中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

料理店ではなかった「清華亭」

2016年05月12日 | 食道楽紀行(日本国内編)

 義父を訪ねて旭川へ飛び、その後、札幌に移動して親戚一家と会食した翌日のこと。

 以前から気になっていた「清華亭」に向かった。3月中旬だったからまだ雪がだいぶ残っていた。


 清華亭というのは、この地域が偕楽園という公園であった明治13年に、貴賓の接待所として開拓使工業局設計によって建てられている。
 翌14年には、明治天皇が北海道行幸された際に、ここで休憩をしたそうだ。

 案内板には「偕楽園は明治4年に札幌初の公園として開設されました」と書いてある。
 ということは、明治3年に造られた横浜の山手公園に次いで古いのかもしれないね。

 偕楽園ではドイツ系アメリカ人、ルイス・ベーマー(ボーマー)が園芸の指導にあたり、園内には数百種類の植物が栽培され、ここは北海道の産業振興の目的を持った農業試験場でもあった。

 その後、名前を育種場と改め、博物場、温室、工業試験場、鮭・鱒の孵化場も設けられた。
 開拓使の時代が終わる明治15年以降、各施設が移転され、偕楽園はその機能を失い、清華亭も民間人の所有となり忘れ去られた。

 以上のような内容が案内板に書かれている。

 ところで、このベーマー(ボーマー)という人物、横浜と深いかかわりがあるのだ。


 明治15年(1882)、彼は開拓使の廃止にともない横浜のブラフ28番に転居し、ここで輸出入園芸業のベーマー商会を設立している。
 温室で栽培した日本産植物の輸出と西洋花卉の輸入を行うと同時に、鈴木卯兵衛を番頭に雇い、百合根貿易に力を注いだ。
 のちに鈴木卯兵衛は会社を起こすのだが、それが横浜植木株式会社になるのだ。


 いい感じの門♪


 明治天皇来札御小休止所の記念碑。


 シベリアあたりの建物を思い起こさせるね。
 札幌のマーク、★がある。。。


 玄関から入ったところ。


 偕楽園の模型。赤丸が清華亭である。


 和洋折衷の建物内部。磯子の柳下邸と似た部分もある。
 そういえば磯子には偕楽園もあったなぁ。。。関係ないけど。


 出窓。


 天井中心飾り。


 有島武郎の父親は横浜税関長だったので、一時、横濱に住んでいたんだよね。 


 へえ~、いろいろな人がここを利用していたんだ。
 そして今年3月、あの酔華も訪問し、その痕跡を残していった。

(つづく)
 

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2 コメント

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Unknown (いその爺)
2016-05-12 11:36:54
今朝もプリンス坂を下り通勤しました。
ここを通ると磯子偕楽園の話をよく思い出します。

昨日は中村町→天神橋→岡村天神→旧磯子プリンスと仕事帰りに歩き、天神参詣道がなんとなく実感できましたが途中埼玉屋さんに思わず吸い込まれそうになりましたよ~(笑
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Unknown (管理人)
2016-05-12 22:30:32
>いその爺さん
あの坂はプリンスホテルができてから、
プリンスの坂なんて呼ばれるようになったのでしょうけど、
それ以前は何て名称だったのか気になっています。

中村橋周辺、いいとこですね。
最近、よく行くようになりました。
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