中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

中華街開港道の「はいからさん」でデンキブラン

2006年02月18日 | 中華街の酒場
 1月頃から「桃源邨」のビルで、なんか工事をしていると思っていたら、それは桃源邨の改修などではなく、この建物の2,3階に新しい店を造っているのでした。できあがったのが「はいからさん」です。2月2日にオープンしました。
 店のコンセプトは大正ロマンでしょう。2階がオールドファッションのカフェ、3階は和風の古い趣きを取り入れた居酒屋です。今流行のメイド喫茶の大正時代バージョンと考えればいいかも。

 3階の居酒屋は、靴を脱いで入る方式をとっています。白とこげ茶のツートンカラーで統一された和風の店内、その中を、矢羽根模様の着物に紫のハカマを履いた女店員が動き回っていました。
 カウンターは8席程度。板の間にはテーブルが4つ置いてあり、16人ほどが座れるようになっています。BGMはもちろん懐メロです。壁に架かっている絵も大正ロマンを感じさせるモノで、座っているだけでも懐かしくなってきます。

 日本酒で目についたのは酔鯨。私の好きな銘柄です。焼酎はいろいろ取り揃えているようで、白波、一刻者、高千穂などが、また泡盛も各種ありました。
 そんな中からとりあえず頼んだのが、ホッピーです。焼酎をビールに似たホッピーで割る、チューハイの元祖みたいな酒で、昔は居酒屋でよく見かけたものです。チューハイが流行ってくると同時に、ホッピーは廃れていったのですが、最近は再び出回ってきたような感があります。
 でも、ここで呑むホッピーは、ちょっとお上品過ぎるのではないでしょうか。本来はもっと、場末感の漂う、庶民的でうらぶれた酒です。ここのは「はいから」なんでしょうか。
 
 続いて懐かしい酒がありました。デンキブランです。浅草・神谷バーが発祥のカクテルで、電気ブランデーを略してデンキブランと呼んでいます。




以下は神谷バーのホームページに書いてあるデンキブランの歴史です。参考までに書き留めておきます。

 神谷バーにデンキブランと名付けられたカクテルが登場して、およそ百年の歳月が流れています。
 その間デンキブランは、浅草の移り変わりを、世の中の移り変わりをじっと見てきました。ある時は店の片隅で、またある時は手のひらのなかで ― 。
 電気がめずらしい明治の頃、目新しいものというと”電気○○○”などと呼ばれ、舶来のハイカラ品と人々の関心を集めていました。さらにデンキブランはたいそう強いお酒で、当時はアルコール45度。
 それがまた電気とイメージがダブって、この名がぴったりだったのです。
 デンキブランのブランはカクテルのベースになっているブランデーのブラン。そのほかジン、ワインキュラソー、薬草などがブレンドされています。しかしその分量 だけは未だもって秘伝 になっています。
 あたたかみのある琥珀色、ほんのりとした甘味が当時からたいへんな人気でした。ちなみに現在のデンキブランはアルコール30度、電氣ブラン<オールド>は40度です。
 大正時代は、浅草六区(ロック)で活動写真を見終わるとその興奮を胸に一杯十銭のデンキブランを一杯、二杯。それが庶民にとっては最高の楽しみでした。もちろん、今も神谷バーは下町の社交場。
 仕事帰りの人々が三々五々、なかには若い女性グループも、小さなグラス片手に笑い、喋り、一日の終わりを心ゆくまで楽しんでいます。時の流れを越えた、じつになごやかな光景です。
 明治・大正・昭和・平成、時代は移っても人の心に生きつづけるデンキブラン。デンキブランは下町の人生模様そのものです。一口、また一口とグラスを傾けると、時がさかさに動いて、見知らぬ 時の見知らぬ人に逢えそうな、そんな気がしてくるのです。神谷バー オフィシャルページはこちら

横浜中華街ランチ探偵団のホームページ「ハマる横浜中華街」へ


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