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横浜に住んでいる外国人に日本料理を教える機会があった。それは私の所属するボランティアグループが主催したもので、自分は材料買い出しの役目を仰せつかった。先生から渡された食材リストを見ると、聞いたこともない外国種の豆や缶詰と並んで「百合根」というのが書かれていた。久しぶりに出逢う懐かしい名前だった。昔はよく食卓に並んだものであるが、この数十年間はほとんど見たこともない。 さて、これを買いに行く段になって、「一体どこで売っているのだろうか」と疑問がわいてきた。植木屋なのか、デパートなのか、それともエスニック食材店なのだろうか。近隣の八百屋、スーパーなどで聞いて回ったが、どこも「ない」というつれない返事。結局、最後に見つけたのは中華街の青物店だった。それも店頭には置いてなく、オジサンが奥の方から出してきたのである。 買うのにこんなに苦労した「百合根」。これが、かつては横浜のブランド品、特産物だったことがある。最盛期には百合根の輸出で大儲けした「百合大尽」なんていう人たち生まれたくらいだ。 もともと横浜の野山には山百合が咲いていて、その美しさに惚れたシーボルトが文政13年、オランダに百合根を持ち帰り、のちに花を咲かせたところから横浜の百合根の話は始まる。 シーボルトの一件を知った居留地の外国商人は、百合根の輸出を始めたようだが、地元の人たちに山掘りさせたため、野生種は激減してしまった。その結果、百合の人工栽培が始まり、それが本格的になってきたのは明治20年代からである。笹下、日下、磯子、屏風ケ浦などが主な栽培地であった。 百合根の輸出が発展をとげたのは、花の美しさゆえだったであろうが、もう一つには開港後一気に広まったキリスト教の影響も見逃せない。というのも復活祭で飾られるのが鉄砲百合(別名イースターリリー)なのである。そんなこともあって海外での需要が急増したようだ。 さて順調に伸びてきた百合根栽培だが、大正7年にその輸出が大幅ダウンする。第一次世界大戦の影響で、英米向けの輸出が禁止されてしまったからだ。しかし、翌年には早くも解禁。このとき、前年の根を処分せず保存していた人たちが大儲けした。そんな彼らは百合大尽と呼ばれた。 輸出の全盛期は大正時代後半から昭和13年頃にかけてであった。その頃、保土ヶ谷に住む内田氏は、赤鹿の子百合の中からウイルスに強く花色が優美な品種を作りだした。これがのちに「内田鹿の子百合」として世界的に有名な百合になるのだ。が、この時点ではまだその名も付いていない。 やがて戦争が始まると統制策が百合根にもおよび、生産量は大幅に減少していく。昭和16年には、それまでの100分の1になったという記録もある。 食糧増産のため栽培の主流は花から芋などに移っていったが、内田氏は畑の隅でこの百合を栽培し続けていった。そのため戦後も絶えることなく生産することができ、昭和30年代には世界的にその名が広まり輸出量も増加した。 しかし、昭和40年代に起こったニクソンショックや、円の変動相場制実施などが、百合根の輸出にブレーキをかけることになる。付加価値の少ない一次産品にとって、それは大打撃だったのである。以後、年とともに減少し昭和60年代には消えていった。 ![]() 中華街で百合根を買った帰り、日本大通りにある情報文化センター(旧商工奨励館)に寄ったら、正面の柱に百合のデザインが彫られているのを見つけた。 ![]() 西門通りに面した集合住宅の1階、元ガレージだったところに、何年か前にオープンした「天龍菜館」。看板には広東家郷料理とある。 厨房は2階だ。おじさんが一人でやっているので、料理を注文すると上にあがってしまい、店内は客だけとなってしまう。 ![]() ここのおすすめのひとつは、鶏の煮込み。先日訪れたときには百合の花と鶏肉の煮込みが出てきた。ドブ泥のような色合いだが、食べてビックリ。中国の田舎を感じさせる料理で、非常にうまかった。 ただ、この店の難点はトイレがないことだ。用を足すときは山下町公共駐車場まで行かねばならない。急ぎの場合は、港商業高校の植え込みに…というのはダメだよ。 写真は百合のつぼみ。金針菜という。塩炒めにして食べると美味しい。 ![]() |
いつもありがとう!
例のクリーニング店のユニホームは盗まれるから目立たないところに干してるんじゃないかな?
私も分からんが看板を出せば宣伝効果になるからでないでしょうか?
それと百合根の野菜は多分
「金針菜」(きんしんさい)で中華街には
市場通りのいけがわ(八百屋)で
見たことあります!
私は黒豆牛肉やきそばが好きで、よく行ってました。
太くて歯ごたえのある麺とトウチのきいた味がたまらなく美味しかったです。
早速伺わないと。
厨房、3階じゃなかったでしたっけ?