もし高僧がいて、我即無始無終の時間という三昧に入り、我即三千世間の三昧に入ったとする。
その三昧が決定(成就すること)した時、その高僧は始まりと終わりのない時間の中で、全宇宙と結合したことになる。
その場合、すべての時間と宇宙の中に存在する一切衆生(すべてのいきもの)は、彼の己心の衆生(心の中の存在)となるわけだ。
その状態で、彼が己心の衆生に記別(成仏の予言)を授けたとしよう。
そうすれば一切衆生は彼の記別通りの劫(時間)と仏国土(土地)で、仏として説法(教えを説くこと)を始めるわけである。
こんなことは誰でも思いつくことであるから、遠い昔に誰かが思いついてやっていることだろう。
そしたら私はここにいながらすでに成仏しているわけであるから、迷っているだの悟っているだの周りにガタガタ言われる筋合いは一切ないわけである。
たった今、そんなことを思いついたので、記念として書いておく。
以上である。