私が小さいころ、紫斑病という病気にかかって死線をさまよったことがある。
今でも思い出す。
同い年の子供たちがいつの間にか病室から姿を消していったことを。
幼心にでも、仲間たちがあまりうれしくない理由で姿を消していったことは感じていた。
私はその悲しさを今の今まで忘れていた。
そして私自身いつ死ぬかわからないのだ。
私はその恐怖を今の今まで忘れていた。
だから周りの人たちに大切に育てられ、乱暴な遊びを禁止された。
そんな私だから遊んだ友達はみんな女の子ばかりだった。
私にしてみればお友達はみんな女の子である。
だから今でも女の子はエッチの相手ではなく、一緒に遊んでくれて心を開くことができる友達なのである。
でも、思春期を過ぎた女の人にそれは通じない。
というか、私自身私の女性観にたった今気が付いたから、私の言っていることが普通の女性に通じないことを今わかったのである。
仲間が次々に亡くなっていくのは悲しい。
死ぬのが怖い。
いわゆる男らしい遊びはあまり得意ではない。
女の子と遊んでいるうちにいつの間にか女性的なセンスを身に着けた私がいる。
死の恐怖と男らしさの欠如。
そんなことに悩んでいた私がいることに、たった今気が付いたのである。