1.要はギャン泣きする赤ん坊と何も代わりはない。
どうやら、心の成熟していない人は、人を意のままに操りたいらしい。
赤ん坊の場合は、笑顔とギャン泣きであるが、大人になると、やっていることは赤ん坊と同じなのだが、少々手が込んでくるものらしい。
大人の場合、自分が他人を意のままに操りたいという欲望を抑圧して、それを意識の外に追いやる。
だからある意味、大人の方がたちが悪いといえば、たちが悪い。
要は彼や彼女は、人を自分の意のままに操りたいのだ。
そのためにある人は、人間関係の縁切りを持ち出して相手を意のままに操ろうと脅かしてくるし、またある人は表だって反抗できない「正論」を持ち出して、人に絡んでくる。
私はお人好しのせいか、そういう人間関係に縁がある。
ははは、類は友を呼ぶというから、私自身人を思うがままに操りたい願望があるのかもしれないね。
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2.ユーザーとカモの関係。
加藤諦三氏自身がそうした人間関係に苦しんできたのであろう。世の中にはユーザーとカモの関係がある。
私にいわせれば、これも一種の共依存なのだろう。ユーザーはカモを利用することでなにがしかの利益を得、カモはユーザーに好餌を提供することによって、孤立から自分を守る。
ただ、ユーザーにしても、カモにしても、目覚めた意識の上では、そんな人間関係を清算したいと思っているのだが、人間関係にも慣性の法則は働く。
そんな人間関係でも、あるだけましなのであろう。
どんな生き物も、一人では生きていけないのであるから。
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3.心因性の統合失調症。
大蔵省の予算原案。
あれは一カ所を動かすと、すべての予算案がぶちこわしになる。
だから頭がよい大蔵官僚は、復活折衝などで、自分たちの予算案がぶちこわしになることを計算にいれ、予算案を組んでいる。
キーさんもそうだ。
キーさんは家族病理、いや、集団の力学が、彼や彼女たちがメンタルをやむことを要求している。
彼らを治すためには、家族病理や集団の力学に手をつけねばならない。
まさに大の虫を生かすために、小の虫がメンタルをやんでいるのである。
もっともこれは、心因性の統合失調症のことであるが。
ここで余談であるが、ハリースタックサリヴァンは、八割の統合失調症を治癒に持ち込んだという。
治らなかった残り二割は、NMDA脳炎や異常性格らしいとされている。
話は飛ぶが、家族にしても、集団にしても、患者がやむことで均衡を得ている。
そして患者自身も自分がメンタルの患者であることを前提に入れて、人生設計をしている。
これは余談であるが、元キーさんを喜んで雇う会社は、国からの補助金目当ての企業以外、考えられない。
面白いことに、キーさんにも序列がある。
躁鬱病の人たちには、メンクリもリワークトレーニングを施す。
もちろん、国や自治体の職安もそうだ。
だが、統合失調症患者はリワークトーレニングから黙示的に排除される。
それが実情だ。
それに無理に企業で働いたとしても、ほかの社員からの軽蔑と拒絶が待っている。
何回も書いているように、知的障害者や身体障害者に対する福祉は手厚いが、精神障害者は、二年にいっぺん、「不治の病」とされている病の診断書を医者に書いてもらって、雀の涙ほどのサービスを受けるだけだ。
だったら、無理に「治す」必要もあるまい。
どうせ「治るとされていない」病なのだから。