幼い頃から、この世界は敵の集まりだと思い込んでいた。
つまり年がら年中、たった一人で戦場にいるみたいで、心が安まる日がなかったのだ。
最近表に出ると、人に親切にしてもらえる。
いや、人の親切を素直に受け入れられるようになり、その優しさの裏を深読みするという、なんともいえないいやらしさがなくなったのだ。
そういう意味で、仮想敵をでっち上げ、これとの戦争計画を練ってみたり、人の陰謀を警戒したり、ハニートラップを恐れてみたり。
そんな異常な考え方がなくなってきたのだ。
そういえば今日は、団地の仕事をしていて、朝からカフェイン飲料を飲んでない。
元々お茶は座禅の薬であり、コーヒーは強壮剤の類いである。
確かにそんなものばかり飲んでいれば、考えにはまったり、けんかっ早くなるのは道理である。
何やら考え方を変えることで、考えにはまるのをやめてみようとか、少し穏やかになろうとかと思っていたが、無駄な努力だった。
単に座禅薬とされるお茶や、強壮剤と言われるコーヒーを飲むのを控えればよかったのだ。
やっぱり形の次元に生きているのであるから、唯物論に従った方がいいと思ったИКМТであった。
そんなわけである。
私のように、特に原因がなく、変な考え方にふけってみたり、けんかっ早くなるのは、カフェインのせいもあるのかも。
顧みられよ。