二月の十日あたりから、母親の具合が悪くなり、十六日に大病院に救急搬送した。
それから約二月。
やっと退院の目星がついた。
さて、母親の闘病や周りの人たちの我が家に対するフォローを見ているうちに、もし母親の生きようとする意志や力がなかったら、もう泉下の人になっていたかもしれないし、周りの人たちのフォローがなかったら、我々親子は家を追われて路頭に迷っていたかもしれない。
母親の生きようとする意志と力には脱帽するが、それ以上に痛感したのは、周りの母や我が家を生かそうとする意志と力である。
この、自分たちを生かそうとする意志や力に感激して、昔の人は、これを神と呼んでいたのだろう。
今まで人の運命を決定し、罰を与えご利益を授ける存在が神だと思っていたが(もちろんこれ神の働きなのだが)、この、自分を生かそうとする意志と力に気づいたとき、神の冥加を知ったのである。