなだけ食べていい。塁もしょっちゅう食べてた。色んな情報を見て、一番タンパク質とカルシウムを安く取り入れれるのが鯖缶だと思った。サプリメントのほうが良いっていうのもあったんだけど、やっぱり食感も大事らしくってね。それに、とにかく鯖缶は安いから(笑)」
ドリームチームを組むアメリカを筆頭に、東京五輪では世界の強豪に挑戦する日本代表。坂本氏は八村にこんな戦いを期待しているという。
「正直言って世界の壁はものすごく高い。勝つのは容易ではない。でも八村は一生懸命やると思います。あいつの必死に立ち向かう姿を見れば日本の皆さんがもっとバスケを好きになってくれると思っています。少しでも日本男子バスケ界を刺激するような試合になればいいなと祈っています」
中学でバスケの魅力に目覚めたその日から、八村は日々成長を続けてきた。原点にあるのは「バスケを楽しむ」という気持ちだ。東京五輪という大舞台でも、八村の溌剌としたプレーは日本を引っ張り、世界を驚かせてくれるだろう。
7/26(月) 11:47配信・FRIDAY
「練習初日は本当に全く何もできませんでした。ドリブルもシュートも全然ダメで。あの子自身、周りのみんなと比べて自分ができていないことに気づいていて、涙目を浮かべて練習に参加していました」
NBA『ワシントン・ウィザーズ』でスタメンを勝ち取り、東京五輪では男子バスケットボール日本代表のエースとしてチームを牽引する八村塁(23)。今や日本バスケ界を代表する存在となった八村だが、意外にもそのバスケ歴は10年ほど。多くの代表選手が幼少期からプレーを始めているのに対し、中学に入ったときからだ。
富山市立奥田中学バスケット部コーチで、恩師の坂本譲二氏が当時の練習風景を振り返る。
「塁は最初、練習に来るのをとにかく嫌がってたんです。でも、バスケ部の仲間たちが彼をしつこく勧誘して練習にやって来た。嫌々来てたからバスケットシューズも持ってなくて、最初は外履きで練習に参加していました。それで『誰かバッシュを持ってないのか』って話になったんですが、あいつは中学1年生で足のサイズが30cm以上あった。誰もそのサイズを持っていなかったんですが、運良く29.5cmを持っている子がいたので、紐を外して塁に渡しました」
渋々のバスケデビューとなった八村だったが、練習初日の坂本氏の言葉ですぐにバスケの楽しさに目覚めたという。
「あの子は『やっぱり俺にはできないな』って表情を浮かべて練習を続けていたので、『八村君、ちょっと来なさい』と呼んで『お前、手が大きいな。ボールを掴めるんじゃないか』と声をかけた。すると、あの子は床からボールを掴み、ひょいっと簡単にすくいあげた。それで『お前すげぇな。NBA選手なみだ』と言ったんです。
その後ディフェンスの構えを教えると、あの子は手足が長かったから、構えた姿がNBA選手のように様になっていた。その時も『すげぇな、お前』って言って、他の部員たちを呼んで、『ディフェンスはこうやるんだ』と彼の構えを見せたんです。初日の練習はそんな感じでしたね。褒めたつもりはなかったんですが、あいつにしてみれば結果的に楽しい初日になったんじゃないですかね」
その後は朝から晩まで文字通りのバスケ漬けの日々を送っていった。
「あの子はとにかく素直。バスケ用語はすべて英語なので、練習中に私が言った言葉の意味が理解できないこともあったんでしょう。そういうときは必ず、『今、コーチは何て言った?』と仲間に耳打ちして頻繁に確認をしていました。周りの子が小学校からバスケをしているなか、あの子は中学からバスケを始めたという負い目があったから余計に学ぼうという姿勢が強かったんだと思います。
朝、体育館を開けると真っ先に来るのは塁でした。朝早く来るのはいいんですが、あいつは授業中に寝てるんですよ。だから一度、あいつに『お前、朝早く来るのはいいけど、授業中に寝てるって俺が先生に注意されるんだぞ』って言いました(笑) それでもあいつはニコニコ笑ってました。『今度寝るときは俺が目を書いてやる』って言うと、塁は『コーチ、何言ってるんですか』と笑う。
あの子はよく笑う、とにかく笑顔が良い生徒でした。放課後の練習では全体の学校掃除はサボって真っ先に体育館に来る。それで私が『お前サボってるじゃんか』と言うとあいつは、『(掃除をする)意味が分からない』って言うわけです。だから『あのな、NBA選手は体育館の調子でバスケットシューズを変えるらしいぞ。床は埃や湿度があったら滑るだろうし、床の調子を確かめる意味でもまずはモップ掛けをしてみ』って言ったら、それからは真っ先にボールを触るんじゃなくてモップ掛けから始めた。自分が納得できないことはやらない、でも理解すれば素直に受け入れる。そんな意志の強い部分もありました」
NBA『ワシントン・ウィザーズ』では203cmという身長と強靭なフィジカルを武器に、インサイドでの身体を張ったプレーも見せる八村だが、中学時代は決して恵まれた体格とは言えなかったという。
「塁は入学時170cmで、バスケ部の中ではそれほど高くなかった。線も細く、目立って体格が良かったわけではなかったです。そこで、徹底的に食べさせたのが鯖缶でした。蓋をカパッて開けて、そのまま食べれるもの。私が買ってきていつも練習場の冷蔵庫にも入れていました。大会の時もしょっちゅう持って行ってたね。
うちのバスケ部は鯖缶食べ放題。練習場にゴソッと置いて部員全員で好きなだけ食べていい。塁もしょっちゅう食べてた。色んな情報を見て、一番タンパク質とカルシウムを安く取り入れれるのが鯖缶だと思った。サプリメントのほうが良いっていうのもあったんだけど、やっぱり食感も大事らしくってね。それに、とにかく鯖缶は安いから(笑)」
ドリームチームを組むアメリカを筆頭に、東京五輪では世界の強豪に挑戦する日本代表。坂本氏は八村にこんな戦いを期待しているという。
「正直言って世界の壁はものすごく高い。勝つのは容易ではない。でも八村は一生懸命やると思います。あいつの必死に立ち向かう姿を見れば日本の皆さんがもっとバスケを好きになってくれると思っています。少しでも日本男子バスケ界を刺激するような試合になればいいなと祈っています」
中学でバスケの魅力に目覚めたその日から、八村は日々成長を続けてきた。原点にあるのは「バスケを楽しむ」という気持ちだ。東京五輪という大舞台でも、八村の溌剌としたプレーは日本を引っ張り、世界を驚かせてくれるだろう。