横浜市における区別の明細地図が発行されたのは昭和31年です。そのときの地図が横浜市中央図書館に残っています。その中から中区山下町の部分をコピーしてきました。(新型コロナの問題が発生する遥か前に) 冒頭の地図は中華街の市場通りを拡大したものです。その当時、商店街にはどんなお店が並んでいたのか、眺めてみましょう。 まず、大通りとの交差点角にある「源豊行」から入っていくと、隣にあったのが「鳥鎌商店」、肉屋さんでした。ワニ肉とかダチョウ肉を売っている貴重なお店♪ そういえば「獅門酒楼」のランチでワニ肉が出ていたこともありましたが、あの肉はこちらから仕入れていたのでしょうかねぇ。 さて、そんな「鳥鎌商店」から先は鮮魚「丸兼」、青果「ミナト商会」と生鮮三品のお店が並んでいました。その次は「西山化粧品店」。そして再び「金華魚店」、店名が不明ながら「八百屋」、「鮮魚」、「鮮魚」と、まさに「市場状態」だったのです。 そんな合間に「二葉図書社」、「花王美容院」があり、そして前の記事に書いた寿司「清川」が現れます。イサさんのコメントにあった住み込み店員のための宿舎というのが、店の裏に描かれているようです。 「清川」の隣が中華雑貨・菓子の「三和」、そして雑貨「温州楼」、カメラ「サクラ商会」、なに屋さんか読めませんが「安藤商店」、「小島食器」と続いていました。 さらに歩を進めると、「光華公司」、食品「上堀商店」、鮮魚「武一」、果実「押谷商店」、牛肉の「藤屋商店」、「青柳商店」と並び、そこで関帝廟通りと交差します。 「上堀商店」と「押谷商店」は、わりと遅くまで残っていて、ときどき買い物をしていたことを思い出します。 ここでもう一度大通りに戻って、角の「同發」から市場通り右側の商店を眺めていきます。「同發」の隣は「発三屋パン店」とあります。驚きですね! あの「發三電機商会」の前身がパン屋さんだっとは…! 發三電機商会が閉店したのは13年前でした。その時の記事がコチラ。ご主人の話から考えると、パン屋さんは昭和32,33年頃まであったようです。 さて、發三の隣は「浜新ハキモノ店」、そして現在も営業している「新合隆」、「武田屋本店」(あの肉屋さんの本店はここだったのか)、「同順利薬局」、果物の「池川商店」、「合利ラジオ公司」、「末広印刷紙材社」、現在も営業中の「翠香園」と続いています。 その隣は、「東條惣菜店」。どんなおかずを売っていたんでしょうかね。中華だけではなく和食の惣菜なんかもあったのかもしれません。 そして川魚の「鯉屋」はあの「鯉鰻(りーまん)」、のちの「鯉鰻菜館」でしょう。 乾物「関本商店」。これも懐かしいです。最後はタバコ屋になって閉店したと記憶しています。その隣にあったのが「愛知屋畠山商店」。酒屋さんです。「温州亭」というのは中華料理店でしょうかね。向かい側の「温州楼」と関係があるようです。 極細路地を越えて果実「菊池商店」があり、その隣が喫茶「栄屋」。これはのちの「麺坊栄屋」なのかな。 さらに「中島食料品店」、食品「成木屋本店」、食品「京田商店」と続き、最後が「山下薬局」でした。 こうして眺めてみると、まさに市場通りという名にふさわしい商店街でした。 市場通りの牌楼を飾る“食べ物”たち♪ 豚が見えないけど、肉になっているのかな……。 最後に、ゼンリンの歴史を同社のホームページからご覧になってみてください。 ゼンリン=善隣だったんですね。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
横浜中華街の中で、この通りが一番好きでした。
いろいろなお店があって楽しかった…
日本そばもよく食べに行きました。
二日酔いの薬もよく買いました。
ランチのあとは、よく中華菓子も買っていました。
懐かしいです。
懐かしい地図ありがとうございました。市場通りでお店をやってます。この通りは子供の頃は地図にあるような活気がある商店街でした。魚屋、青果店、乾物家、薬屋さん団子屋さん揚げ物屋さん中華料理にちなんだ店は、鯉家さん海老家さん食器屋さんなどのお店が軒を連ねていました。今も、残っている昔ながらの店は、手嶋食料品店、さかもと食料品店、そして成木屋(現在の職種は雑貨店です)
いつの間にかこの通りも中華料理屋さんばかりになってしまい 時代とともに様変わりしてしまいました。
この当時の地図調査員は目視でデータを手書き。
だから誤字も多かったです。
しかし、中華街はそれに加えて移転というのがあり、
なかなか複雑です。
均元ベーカリー、小麦粉を使っていますから、
中華との関係は大いにありそうです。
均元樓も老舗でしたね。
表の配色の鮮やかさと中の重厚感が好きでした。
状元樓は改めて写真を確認すると建物に1955と刻まれていましたね。
地図が31年度のものだけ均元ベーカリーなら実は状元樓の前身がベーカリーで誤植かなと思いますが34年度の地図にも掲載されているのですね。
酔華さんの記事からも中華街の移転は稀ではありませんし状元樓は別からの移転なのでしょうね。
均元ベーカリー何者(笑)
間違えている人が多かったです。
最近は状元楼と状元郷とを間違えているケースも。
この地図は昭和31年のものですが、大通りには最近まであった場所に均元楼がすでに書かれています。
均元ベーカリーは昭和34年(1959)の地図にも載っています。昭和37年の地図では状元楼に変わっています。
状元楼のHPでは1955年(昭和30年創業)となっているので、不思議です。
よく分かりません。
中華街大通りのお写真は開港資料館で目にすることがありますが市場通りがまさに市場であった時代の写真も見てみたいですね。
ところでSNSで状元樓と均元樓を勘違いされている方を見かけ気になったのですが、31年の地図の均元ベーカリーは均元樓の前身でしょうか?
ただ場所は現在の状元樓なので元々は親族や暖簾分けされたのか気になりました。
昔の中華街はよかったです。
いろんなお店があって。。。
地図は楽しいです。
むかしの新聞記事も!
中華料理店や関連のお店ばかりになってしまいました。
むかしはいろいろな店があったことが分かります。
ここに住む方々の生活の場だった。。。
中山路はハッピーアベニューとか言われて、
バーが並んでいたそうですが、
香港路もこんなバー街だったようです。
現在の風景は、、、
https://www.google.co.jp/maps/@35.4427316,139.6457722,3a,75y,170.43h,86.54t/data=!3m6!1e1!3m4!1s7lu8UCeFdZYwZnYtH3phPQ!2e0!7i13312!8i6656?hl=ja
お姉さんこれ安いよ。持っててと言う八百屋さん、
お魚屋が!同級生の実家が有りましたが、皆、中華屋さんに成りましたね。
こう観ると外人バーが何処の通りにも有りましたね....
酔華さん何時も地図を有難う御座います。
意識してそのあたりを歩いてみたいです。