![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/81/fbfec0acefe4253a14db77e9e8d742ca.jpg)
先月の中旬だったかな、久しぶりに本町通りを山下町から桜木町まで歩いてみた。 6丁目の市役所新庁舎建設予定地に来ると、今まで空き地だったところが白いフェンスでグルリと囲まれていることに気がついた。 前回、この辺を歩いたときからずいぶん時間が経っているので、その間に建てられたようだ。 いよいよ建設工事が始まったのかと思いフェンスを眺めていくと、冒頭の写真にあるような看板が目に飛び込んできた。 埋蔵文化財発掘調査のための工事だという。 そうだった。 今年の5月頃だったか、うちの若い衆から「市役所建設予定地から煉瓦の遺構が出土した」というメールが来たのを思い出した。 工事現場を何とかして覗きたいと思ったのだが、ガードが固くて丁度いい隙間がない。 で、仕方なくフェンスの網目部分から撮影することに…… ![]() ![]() ![]() ![]() う~ん、まどろっこしいなぁ。 全貌が見えない… 近くの高層ビルの上に登れば全体が見えるのだろうけどな。 それはともかく、ここで現場の位置を再確認しておこうかね。 ![]() 弁天橋と横浜アイランドタワーの間に位置する一画だ。 ちなみに、弁天橋というのは、砂嘴の先端にあった洲干弁天に由来する。 新しくできた横浜アイランドタワーも、もしかしたら洲干島(宗閑島)にちなんで命名されたのかな。 ![]() さて、こちらは昭和7年の地図である。 工事エリアにあったものは「貿易新報社」と「灯台局」だ。 もっと古い地図、たとえば開港当時のものを見ると、この辺には和蘭コンシュルとかドイツコンシュルなどと書かれているので、若い衆から連絡を受けたときはその遺構ではないかと思ったのだが、よくよく比較してみるとどうも位置が合わない。 これはやはり「貿易新報社」と「灯台局」の物件らしい。 ![]() これは横浜市のホームページで公開されている建設予定地と発掘現場の地図だ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ■横浜貿易新報 現在の「神奈川新聞社」の旧社名。「神奈川新聞」は明治23年に「横浜貿易新聞」として創刊されてから、「横浜新報」、「貿易新報」、「横浜貿易新報」、「神奈川県新聞」と様々な名称を経て現在に至っている。 ■灯台局 明治元年(1868)に洲干弁天の近くに灯台掛の木工所が建設された。同2年に灯台局が生まれているが、正式には灯明台役所といった。 さて、文化財発掘現場を覗いたあとは、ちかくにある「味奈登庵」でランチを食べていこうか。 ![]() いろいろお手軽な蕎麦屋があるけれど、私はここの蕎麦がいちばん好きだなぁ。 この日はもり蕎麦+南瓜の天ぷら。 今後、工事現場から何が発掘されるのか思いを巡らしながら美味しく啜ることができた。 ≪参考≫ 北仲通の水際線を巡る ![]() |
それにしても、この写真で拝見する限り、けっこう
大きなレンガ遺構。
そういう形で保存するのでしょう。
このままじゃ保存できませんから、
KAATみたいに建物の横に展示するんでしょうかね。
洲干島時代のものはもっと深いところにあると思います。
レンガ遺構の下かなぁ…