中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

具入りケチャッピーでスパゲッティ・ナポリタン

2009年05月24日 | 美味しい情報(横浜以外)

 近くのスーパーで、こんなもんを発見した。
 
 日清の「具入りケチャッピー ナポリタン」。


 袋を開けると、チューブ入りのケチャップが。でも、これはただのケチャップではない。
 完熟トマト・ベーコン・玉ねぎ・にんじん・ピーマンが入っているので、好きな時に好きな分だけ、ゆでたてスパゲティと合わせればその場でナポリタンが完成する。
 弁当のミニオムレツやミニハンバーグに添えてもいい。もちろんコロッケにも合う。いろいろなところに応用の利く優れものだ。


 今回は別に炒めたピーマンや玉ネギなどを加えてみた。
 盛り付け方が汚いけれど、十分美味しいスパゲッティ・ナポリタンができた。
 

 この美味しいナポリタンを食べながら、石毛直道の『文化麺類学ことはじめ』を読んでいたら、イタリアの「スパゲッティ博物館」や「ナポリタン」の話が出ていたので、ここで少しご紹介しておこうと思う。

 「スパゲッティ博物館」というのは、世界的に知られたスパゲッティ・メーカーの「アネージ社」が建てたもので、サンレモ近くのインペリア市という町にある。
 同社の歴史は古く、ナポレオン一世の妹の侍従をしていた人が宮廷勤めを辞めてパスタ作りに乗り出したのが始まりだというからスゴイ。

 石毛氏は、その博物館の資料や学者などの話から、スパゲッティとナポリについて以下のようにまとめている。

 日本蕎麦を作る場合、薄く延ばした板状の生地を折りたたんで包丁で切るのだが、このような方式を“切り麺”という。
 一方、スパゲッティは、下部にたくさんの穴が開いた箱に生地を詰め、そこに圧力を食えて穴から線状の麺を押し出して作る“押し出し麺”である。

 この押し出し機を使ったパスタの本格的な生産は、17世紀のナポリで始まった。
 初期の頃は手作業で少しずつ生地を入れて押し出していたのだが、1939年に「アネージ社」が、粉と水を補給するだけで、あとは機械が連続的に圧搾する装置を開発。これは部品を取り替えるだけでさまざまな形状のパスタを作ることができる。

 この大量生産を可能にした技術革新がナポリで成立したことと、この土地が乾燥パスタの製造に有利であったことが、ナポリがパスタ生産の中心地になった理由とされる。 
 晴天の日が多く、ヴェスヴィオ火山から吹き降ろす風と、海側からの風が交互に吹き抜けるナポリは、パスタの乾燥にもってこいの場所であった。
 また、ナポリ周辺は硬質コムギの産地でもある。

 石毛氏はトマトについても言及している。
 南米を原産地とするトマトが新大陸産からナポリにもたらされたのは16世紀。その頃の多くのイタリア人は、トマトには毒があると思って食べずに鑑賞していたようだが、ナポリ周辺の人々だけはそれを食べていたようである。
 ちなみに、現在、イタリアのトマトの大部分を占めるサンマルツァーノ種はナポリ付近で成立した品種とのこと。

 初期のトマトはサクランボを少し大きくしたようなサイズだったというから、おそらく実だけを食べていたのだろう。今で言うミニトマトみたいなものか。
 その後、品種改良がなされて、17~18世紀にナポリでトマトソースがスパゲッティに用いられるようになったという。
 そして、このトマトソースを使用した料理法がフランスに伝わると、そのような料理が「ナポリタン」と呼ばれるようになった。


 イタリアにおいて、パスタ製造の動力源として蒸気機関を使用し機械化が進行するのは、19世紀後半。その最初の地は、やはりナポリだった。
 しかし、近代産業化した商品となっても、スパゲッティの需要は主に南イタリアに限られていた。イタリア全土でスパゲッティが食べられるようになったのは、第2次世界大戦後のことだという。

 スパゲッティの普及ということから見ると、イタリアよりもむしろアメリカの方が早くから馴染みがあった。
 それは1890年代から20世紀初頭にかけて始まったイタリア移民の影響による。彼らの出身地の大半がナポリの南、カンパーニア地方とシチリア島だったからだ。いずれもパスタの本場である。

 これらの人々の需要に応えて乾燥パスタ、トマトソース、オリーブオイルがアメリカに送られ、移民たちの腹を満たしていたのだが、そのうちアメリカ人もイタリア料理店に出入りするようになり、スパゲッティを食べるようになった。

 しかし、アメリカのイタリア移民たちが現地生産を始めたスパゲッティは、本場の硬質コムギを使用したものではなく、普通のコムギを原料とした軟質のものだった。そのため多くのアメリカ人はその歯ざわりに慣れてしまったらしい。

 ということで、第2次世界大戦前のアメリカでは、ヨーロッパに先駆けてイタリアのスパゲッティが市民権を得ていたのである。
 

 と、まあ、石毛氏がスパゲッティ・ナポリタンに関連して書いている部分はここまでである。
 戦後のアメリカと日本におけるスパゲッティについて続編を期待したいところだが、今のところそれは出ていないようだ。





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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
すぎちゃん (Unknown)
2009-05-24 11:40:55
ナポリタンについては、ゆっくりではありますが、着々と準備中です。
ぜひご一緒に何かやりましょう!
(まずは150周年の嵐が過ぎてからだと思いますが・・・笑)

例のイベントのためにニューグランドを取材しています。
3月の記事ですが。
http://www.hamakei.com/column/186/
このとき動画も撮影していますので、いづれ御覧いただける環境が出来ると思います。
返信する
ナポリ (管理人)
2009-05-25 05:57:23
◇すぎちゃん
ナポリからイタリア人を呼んでください。
ナポリ月間なんかも作ったりして。
返信する

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