先月のことだが、妻から無料宿泊券をもらって、箱根宮ノ下にある「富士屋ホテル」に行ってきた。 このことについては、後日、時間に余裕ができたら書くつもりであるが、今日は、その旅の途中で見かけたものをご紹介しておこうと思う。 冒頭の写真は小田原駅前で見かけたもの。 「ういろう駅前調剤薬局」なんていう妙な看板。「ういろう」という苗字の薬局なのだろうか。 しかし、店頭はどうみても薬局とは思えない姿である。 よくよく見ると、「お菓子のういろう」とか「和菓子のういろう」との看板も出ていた。 薬局が「ういろう」を売っているんだろうか。 でも、それにしては、薬局の文字より「ういろう」の文字の方が大きいぞ。 和菓子屋が薬局をやっているのか…… そして、なぜ小田原で「ういろう」なのか…… 「ういろう」といえば名古屋の名物だ。とくに青柳総本家がよく知られており、私は昔から名古屋に行ったらこれを買っていた。 ういろう=名古屋の青柳。そんな図式が頭の中に刷り込まれているので、小田原で「ういろう」を見て「?」と思ったのだが…… あとで調べてみたら、こんなことが分かった。 食べログに掲載されている「ういろう駅前調剤薬局」 さて、この不思議な店を眺めてから駅の方へ向かうと…… 駅前の路上で寝ている人がいた。全財産の入ったバッグを枕にしている。 この人を30分ほど見ていたのだが、50代と思しき女性だった。 当然のことだが、小田原にもいるんだね。 ま、小田原は比較的暖かいところだから過ごしやすいのかもしれないが、私が見た最北の路上生活者は北海道・札幌にいた。それも冬に。 もちろん寒いから正確には屋外の路上ではなく暖かい地下街だったけどね。 逆にいちばん南で生活している人は、沖縄の西表島で発見した。 20年近く前のことだが、島を縦断するため「浦内川下流船着場」を始発の船で出発した。この始発というのが肝心だよ。 「上流船着場」で誰よりも先に下船し、軍艦岩を経由してマリュードの滝、カンビレーの滝に着くと、長髪・髭ボウボウ・黒いごみ袋に生活道具一式…という男が川辺に座っていた。見るからにホームレスといった風体。 我々が乗ってきた船にはいなかった人間だ。まさか反対側から横断してきたとも思えない。このあたりに住み着いているような感じだった。 南の島は食べ物が豊富にありそうだから、こういう生活も可能だったのかもしれない。 ときどき、「あの人はどうしているんだろう」と思うことがある。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
次回 呑む時にお話しても良いでしょうか?(笑
この店は、昔、薬の外郎を売ってたとか。
「外郎売」って、お菓子じゃなくて薬を
売ってたのですよね。
その薬があまりにも苦いため、甘いお菓子も作るようになったらしく、それが名古屋で真似されたそうです。
おもしろそうですね。
ぜひ、講演をお聴きしたいものです。
キュウリを使った料理を食べながらね。
外郎(ういろう)はもともと薬ですね。
だから外郎売りは薬売りです。
この店は薬屋さんが本業なのでしょう。
その後、ういろうを売るようになったのかな。
飛鳥田一雄(元横浜市長)が書いた『素人談議 三人ジェラール』の中に、
≪ういろう事始≫という一項があります。
そこに、
小田原名産ういろうの発案者は陳宗敬が発案したなんて書いてありますが、
どうなんでしょうかね。
長い口上なんですね。
そので語られているのは、
小田原の「ういろう薬局」の元祖のようですね。
駅前に女性ホームレスさんがいたのを思い出し、検索したらこちらのブログにたどり着きました。
50代でしたが、若い頃は美人だったんだろうな~という顔立ちでした。髪の毛もロングヘアでした。笑顔で何やらつぶやいていました。
しかし足を見ると、年季の入った黒い足でした。裸足で歩いているのでしょうか。であれば心神に問題ありかも知れません。
このブログの日付を見ると2年前ですが、その間、食事はどうしていたのでしょう。
心配するとともに、少なくとも2年間以上は自由の身とは、何故かある種の羨ましさも感じました。
(不適切であれば削除ください)
まだ小田原駅前にいるんですね。
真冬も裸足で過ごしていたのかぁ…
すごいなぁ。
久々に中華街の徳川さんを思い出しました。
https://blog.goo.ne.jp/chuka-champ/e/6a07fc334a48b5d4980371a1379cf87a