労働。
外界に対して働きかけ、その果実を得る活動。
と、Икэмотоは定義する。
これを抽象化すれば、ある主体者が外界に対して何らかの意志を行使し、その結果を得ることが抽象化された労働だと言って良い。
ある人たちは、外界に対する意志を行使するのではなく、むしろ逆に、外界からの意志の行使を望む。
言い換えれば、ある人が井戸を掘るのではなく、雨を待っているようなもので、灌漑経済以前の略奪経済の考え方なのだ。
かつてИкэмотоは、「なり、出てけ。」の法則なるおかしな法則を信じていた。
私が外界に対して意志の行使をなそうとすると、所属集団から追い出されるという、ある種の誤った考えだ。
さらに私はまるで胎児や乳飲み子のように、自分の希望を、外界が叶えてくれると思ってたのだ。
さらに私は意志の自由を行使せず、唯一の意志の行使はノーだった。
ニコニコとギャン泣き。
要約するとそんな感情行使だ。
ニコニコとギャン泣き。そして唯一の意志の行使はノー。
頭(知性)を使わなくて済む、生き方だ。
そして外界に対して怨念を抱いたとすれば、おおよそ私のやっていることは、逆恨み以外の何物でもない。
こんなことをしていれば、周りから相手にされなくなるのもあたり前だ。
読者の皆さんは、こんな愚かな精神生活は送ってはダメですよ。
そんなわけです。