セックスと暴力の管理。
これさえしっかりしていれば、国は治められる。
セックスと暴力の管理がうまくいかなかった国は、腐敗して他国に侵略されるか、野心家が国を乗っ取る。
いかに万物の霊長とうそぶいたところで、人間も動物の一種である。
暴力行使能力に基づいて、縄張りとセックスパートナの公平な分配が行われる。
これはικμτがいじめに苦しんでいた時、教師たちの本音を知るために、小遣いで買った、中学教育技術や高校教育技術という、教師向けの雑誌に書いてあった。(これらの雑誌、まだあるのかなあ?)
結局、新自由主義だの格差社会だのとうそぶいてみたところで、人間がサルの群れのような社会を作り上げるに過ぎない。
封建社会から民主社会に体制は変わったが、結局は暴力行使能力による金銭(抽象化された縄張り)の分配と、それに群がるセックスパートナー志願者の多寡を競うカースト社会であることに変わりはない。
結局は船がどんなに傾こうが、復元力がある限り元に戻るのだ。
いかに体制の名前が猫の目のようにくるくると変わろうとも。
そう達観していしまえば、我利我欲に執着して、人間の改革や社会の改革などとうそぶいて、その実現に狂奔したところで意味のないことがよくわかる。
そんなもののオルガナイザになったところで、公安にはマークされるは、職場はパージされるはで、いいことは何もない。
こんなことは、まともな大人の言うことを聞いていれば学べることなのだが。
そんなわけである。
以上、管内一方面にて休日出勤中のικμτ。